第12話 『捕食』

 意味がわからない。

 理解ができない。

 何故こんなにも、人間の死体が、今まで見てきた肉のどれよりも美味そうに見えて、戦場にもかかわらず腹が大きな音を立てるのか。

 口の中に唾液が溢れ出る。

 露出した首元が、貫かれ、胸元から溢れ出た血液が、美味そうで仕方がない。


 腹が鳴る。

 腹が鳴る。

 腹が、鳴る。


「やめ、ろ」


 今にも食らいつこうとする頭部を意地で抑え込み、遺体に触れようとする右手を必死に抑え込み、それだけはダメだと大きく首を横に振って否定を繰り返す。

 ダメだ。それだけはダメだ。そんなの、ダメに決まってるだろう。

 頭がおかしい。気が狂ってる。人間が美味そうに見えるわけがないだろう。

 だってこんなにも、先生が美味そうに見えるだなんて意味がわからない。


 視界が赤く霞む。空腹で頭痛がする。熱に浮かされたようにクラクラする。思考がまともに回らない。

 腹が減って減って仕方がなくて、

 頭が可笑しくって仕方がなくて、

 その全てを押し堪えるために自分の左腕に噛み付いた。


 その痛みは思考を正気に戻さない。むしろ、視線だけは先生に釘付けになっている分、この人にこうやって齧りつけたらなんて想像したら、余計に昂ぶって可笑しかった。


「どうした、食わねェのか? それくらいは待っててやるよ。今のオマエを殺したってつまらン」


 背後から声がする。憎らしいアイツの声がする。

 やめろ。今話しかけるのはやめろ。必死に繋ぎ止めた理性が途切れちまうだろ。


 ああ、頭痛が、吐き気が、もどかしい。


「あ゛、ぁ────!!」


 限界だった。耐えきれなかった。

 嗚咽を漏らしながら唾液の糸を左腕から伸ばし、先生の首筋に噛み付いた。

 口の中に血液が流れ込む。抉り取った肉が、血が、酷く甘い。

 咀嚼するたびに魔力が身体に流れ込み、喜び、咽び、魔力高炉が膨張する気配を感じる。

 こんなのは知らない。こんなに美味い肉は知らない。


 もっと、もっと。もっとくれ。もっと食わせろ。うるさい。黙れ。黙ってくれ。


 ────意識がハッキリしない。


 まだ人間を保っている自分と、バケモノになりきった自分がせめぎ合い、口論を交わしながら、それでももうひと口。

 何処に齧りついたのかはわからない。そんなの気にしている暇はない。食事による絶頂しそうな程の快感に自分の全てが持っていかれた。


 美味しくて、 / 悲しくて、

 仕方がなくて────涙が、出る。


「づ、ゔ────ぁ、は、ゔ、ぇ」


 肉を飲み下した。鱗が音を立てて侵食する音を聞きながら、嗚咽を漏らしつつようやく正気に戻ってくれたらしい。


「っははは! そうか、初めてだったか! どうりで契約者にしては弱ェワケだ。どうだ、初めてヒトを口にした感想は!!」


 だから。うるさいって言ってるだろ。


「黙ってくれ」


 視界は良好。食事による影響か視力が跳ね上がり、砂嵐の中でも相手の姿がはっきり見える。

 瓦礫に腰を下ろし、こちらを見物する槍の男の姿が。

 その前に立ち塞がる蜥蜴野郎の存在が、声が、何もかもが、邪魔で邪魔で仕方がない。


 ひと息でマナを、魔力高炉を用いて組み上げる。

 足元の砂に吸い取られるよりも早く腕にソレを集中させ、


 ひと息に。剣を目一杯に振り抜いた。


「────、────は?」


 相手が砂嵐の中、すばしっこく攻撃を躱すのであれば。

 視界に止まらぬほどの速度で、剣を振ればいいだけ。


 ようやく目の前を吹き荒れていた鬱陶しい砂の動きがその場で静止し、ゆっくりすぎるほどの動きで地面めがけて落下していく。その後を追うように、目の前で両断された蜥蜴の上半身がずるり、ずるりと。音を立てて崩れ落ちた。


