何処とも定かにされずただ「南」と示される海。そこに、神々が施した大気と光の結界で守られた、小さな美しい島があって――
この私たちにはただただ他所事の楽園としか思えない島にも、人が生きることの、人が社会の中で生きていく上での、どうにも苦しくやるせない軋轢と悲しみが普遍のものとして在る。
踊り子の島に生まれながら他の人のように巧みに踊れない娘フラミィは、体を半神のルグ・ルグ婆さんに譲ってもいいと思うほどに傷つき苦しんで、それでもやはり踊る事への希望を求め、そのためのカギを探して島中を――小さな彼女にとっては全世界に等しい空間を経巡って歩く。
作者、梨鳥ふるりさんはまごうことなくある種の天才だ。計算や思惑といった俗な操作をすっ飛ばしたところでモノを書いてるフシがある。だから作中に描かれる事象は、いかにもな物語然とした折り目正しさや無駄のない相関性とは無縁であるかのように、突拍子もないところに配置され無作為めいて振る舞うのだ。
おかげでフラミィの探索は一見どうにも的外れなところをぐるぐると彷徨うばかりでまるきり進展せず、代わりにこの島の豊かさ美しさ、神秘性を無邪気に丹念にすくい上げて確かめていく旅路になる。そうこうするうちに、島を取り巻く情勢が明かされ、外界の人間が何ともロマンの香り漂うフロート付きの水上飛行機で現れる、といった思いもかけぬ展開に、読者も翻弄されるのだが――
結局のところそれは全部、この島とそれを取り巻くサンゴ礁の世界の中の、深層の部分で複雑に繋がり絡み合っていて、一つをほどきだすと魔法のように一つまた一つと本当の姿が明らかになっていく。
もどかしさに身もだえしながら必死で進んでいくと、そこに答えがある。まるで人生そのもののようだし、そして物語の中のそれは、やはり作者の手の中にあるのだ。
飛行機の青年・パーシーがこの祝福された島々に対してい抱く嫉妬にも似た感情は、おそらく作者が南洋の観光地で抱いたという、過去の、我々の父祖による加害に対してのやるせない気持ちを裏返しにしたものなのだろう。
それはフラミィが生まれる前に行った決断ともつながっているし、かたくなに踊りの完璧を求めてそれに満たないものを取り除こうとする、踊り子の頂点「ルグ」のエピリカが見せる思い詰めた感情ともつながっているはずだ。
そうした世界の軋みと痛みと、フラミィの苦しみとは合わせ鏡のように対置されていて、彼女の問題を解決する行動は、島そのものを守り癒すための重要な決断へと収束していく。
だが世の凡庸な「ファンタジー」と比べてみれば。
そんなフラミィを取り巻く世界の神々、社会の大人たちはなんと寛容で懐深いことか。
決して彼女一人に重荷を背負わせず、共に支え、それぞれの責任を果たし、そのために迷いを振り捨て過ちを見つめなおして踏み出していくではないか。
神の怒りに触れてエピリカが踊りを禁じられた時、新たなルグとして名乗りを上げる人物の意外さが、その前後の身の処し方がすがすがしく心を打つ。
人の心の一辺倒でない複雑さを語る長老の言葉が、こちらの琴線をも複雑な和音に共鳴させる。
そうして、様々な嵐が去った島で。
フラミィは自分のありのままの体を受け入れる。そして言葉よりも踊りこそが神へ届けるものとして優先されるこの島で、巧みでなくても踊れる、だれでも神々と、そして世界そのものへ感謝と願いを届けられる新しい踊りを生み出すために、新たな探求を始めるのだ。
何よりも大事な、生まれる前からの友達を傍らに感じながら。
読み終わって心にいつまでも残るのは、彼女が島での探求の旅の中で出会った様々な不思議と神秘。
奇妙な習性をもつ愛らしいシェルバードが、美しく大きなクワクワ鳥が、洞窟を照らすファイアーフライが。腕でアーチを作りながら、またおいでよと見送ってくれる。
では私も彼らに倣って、こんな不細工な言葉ではなく、神々のための踊りで見送りに応えるとしよう。
――『風は いつも』と。
