第8話 『M:プロローグ 3』

「親父!!」


 情けない声が公園に響く。

 どうしようもないまま。吹き飛ばされた男の感覚から、色というものが消え失せていく。

 それは徐々に、ゆっくりすぎるほどのスピードで。まるで、身体がこの世界から阻まれていくようだった。

 すでに心臓は止まり始めている。身体の中に血液を回すポンプ────その役割を停止し、蟠った血液が口元から無様に溢れ出た。

 そんな血液すらも、色を判別できず。情けない顔で、自身を見つめる男を、ぼんやりと眺めていた。


 ああ、そんな顔をするな柳二。どうか、俺の事など気にせずそのまま逃げてくれ。


 親の心子知らずとは昔の人間はよく言ったものだ。息子である柳二の身体は、あろうことか吹き飛ばされた父親の方へと向き。今にも駆け出そうと、その足を踏み出したところだった。

 斧を持った、牛のようなツノを生やした巨人。紛れもなく、この場で1番の殺意を持った怪物。

 ソレが柳二の決定的な隙を見逃すわけはなく。今度は右手に持った斧を振り上げ、凄まじい速度で振り下ろされる。

 その動きですら死に行く父にはゆっくりすぎるほどに見えたのだから、なんとも歯痒い話だった。


 ────身体はもう動かない。


 このままゆるりと地面に落下して、意識が落ちる。そんなことはわかりきっている。

 それでも、最後の瞬間まで柳二を助けようという意思を捨てられず、動かない体に必死に意識を向けたのは、きっと。


 ここに居た、助けたかった人々。今はもう亡骸と化してしまった、どんな人間たちよりも。

 どうしようもないほど、形容しがたい程に。


 柳二のことを、愛していたからだろう。


 なけなしの力で手を伸ばす。

 届くはずのない手を伸ばす。


 そして、視界までもが暗闇に落ち、薄れ行く意識の中。


 最後に何か、希望に満ちた音を聞いた。

 きっと、この音は、柳二を────。


 ◇◆◇


 叫んだ声に親父は答えない。呆気なく吹き飛ばされた挙句、その身体はオレの視認できないところに墜落していった。

 そんな状態の親父の遺体なんてできれば見たくない。それでもせめて、埋葬だけでもしてやらないと────。


 そんな思考を遮るように。

 ガキン、と。何かがぶつかり合う、鈍い音が鼓膜を揺さぶった。


 聴覚を塗りつぶす甲高い耳鳴り。それにつられるように視線を一気に、音源へと向けた。


 吹き荒ぶ突風。思わず身体が崩れそうになりその場に踏ん張ると、視界に映ったのは振り下ろされた大きな斧だった。

 そして、ソレを阻む水色の、球体の壁。その球体を生み出しているのは、斧と対照的にとても小さな人間だった。

 宙を舞う小人。小人の背中からは幻想的な、例えるならば蝶によく似た翼を生やし、オレに背中を向けている。


 聴覚が戻る。そこで真っ先に聞いたのは────恐らく、ではあるが────女の子の声だった。


「……間に合わなくてごめんなさい。アナタのお父さんも助けたかったんだけど、妖精の移動速度はそんなに早くなくて」


 声には、色々な感情が入り混じっている。

 謝罪と同情。それから、確かな希望の色。声の主は、今も斧を受け止めながら視線は巨人に向けられている。決して、オレに向けられることはない。


「今から、アナタを助けるから。この現状を打開できるだけの力を────」

「助けてもらって悪い。でも、オレは今キミの言葉を聞いてる時間はないんだわ」

「え、はあ!?」


 迷いなく放たれたオレの返答に、妖精と自分のことを形容した女の子は、戸惑いの声と共にオレに視線をくれた。


「今は自分のことはどうでもいい。助けてくれたのは有り難いけど、吹き飛ばされた親父のことが最優先だ」

「アンタ……ああ、もう。そっか、こっちのアナタもそういうタイプなのね!」


 そういうタイプ、というのはどういうことか。それでも妖精は即座にオレのことを理解したのか、阻んでいた斧を目一杯に弾き返すと、オレの元に舞い寄ってくる。


「……わかったわよ。もう、はい!」


 声から不満が溢れ出ている。それでも妖精がオレの身体に小さな手のひらをかざすと、先ほどの壁と同じく水色の何か────オーラのようなものが身体に走った。

 湧き上がってくるのは力。身体が途端に軽くなり、まるで身体にかかっていた重力が何処かに消え去ったよう。

 その感覚に任せたまま駆け出す。一目散に、親父の方へ。


「親父!!」


 届かないとわかっていても。返答はないとわかっていても……それでも、最後の希望に縋り付くように。必死に声をあげ駆け寄る。

 挙句目にした親父の亡骸。それはもう、目も当てられないものであった。

 それでも目を逸らさず、親父の最後の勇姿を目に焼き付ける。


「…………、……」


 またしても。不思議と涙は出てこない。

 無念だとか悲しいだとか、そういう感情は湧き上がってくる。それでも、その感情を〝涙〟という形で表現することを、身体が拒んでいるようだった。


 代わりに湧き上がるのは怒りだ。


 思考も、血潮も沸騰するような怒り。握りしめた拳が震え、力のあまり皮膚に爪が突き刺さる。

 溢れ出た血液。それが滴り落ち、地面で弾ける音が嫌に鼓膜を揺らす。いくら血が溢れ出ようと、この怒りは冷めてくれない。


 まるで、轟々と燃える炎のよう。


 目の前の光景が、その炎に薪をくべる。油を注ぐ。どうしようもない怒りに、目の前が一瞬赤く染まった気がした。


 そこで初めて自覚する。

 目の前で、父親の亡骸を見て。


 オレの平和はあの巨人に壊された。

 オレの肉親はあの巨人に殺された。


 その事実が、どうしようもなく憎らしくて憎らしくて。仕方がない。


「……おい」


 溢れ出た声は我ながらひどく冷たい。内側に宿る炎とは正反対に。鋭い殺気が、その言葉には込められている。

 それでも妖精は臆することなく。オレに、まっすぐと視線を向けた。


「オレに、力を与えると。そう言ったか?」

「……言った。私はアナタのことをよく知ってる。この場から、逃げる気なんて一切ないんでしょう?」


 問いかけには頷きだけで応答を。ずしり、ずしり、と。今も重い足音がこちらに歩み寄るのが聞こえてくる。


「だから、力を上げる。アナタに────強さを」


 そこから続く言葉はない。なにかを言いかけた妖精は、静かに口を噤んで見せた。

 力を。強さを。オレに寄越す、と。


 それなら。ソレを受け取らない手はないだろう。

 このやり場のない感情────その全てを糧にして、オレは前に進んでやる。


「……なら、くれ。今すぐに。このままじゃオレは前に進めない」


 手を伸ばす。力を求め、強さを求め、直向きに。

 オレは────新倉 柳二は、それしか知らないから。

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