第10話 『宣戦布告』
世界に対抗しうる二人の戦士が誕生した。
片や、竜の力で剣を振るう竜剣士。
片や、妖精とその力を纏って戦う魔装戦士。
それぞれ思いを掲げ拳を、剣を握り、一心に振るう。
物語の歯車はここに揃った。しかしここまでは、あくまでも
茅咲市を襲った大地震。謎の生物と、見覚えのない人々。
無数に舞う鮮血と、あちこちから上がる恐怖の叫び。
この現象は各地で起こり、世界は破滅に向かっている。
一歩、一歩と。小さく、時に大きく、
しかし反抗しないワケにはいかない。こんなところで死ぬワケにはいかないと、必死に抗う人々もいた。
全てを諦め、命を投げ打つ人々もいた。
そんな世紀末のような地獄の中で。無数の人々は、たったひとりの例外もなく、とある声を聞く。
その声の主は上空。正確に言うならば、突如空に現れたホログラムのような液晶画面であった。
その構成物質は魔力。そこに映し出される影は、黒い靄で隠されていて正確に視認できない。
「この世界の人間に告ぐ」
響き渡る中性的な声。男とも女とも取れないその声明は、そんな一文から始まった。
「これは、この世界へ向けた宣戦布告である」
その声に応える者はいない。突如現れた人々も、意思を持たない魔獣たちですらも、その声を静かに────ただ空を見上げて、声を聞いていた。
「今から滅び行く君たちに、残された選択肢は二つ。このまま我らに抗うことをやめ、一切の抵抗なく死んでいく『虐殺』か、我らに敵わぬと解っていながら抵抗を繰り返し死んでいく『戦争』か────選択肢は二つにひとつ、と言うのが正しいかな?」
声は嘲笑う。抵抗する人間も、諦め死んでいく人間も、
「君たちの賢い選択を期待しているよ」
そして、その言葉を最後に。空を覆っていた魔力の幕が消え失せ、やかましく響いていた声が消えた。
瞬間。辺りから咆哮が湧き上がる。この世ならざる何処からやってきた無数の害獣の、開戦の咆哮である。
────かくして。この声明を口火に、世界の存続をかけた戦争は始まった。
◇◆◇
「宣戦布告って────」
地面に突き刺した剣が粒子に還り、俺の中に帰っていくのを見送りながら。聞こえてきた一文を反芻する。
宣戦布告。それは文字通り、連中から俺たちに対する殺人予告だろう。その言葉に偽りがないことは、この現状を見るだけで理解できた。
……にしたって好き勝手に言ってくれたものだ。大人しく殺されるのを待ってろ、なんて言いたいんだろう。声の主は。
思わず、自分でも驚くほどに大きな舌打ちが漏れ出す。
そんな俺の苛立ちを他所に、俺の視界の端に先ほどの少女────赤い、マントのような外套を身に纏った少女が駆けてくるのが見える。
向き合うように身体をそっちに向けてやると、何やら複雑そうな表情を浮かべて。俺の右腕に視線を向けた。
「……契約、したんだ」
声が何処となく震えているのがわかる。
つられるように自分の右腕に視線をやると、不思議なことにそこにあったのは竜のような鱗ではなく。まさしく、人間の腕があった。
けれど、丸々元の腕と同じというわけではなくて。手首のあたりにひし形の赤い痣のような刻印と、そこから指の付け根にかけて、鉤爪のような刻印が二本刻まれていた。
「……あれ、腕」
「あのままでは見てくれを気にするであろうと、せめて戦闘中以外は人間のソレに見えるよう魔法をかけてやったのじゃ。感謝せい」
「ん、ああ。ありがとう」
あまり気にしてなかったけど、確かに言われてみればあのまま生活するのは気がひける。そのうち慣れるだろう、なんて割り切っていたものだけど、案外イグニールは親切だったらしい。
……というか、いつのまにかイグニールが俺の隣に立っていた。こうして実際に隣に並ばれると、浮世離れしてるというかなんと言うか。
質問は多々あるけれど、とりあえずは外套の少女への応答が先か。
「……ああ、契約しちまった。悪い。そうするしかなかったんだ。それから、かなり酷いことを言った……ごめん」