「安心したよ。こんなところで、そんなヤツに殺される程の人間ではなかったか」

「ああ、俺も安心したよ。怒りなんてモンは全部燃やし尽くしたと思ったけど、おまえを見てると腹が立って仕方ない」


 立ち上がる槍の男と、噛み合わない会話を交わす。

 相手の話を聞く価値はない。食欲の代わりに湧き上がったどうしようもない怒りが背中を押し、今は────コイツを殺すことしか考えられなかった。


「にしてもバカなヤツだ。優位に立った途端、おまえのことを侮るばかりか契約者に食事の隙を与えるだなんて。ここで死ぬのも道理だな。侮りと慢心は何よりも強い敵だと言うのに」


 地面に突き刺していた槍を引き抜き、視線を再び俺に向ける。

 その視線に込められているのは戦意と殺意だけではない。今度はそこに、好奇心が混ざりこんでいる。

 俺と戦うことに何か意味を見出してくれたらしい。先ほど以上に。


「だからおれは、おまえを侮らずに全力で相手をしようと思う」


 そして、その声と同時。男の真隣に稲妻が落ちる。

 眩い発光。視界を塗りつぶす程の白。光が晴れた頃には、男の隣にはひとりの少女が立っていた。

 イグニールと同じ、白い髪と白いワンピースが特徴的な少女。イグニールと違う点を挙げるとすれば、その瞳が黄色だということと、髪が長髪ではなくボブヘアーであることくらいか。


「────簡単に死んでくれるなよ。いくぞ、麒白キハク


 少女の姿が稲妻へと変わる。そして男の、伸ばされた右腕へとまとわりつき、変化が生じた。

 右の小手の下。手の甲から肩にかけて赤い光が走り、その顔面の半分を覆うように白と黒の真鱈まだら模様が現れる。

 そして額には一本の角。緩いカーブを描いた、稲妻のような角だ。身体からは今まで以上の、吐き気がするほどの魔力を放ち、口元には笑みが浮かべられているのが見えた。


「何も契約者はおまえだけではない、というワケだよ────聖唱せいばい 白雷麟はくらいりん第一節 権能:雷槍一角らいそういっかく


 気配を感じる、なんてヤワなモノじゃない。俺でも視認できるほどの濃密な魔力。

 ソレが、徐々に一本の槍を形成していく。


「生まれ出るは霊獣れいじゅうの権能。神秘の具現たる轟雷ごうらい一角いっかく。稲妻を纏いて全てを穿うがち、全てを砕く純白の一筋ひとすじ────」


 完全詠唱により、この世に一本の槍が具現する。

 額に生やしたツノと同型の刃。槍の末端には小さな馬の蹄に似た石付き。

 アレが恐らくアイツの得物。紅蓮の剣と同じ、権能に位置するモノ。

 詠唱を妨害しなくてはいけない。頭ではソレを理解している。それでも、俺の足は動いてくれなかった。


 俺は、その槍に、ヤツの魔力に見とれてしまっていたのだろう。


 それ程までに男の魔力は膨大であった。恐怖を通り越して、尊敬の念まで抱いてしまう。

 アレが、アイツの本気。手を抜かずに俺に殺意を向けた結果だと。


 それでも。俺は、アイツを殺さなくてはいけない理由が多すぎる。

 だから、立ち止まっている暇なんてない。


 剣を構え直し一歩。意地と根気を込めた一歩を踏み出せば、駆け出すのは容易だった。

 足場はまだ砂に足を取られて悪いものの、あの蜥蜴が死んだおかげか魔力を吸い取る効果は消え失せている。

 目一杯に魔力を込めて。脚力を強化して、男を目掛けて駆け出し、剣を振り上げる────。


「────聖唱 白雷麟 第三節:迅雷天脚じんらいてんきゃく


 瞬間。視界から男が消え去った。

 蜥蜴の跳躍なんて比にならない。本当に視界から消え去ったとしか表現できなかった。

 跳躍────いや、違う。跳躍なんかじゃない。身体が風を切る音が聞こえないばかりか、地面を蹴る音すらしなかった。

 これは紛れもなく、


「瞬間移動かよ……!!」


 そう。次元跳躍とか、空間転移だとか。その類だ。

 俺が視認できるのは地面に残る僅かな電流だけ。振り上げ始めた剣を構え直す暇があったことだけが救いか。


『しっかりせい、カツキ!! 左じゃ!!』

「っ……!!」


 イグニールの怒鳴り声に引っ張られる形で身体ごと左を向き、そこでようやく男を視界に捉えることができた。

 槍による一撃は既に放たれている。向かう先は俺の心臓へとまっすぐに。避けるには些か遅すぎる。


「ふ────!!」


 剣を目一杯に振り上げ、槍を弾き飛ばすことで軌道を逸らす。すぐさま踏み込み、振り上げたままの剣を男の胴体目掛けて振り下ろす……!


