天国なんて、どこにもないんだとしても

 露悪的でセンセーショナルなタイトルとキャッチコピー。人によってはうわっと目を背けて逃げ出すかもしれない。背徳的な興味を引かれてページをめくるかもしれない。

 だけどこの物語は、読者のそんな先入観や予想をあっさりと突き飛ばして、軽やかな足取りで遠い未来の超格差社会の中を駆け抜けていく。

 地球レベルでの環境破壊と汚染の果てに人類が作り上げた「汚れたミルフィーユ」と例えられる階層世界。そこは文字通り泥の中をはいずって生きる人々の住む最下層(ゲヘナ)から、キリスト教の天国になぞらえられた上層部の楽園までが、高く高く積み重ねられ、厳しく分断されていて。
 そんな社会の底辺で生まれ育った少女が、辛くも守り通した処女と健康を手に上層の社会へ這い上がり、安楽と引き換えに自覚のないまま搾取されていく――

 なあんて、深刻な紹介をしようと試みるとどうにも困ってしまうのだ(苦笑)。

 橋本治の「桃尻娘」や新井素子の諸作品に通じるような、主人公マリアのハイテンションで前向きな語り口調が、読み手の大人ぶった良識を「余計なお世話よ」とばかりにとっちめてくれて、いつの間にか胎内に預かった雇用主の子供を大切に大切に守ろうとする、彼女の気持ちに同調してしまう。
 所詮はマリアの出身階層よりも上層の、恵まれた環境で生きている家政婦や医師が投げかけてくる「もっと自分を大切に」的なお説教。なんと煩わしく邪魔っ気に感じてしまうことか。

 だが、自分の中で育っていく存在の重大な秘密に気が付いてそれに向き合う中で、マリアは望むと望まざるとに関わりなく、世界の矛盾と向き合うことを余儀なくされてしまうのだ。

 さあ、それでどうなってどうなるのさ――それは読んでいただくしかない。

 ただ、同様のテーマを扱った数多の作品を思い返してこの物語を振り返ると、これが単なるディストピアを描いたものではないことが分かるだろう。
 わが身の安楽と安全だけを願い、おのれの選択の正しさを信じていたマリアが、その危うさを知り、預かった他人の子供のためにより大きな、俯瞰した視野と視座を獲得していく姿には、人間への、ことに(仮初めにても)人の親となる事への深い洞察と高らかな讃歌が込められている。
 それはただ遺伝子を提供することだけではなく、ただ子宮に十カ月の寄生を受けることでもなく。
 体内ではぐくみ両の腕で抱きしめた子供とともに、世界、あるいは社会と関わり、そして関わり方と自分自身を変革していくことなのだと。


 ラスト近くで明かされるマリアの「その後」を見る時、私は新井素子さんのデビュー作「大きな壁の中と外」を想起する。
 経緯や意味は違うが、管理された安全の中から歩み出て、自分と他者の信頼と協同失くしては生きられない世界でやっていこうとするヒロインたちの姿は、ともに逞しく、そしてちょっとだけ危うげで愛おしい。

 そして、そんな彼女たちの姿からぐっと視点をズームアウトして、改めて本作全体を眺める時に、ようやく気付くのだ。

 これは産みの苦しみを運命づけられたイブの末裔が地獄から偽りの天堂へ駆け上り、そこから下って人なるものが生きて耕すべき荒野に降り立ち、微笑むまでを描く、新たな「神曲」だったのだと。


 たぶん。

 


 

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