第9話 『M:プロローグ 4』

 力が欲しい。

 貪欲な願いを聞いて、妖精は大きく頷きを返す。

 伸ばされた柳二の掌。豆や傷だらけの、努力の痕跡が残された逞しい掌だ。

 ソレを見下ろす視線は暖かい。柳二の危機だというのに、浮かべている表情は笑顔だった。


 ────ああ、この人は。何処でも変わらず、直向きに……前向きなんだ。


 今、傷だらけの掌と、小さな掌が重なる。辺りに撒き散らすのは膨大な光。

 柳二に与えられる力。ソレのトリガーは、二人が触れ合うこと。


 ソレだけ。たったソレだけで、世界ひとつ離れて存在していた歯車が噛み合い、動き出す。


 光に怯まず、巨人の剛腕が斧と共に振るわれる。

 風を切る、無慈悲な死の暴力の音。死の概念の塊と化した、夥しい返り血を浴びた赤黒いやいば


 その刃が、柳二の身体を両断することは決してなかった。


 遅れて聞こえてくるのは鈍く、重たい激突音。刃が何かに阻まれた轟音である。


 今、光が晴れる。

 そこに存在するのは氷。

 氷の柱。ひとりの青年と、妖精が埋め込まれた彫刻。ソレが今、柳二の身長を優に超える刃を受け止めている。

 二人を邪魔するものは何もいない。何人たりとも、そこに踏み込むことができない威圧感だけが存在している。


 そして、静寂ののち。視界を塗り潰していた光の残滓が、柳二の腰に収束する。

 生み出されたのは帯のような何か。ソレは、魔術的な装飾が成されたバックルを持つベルトである────。


 ◇◆◇


 目の前に氷が現れ、オレの周囲を囲み、振り下ろされた斧を受け止めている。

 目の前の巨人は驚愕の気配を放ちながら、それでも力を込めることをやめない。しかし氷にはヒビひとつ入ることすらなかった。


 ……ああ、お前如きの神秘チカラじゃ。

 オレの生み出す神秘は壊せない。


 腰に巻きつけられたベルトから情報が流れ込む。同時に、身体に何か異物が埋め込まれたような感覚。

 いや────〝ような〟なんて不確かなモノではない。確かに今、オレの身体には異物が生み出された。

 心臓の鼓動にやや遅れて重なるように聞こえてくるもうひとつの脈動。

 本来オレたちが持ち得ない新たな臓器。魔法を使用するのに、必要不可欠なモノ。

 まあ、あくまでも……オレは、組み上げるだけでいいみたいだけれど。


「────、────」


 大きく呼吸を繰り返す。酸素を身体に取り込むためではなく、大気の魔力────マナを自身に取り込むために。

 酸素とともに吸い込まれた魔力が、血液を通して循環する。その魔力たちはひと通り身体を駆け巡ったあと、腰元のバックル、球体の真珠のようなモノに集まっていった。

 視線はあくまでも巨人に。その視界の隅で、淡い発光を視認した。真珠に充分な魔力が集まったらしい。


「……覚悟はいい?」


 肩の上から声が聞こえる。きっと、今あの妖精は今オレの肩に腰掛けているのだろう。

 ……覚悟。誰かを守る覚悟。誰かと戦う覚悟。力を手に入れる覚悟。


 非日常に、足を自ら踏み入れる覚悟。


 愚問だ。そんなものは────、


「とっくの昔に、できてるよ」


 親父が目の前で殺された瞬間。杏華を守れなかったあの時に。……いや、もっと、ずっと前から。

 オレが男として生まれて。親父の言葉を聞いて、強く在ると決めた時から。

 覚悟なんてものは、できていた。


 手を伸ばす。その先にあるのは巨人の左胸。人間と構造が同じなら、心臓があるであろうそこに。


 今からオレは、コイツを殺す。


 その掌の目の前に妖精が躍り出た。そしてその身体は淡い光を放ち、変容していく。

 生み出されるのは妖精の翼────蝶のようなソレを象った、掌サイズの瓶のような何か。

 その中には魔力で構成された粒子が詰まり、ゆるりと落下するのに合わせて浮かび上がっているのが見える。

 オレはその瓶を手に取り、数秒。呼吸を整え、自分の中のスイッチを切り替えるだけの間をもうけて。


「────変身」


 瓶をバックルの真珠、その横に伸びたレールに装填。そして、魔力を込めた一節を紡ぐ。


 それだけでいい。


 ……魔法の行使には、世界に訴えかけるだけの唄が必要だ。だけどこれからオレが使う魔法は、普通の魔法とは少し違う。

 トリガーを引くだけのほんの一節。ほんのひと言だけで魔法は成立し、後のことは妖精が行ってくれる。

 これは妖精と人間が織りなす奇跡。膨大な神秘。


 魔力超過吸収体質と呼ばれる、類稀なる妖精に愛される身体だけが持つ高等魔法だ。


 音を立てて、オレたちを覆っていた氷が圧縮されていく。バックルから溢れ出した水色の光が全身を包み、辺りに魔力を孕んだ冷気を撒き散らす。

 氷の圧縮が済み、圧力に耐えきれず砕け散った瞬間。身体を包み込む光が晴れた。

