マリア様は胎教中!

悠井すみれ

第1話 出発

 私は両親の顔を知らない。首も据わらない赤ん坊の時に教会の裏口に捨てられて、それっきりだ。似たような境遇の他の子たちと違って会いたいとも思わないし、愛情みたいなものを抱いている訳でもない。どうせロクな奴らじゃなかったんだろうから。生きてるかどうかも分からないし、いないものと思ってた方がお互いのためってヤツだと思う。


 ただ、実の親に感謝していることが二つある。


 一つは、私を五体満足に産んでくれたこと。手足の指はきっちり十本ずつで、関節や指先が欠けてるなんてこともない。肌に変な染みもないし髪もちゃんと生えてるし、五感も内臓もいたって健康。貧民街スラムじゃ水も空気も食べ物も汚れきってるっていうのに、よく負けないで頑張ったもんだと思う。顔の造りも悪くないしね。肌の色も白いし、髪も目も淡い色だし。ほんと、遺伝子操作してないにしては上々の見た目と身体をくれたって訳だ。

 それからもう一つは、私を教会に捨ててくれたこと。せっかくの健康な内臓や綺麗な皮膚も、ばらばらにされて売られてたら意味がなくなっちゃってたものね。お陰で私は今日まで生きていられたし、最低限の読み書きやら礼儀作法も教わることができた。長いスカートやつまらない白いシャツのお陰で、悪い虫がつくこともなかった。どれも古着でくたびれて、そりゃあみっともなかったからね。……そりゃ、同じ環境で育ったでも、遊び好きで男について家出したビッチもいたけどね。まあ、そういうバカは放っとくとして。とにかく、私はこれまで清く正しく生きることができた。


 そうそう、名前も、教会育ちで得をしたことのひとつ。マリア。聖母様にちなんだ名前を、シスターたちは私にくれた。いかにもお固くて真面目そうで、ちょっと古臭いけど気に入っている。子供を捨てるような親に任せてたら、どんなおかしな名前をつけられてたか分かったもんじゃない。

 バカがつくほど真面目に、道を踏み外すことなく、私は二十年の人生を生きてきた。それも全て、この日のために。――今日は、私の人生を左右するかもしれない「仕事」の面接がある。




 アパートを出る前、鏡で確認した私の姿は完璧だった。髪はハーフアップにして。巻くと気が強そうに見えちゃうからゆるく流して。服装は、もちろんスーツ。でもかっちりしすぎにはしないで、シャツにはフリル、スカートもタイトなのじゃなくてフレアがかっているもの。面接の相手からしてみれば、笑っちゃうような安っぽい服かもしれないけど、とにかく、こういうのはちゃんとしてるとこを見せるって態度が大事なはず。だから化粧メイクも派手すぎずナチュラルな雰囲気にした。

 要するに清潔感があって感じが良くて、にこやかだけどそんなに賢そうじゃない女、に仕上げるってこと。この仕事には、女らしさと可愛げが求められてるはずだから。


「――行ってきます」


 鏡の自分に微笑んでから家を出たのが、何時間か前のこと。ボロアパートの周辺だと悪目立ちしていた私の格好は、階層を上がるにつれて逆の意味で場違いになっていった。


 地球は、今では何層もの居住区に包まれている。汚染した大地に住めなくなったから、それを覆う第二の大地を造り出して。そこも住めなくなったらまた次、の繰り返しでできた、汚くてごみごみしたミルフィーユ。下に行くほど、上層に押し潰されて天井は低くなってる。一番下、最初期に作られた層なんか、もう完全に潰されてなくなちゃってたりもするらしい。

 私が住んでるのは第二十七層――中の下か下の上ってあたりの層だったけど、階層同士を繋ぐエレベーターを乗り換えるにつれて、床や壁の素材は目に見えて上質のものに変わっていったし、照明も明るく、落書きも全然目にしなくなっていった。監視カメラのレンズに睨まれることもなくなって、代わりに、生身の、制服を着た警備員さんが私の挙動を見張るようになった。制服には、もちろん催涙ガスやスタンガン、拳銃とかの武装も含まれている。


 警備員さんたちの目つきは、「下」から来る連中は信じられない、とでも思ってるみたい。……というか、実際思ってるんだろうなあ。私だって関わり合いになりたくない連中がいっぱいいるんだもの。でも、ちゃんと招待用のパスコードを発行されてるんだから、そう睨まなくても良いのに、って思う。私みたいな面接志望者って、結構いるはずだし、テロリストってやつは、堂々と階層エレベーターを使ったりしないものだと思う、多分。

 そんなこんなでエレベーターを乗り継いで、私は生まれて初めて第七天アラボトに足を踏み入れていた。エリートや富裕層が住まう、最も新しく最も清潔で最も裕福な層を、主と大天使のおわす至高の天国に喩えて命名したんだとか。教会育ちの私には笑っちゃうような大げさな命名ネーミングだけど。そう名乗ってもおかしくないくらい整備された区画、ってことだ。文字通り、現代の人間の居住地としては、一番の高みにあるのも事実だしね。


 初めて見る「天国」の街並みは、それはもう溜息を吐きたくなるようなものだった。だってまず空気が美味しいし、青い空が遮るものなく広がってるし。思い切り深呼吸しても口の中がザラザラしないの!

 どこまでも続くかに見える白い真っ直ぐな道に、街路樹の緑が映えている。造りものじゃない天然の木がこんなに並んでるなんて、何て贅沢! 塵一つゴミ一つ落ちていないし、ショーウィンドウを飾るのも目を疑うような額の商品ばかり。何度も桁を数えてしまう。

 私たちが住んでる層のずっと上のところ、天井を幾つも隔てたところが随分良いところらしい、っていうのは知ってたけど、というか映像で見たりもするんだけど、その街並みの中を自分で歩いてみるのは想像とは全く違った驚きと感動だった。

 街行く人たちも、俳優かモデルかって思うような美形だけ。ううん、天国にいるからには天使とでも言った方が良いのかな。遺伝子改良によって生まれながらに美貌と頭脳に恵まれた人たち。うん、やっぱり並の人間と一緒にしたら良くなさそう。さぞや責任あるご立派な仕事をして、沢山稼いでるんだろうと思う。

 そう、もちろん、この天国に住むのにはとんでもないお金が掛かる。だから、私にとっての精一杯の盛装も、ここでは子供が作ったビニールのドレスみたいな感じなのかも。天使サマたちはちらちらと視線を投げてくる。あからさまにきょろきょろしてるし、お上りさんだってバレバレなんだろうなあ。若くて「下」から来た女、ってことで面接に来たって分かっちゃうとか? 好奇だけじゃなくて、汚いモノでも見るような……ヤな感じ。うーん、そんな変な仕事だとは思わないんだけど。

 ま、面接に呼ばれたってことは雇い主(仮)は私、っていうか条件の合う女の子を求めてるってことでしょ。なら外野を気にしても仕方ないよね。さっさと面接場所に向かうに限る!

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