泡に守られるようにぷかりと海に浮かぶ美しい島。
老婆の姿の踊りの女神、ルグルグによって守られるこの島は、踊りを愛し、踊りを神に捧げる習慣があります。
けれど島の踊り子フラミィは、他の踊り子のように上手く踊ることができず、とうとうある事件により、踊ることを禁止されてしまいます。
悲嘆にくれる彼女の前にルグルグ婆さんが現れ、老婆の体ではなくフラミィの若い体が欲しいと言います。
けれど、ルグルグ婆さんはフラミィの足の親指の骨が欠けていることを発見し、そのために上手く踊れなかったのだと分かります。
フラミィはルグルグ婆さんに言われるまま骨探しを始めますが、そんな折、外の世界から一人の若者が飛行機に乗ってやってきます。
フラミィをはじめ、骨探しを手伝ってくれる弟分のタロタロや島に興味津々の若者パーシヴァル、島で最も優れた踊り子で高慢なエピリカ、フラミィのママ、島の長・オジーなど、様々な人々の心に触れながら、物語は島の、フラミィの、世界の深部へと読み手をいざなっていきます。
魅力的なところがありすぎて、何から書けばいいのか分からなくなりますが、中でもまず触れたいのが、人々の描き方です。
主人公のフラミィは心根の優しい少女だけれど甘ったれなところもあり、エピリカは意地悪で高慢に見えるけれどその心は外からはかり知ることが出来ないほど深淵にまで続いています。
フラミィのママの娘への愛情は分かりやすい優しさや信頼として表れてはいませんが、それが確かなものであることもしっかりと感じ取れますし、善良なパーシヴァルの内にも島や世界に対する複雑な思いが垣間見えます。
女神ルグルグ婆さんでさえ、とても人間味があり、利己的な(そして面白い)老婆かと思いきや内側には優しさも秘めています。
決して、人々は一面的には描かれていません。
彼らは多角的に、けれど優しさと理解を持って描き出されています。
そこから、物語の深さとそこで息づく者たちへの愛情を感じ、たいへん心惹かれました。
独特の世界観も、もちろん特筆に値するもので、踊りの島の風習やそこで信じられている神々の存在、生き物たち、広がる景色、全てが美しく優しく時に残酷で、魅力にあふれています。
その世界で動くキャラクターがいきいきと、ありありと目に浮かんでくるのは、筆力もさることながら、しっかりと構築された世界観と生きる人々の姿がしっかり呼応しているからでしょう。
物語もたいへん素晴らしいです。
フラミィの成長物語としてみてももちろん十分に読み応えがありますが、それに留まらず、島に伝わる神話や秘密、生き物、巡る命の不思議、そしてフラミィを取り巻く一人一人の心全てが見事に繋がり重なり一つの物語を織り成しています。
このお話を読めて幸せだったと思える作品でした。
好きで好きでどうしても好きでやりたいこと。それを奪われたら魂が死ぬほどの、好きなこと。
主人公フラミィにとって、それは踊ることだった。
けれど彼女は足の指の骨が欠けていてうまく踊れない。
ならば生まれてくるときに貰いそこねた骨を探そう。物語はこうして動く。
舞台は地図にない南の島。
神様や不思議な生物が登場するファンタジーでありつつ、他者との関わり方を描く人間ドラマでもある。
嬉しいとか悲しいとかいう単純な言葉だけでは説明しきれない複雑な感情を経験し、重大な選択を迫られるフラミィ。
自分にとって何が最も大切なのか?
その問いは主人公と対立する少女にも投げかけられる。
島の外からやってきた考古学者の視点により、世の中は戦争というきな臭い情勢であることがわかる。
けれど島の人間は戦争を知らない。間近で行われているのに、彼らはそうした悲劇から守られている。理由がある。
後半の盛り上がり、回収されていく伏線は涙なくして読めなかった。
卑劣な行いをした者が必ずしも悪だとは限らない。
欠けていることが憎むべきものとも限らない。
悩み、選んで辿り着いた彼女たちの結末までぜひ読んでほしい。