「遅いな。受け身に回ってしまっては、殺せる相手も殺せまい」


 その言葉の通り。俺の行動は全てが遅かった。

 至らぬ点を挙げるとすれば経験の差。相手は俺の踏み込みを見る前からそれを予測し、腰元に左の拳を握り待ち構えていたのだ。

 拳が振り抜かれる。目掛けた先は俺の胴。そのまま剣を振り下ろし切れば自分の体を犠牲に相手を斬り裂くくらいのことはできたかもしれないが、その拳に魔力を感じた途端、身体が勝手に動き始めていた。

 これを喰らったらいけないという予感。俺の振り下ろしの方が確実に遅いという確信。

 その二つの直感から、剣を握っていない左手で────鱗も何も纏っていない人の手で受け止めたのが愚策だったのだろう。


「づ、ぁ────!?」


 掌に走る衝撃。いや、衝撃だけじゃない。体中に白い光が駆け巡り、一瞬視界が明転する。


 雷だ。アイツ、拳が接触したのと同時に魔力を流し込みやがった────!


 肉体の許容を優に超える電流を受けて、身体が文字通り吹き飛んだ。それでも身体の原型を保てているのは、イグニールとの契約があってこそか。化け物じみた耐久度のおかげで、なんとか正気と生を保っていられる。


「っ、そ!!」


 踏ん張りがきかない砂の地面でたたらを踏み、数歩後退しながらもなんとかその場に踏み止まる。

 隙が大きすぎる。剣をなんとか構え直せ。相手は既に駆け出しているぞ。

 受け身に回れば全て相手の思い通りだ。けれど不要に、何も考えずに剣を振るえば槍と剣なら間合いの時点で負けている。振り下ろした隙に心臓を穿たれる未来なんてのは容易に想像ができた。


 力量差は歴然。

 先代の経験なんかで埋められないほどに、俺と目の前の男では差が開いていた。


 だからこそ思考が正常に働かず、

 その全てが相手の思うツボだということに気づけない。


 視界から男が消える。身体を屈めたからだと気づけたのは数秒後。足元を払うように槍を横薙ぎに振るい、太刀打ちが俺の踝を目掛けて迫る。

 これは回避できる。後退は間に合わない────だから、上に跳ぶことで、


「単純だな。空中では回避行動すら取れまい」

「しま、っ」


 ……やらかした。本当に、どうしようもない。

 無様に宙へと跳んだ俺の身体。またもや左胸を目掛けて刺突が放たれる。

 受け止めるしかない。剣を半回転させ、刀身の腹でその刃先を受け止めた。


 凄まじい衝撃。さっきの拳ほどではないが身体に電撃が走り、俺に許されたのは地面を無様に転がることだけ。

 衝撃が、電撃が、痛みが。思考の〝正常〟を削いでいく。正気が崩れ落ちていく。


 代わりに顔を出すのは、


「どう、して……」


 なんて。どうしようもない戸惑いと────、


 なんでこんなことになったのか。

 どうして俺がこんな目に遭っているのか。

 よくわからないことに巻き込まれて、

 妹まで殺されて、

 食べたくもない大切だった人を喰らって、強くなって。


 それでも勝てないと思い知らされる。

 なんで、俺ばかりがこんな目に遭わなくちゃいけない。


「まえが、おまえが、居るから!!」


 ────どうしようもない、怒りだった。


 辺りに広がる助けられなかった命。その亡骸が、早くこちらに来いと。手を子招いて居るような気がしてやまない。


「おまえがいるから、おまえがいるから────全部、全部!!」


 怒りに任せて剣を振るう。

 怒りに任せて地を蹴る。


 当たらない。


 横薙ぎに、刺突、振り下ろし。全てが読まれ、全てが躱され、無様に空を斬るばかり。

 その全てに反撃を受け、それでも致命傷に至らないのか、怒りの炎は決して消えない。


「おまえの、おまえのせいで……何もかもが、……っ!! これ以上、俺から、何を奪おうっていうんだよ!!」


 それでも一心不乱の剣戟は長くは続かず。大きな衝撃とともに、俺の意識が暗転する。

 最後に視界に捉えたのは、槍の男の寒気がするほどの同情の目と。


「……おまえにはまだ、色々と足らなすぎるよ」


 虚しくて仕方がない、冷え切った声だった。

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