 身に纏うのは氷の鎧。何物も通さぬ、絶対不変の停滞の鎧。

 ……身体に降りかかる冷気が心地いい。怒りで火照った思考を冷ましてくれる。


「……行くぞ」


 言葉を向けた先は目の前の巨人。その言葉を理解するだけの知能があるのかどうかはわからないけど、それはまあ関係ない。

 応答の暇は与えない。身に纏った魔力で底上げした脚力を以っての踏み込み。たった一歩の踏み込みで巨人の懐に潜り込み、籠手に覆われた拳を構えた。

 殺気を感じ取ったのか、巨人は半歩下がることで回避を選択。しかしその動きは、今のオレには遅すぎる。

 さっきまであれほど感じていた恐怖すらも、今はカケラも感じない。


「ぜ、ぁ────!」


 拳を振り抜く。腰の回転を合わせた、腹部に拳をねじ込む正拳突き。

 拳を捻じ込まれた巨体が、地面から数センチ浮かび上がった。その隙を逃すわけにはいかない。

 拳を振り抜いた勢いで左足を軸に半回転。そのまま踵を、巨人を目掛けて振るう。

 巨体を吹き飛ばすには充分な力。この相手には加減もクソも必要ない。踵がその身体に直撃する瞬間、魔力を放出して追加で衝撃を与えてやった。


「っ、っ、!」


 苦悶の声をあげながら成す術もなく吹き飛ばされる巨人。そして、


「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」


 ……忘れていたけれど。この場において、敵はひとりだけではなかった。

 仲間意識でもあったんだろうか。蜥蜴は大きく口を開くなり醜い声をあげ、こちらを目掛けて突進してくる。


 ……邪魔だな。頗る、邪魔だ。


氷槍ひょうそう

『わかった』


 数秒の指示。頭の中に産み落とす武器の明確なイメージを思い浮かべることで、バックルが魔力を吐き出し、その魔力が妖精の手によってイメージしたモノを象って行く。

 氷で出来た一本の長槍。地面に突き刺さったソレを引き抜き、振りかぶる。最小限の動き────しかし全力と魔力を込めた、確かに命を絶つ為の一投を行う為の構えだ。

 コイツは突進するだけしか能がない。横面積は充分すぎるくらいに広い。


 ────なら、狙いを違う理由なんてひとつもないだろう。


 投擲。空を切る轟音が響き、今。蜥蜴を目掛けて一本の槍が射出された。

 目にも留まらぬ速度で槍は開いた蜥蜴の口を目掛けて猛進し、体内を通って貫通。見事に、狙い通り命を穿って見せた。

 あの膨れた腹の中に、何人の命が詰まっているのか……ソレを考えるだけでもっと手酷く殺してやりたくなるものだが、今は巨人アイツを優先しなくちゃいけない。

 鮮血を撒き散らし、地面に倒れ伏す蜥蜴を確認してから。兜の下から視線を巡らせ巨人を確認。丁度、自分の得物を杖がわりに立ち上がろうとしているところだった。


「槍。もう一本だ」


 掌を開く。ノータイムで槍が産み落とされ、振りかぶり。蜥蜴にそうしたように────いや、それ以上の殺意と魔力と力を込めて、ソレを投擲する。

 同時に駆け出し、確実にアイツを仕留める為に足を回す。


 回す、回す、回す。再びアイツの懐に潜り込む為には、まだもう数秒かかる。


 巨人は射出された槍を、斧を盾にして受け止めるしかない。その大きすぎる刃が槍を受け止めた瞬間、槍が弾け魔力へと流転した。

 元は槍であった魔力の粒子が斧を包み込む。そして斧を封じ込めるように氷へと姿を変えると、オレの意思に反応して、斧に圧力をかけるべく収縮して行く。


 相手に脅威は感じない。それでも、負け筋はひとつ残らず確実に潰して行く。


 氷と共に圧縮された斧が、鈍い音を立てて砕け散った。その時点で巨人は斧を諦め、拳を握り締めながらオレを迎え撃つ準備は済んでいる。

 だから、


「受け止めてやる」


 親父を殺した一撃を、真っ向から受け止めて敗北を突きつけてやる。


 こちらの間合いに入る寸前。巨大な拳は横薙ぎに振るわれ、確かにオレの身体を捉えた。

 鎧を伝う振動。内臓がひっくり返るような規格外の一撃。

 腕を立て、歯を食いしばり、拳を握り、思いっきり地面を踏み抜いて。オレの全力を以って、ソレを受け止めた。

 この距離なら確実に殺せる。これだけ大振りな攻撃なら隙も充分。

 あと一手。勝利は目前。その勝利を捥ぎ取る為に魔法を行使────、


「────は?」


 ────しようとした、途端。

 瞬きの間。ほんの一瞬で、あんなに存在感を放っていた巨人は姿を消した。

 その場に満ちるのは静寂と風の音。行き場を無くした怒りが湧き上がり、砕けてしまうほどに強く奥歯を噛みしめる。


 ソレを、合図とするように。

 辺りに、声が響いた。


────────

ようやくプロローグが終わりました。次から本編です……。

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