忠告を聞けなかった。しっかりそれは言葉にしたものの、さっき謝ってなかったなあ、なんてぼんやりと。追加で頭を下げておく。場違いなことを考えてることくらいはわかっちゃいるけど、さっきまで湧き上がってた怒りとかその辺が炎の燃料にでもなっちまったんだろう。
少女は俺の言葉を聞くなり、下げ頭をじっと見つめていたんだろう。顔を上げると、その金色の瞳と目があった。
「……別に、怒ってなんかない」
「あれ、怒らないのか」
かなり酷いことを言ってたと思うけど。半ば八つ当たりみたいなことを言われて怒らないわけもないと思う。
しかし少女は浮かべた、複雑な表情をそのままに、首を小さく横に振る。
「仕方ないことでしょ。自分の世界がこんなことになってパニックにならないわけがないし……それに」
ほんの少しの沈黙が満ちる。少女はため息を吐いて、
「怒るって行為は、親しい相手にそんなことしちゃダメだって伝える行為。わたしは貴方に対して、
「……、…………」
ひどく達観してる子だと思う。その顔に浮かんでいる複雑な表情────そこに含まれている感情のひとつは、諦めだろうか。
結愛とそう変わらない歳に見えるのに、こんな顔をさせるなんて。
何があったのか。何を思うのか。それを考えるだけで胸が痛い。
しかし、
「お主、助けてもらってその言い草はないじゃろ。カツキが飛び出さねば、今頃其処彼処を転がる死体のひとつとなっておったろうに」
イグニールはその言い振りを許さない。静かな怒りを込めて、外套の少女を睨みつけた。
そして睨み合いが始まる。少女の弱々しい視線と、イグニールの赤い、鋭い視線。
けれど。そんな睨み合いも長くは続かなかった。
あちこちから上がる咆哮が地面を揺らす。沈黙を切り裂く。遅れて、大きな雷鳴が響いた。
「な────」
落ちた。大きな雷が落ちたのだ。ここからでも視認できるほどの大きな、白い雷鳴が。その方角には覚えがある。
「今の、病院の方から……!!」
宣戦布告をしてきた連中は存外賢かったらしい。
俺たちを殺す。それなら、病院をまず潰してしまうのが確実だ。
一手一手、死に向けて押し込まれるような感覚。
「っくしょう……! 質問してる暇はねえのかよ!!」
焦燥に駆られて駆け出す。イグニールと睨み合いを続けていた少女といえば、いつのまにか姿を消していた。
恐らく転移系の魔法か何か。俺も連れて行ってくれればよかったものだけど、今は愚痴を漏らす時間すらも惜しい。
◇◆◇
転移の魔法石はあと三つ。もう少し作ってくればよかったと後悔しながら、視界の明転を受け入れた。
転移の条件は『行き方を知っていること』────この世界に来たのは初めてのコトのはずなのに、わたしはこの世界を知っている。
……いや、〝知っている〟じゃなくて〝聞かされていた〟……?
だとしたら、誰に。
ソレを思い返そうとすると頭痛がする。記憶を掘り返そうとする手を阻んでくる。
誰か、大切な人に聞いたはずなのに。今のわたしには何もわからない。
理由は解らずとも、どちらにしろわたしにとっては都合がいい。そんなことを考えている暇があったら、この世界を救うことだけを考えろ。
────この世界を救いたい。その理由さえも、今のわたしには解らないけれど。
視界が晴れる。転移が完了したんだろう。目前に広がるのは半壊した建物。依然悲鳴は其処彼処から聞こえてきて、それに加えて血液の匂いが漂ってくる。
茅咲市立病院。この一帯で唯一を誇る大きな医療施設────だというのなら、彼らがここを狙うことはわかりきっていたのに。
「……ホント、最悪」
後手に回ってしまった。最悪にも程がある。今瓦礫の下で、鋭利な牙や爪、槍で朽ちていった命たちは……わたしが救えたかもしれない命たちだ。
地獄を生み出す獣たちの中。人の形をした、槍を凄まじい速度で振り回す影がある。
────アイツだ。まずは、アイツを倒さないと。
まだわたしは視認されていない。それなら、
「不意を突けばおれを殺せる、とでも考えているのか?」
「……っ!?」
不意に、耳元で声がする。
寸前まで数メートル先には居たであろう槍使いが────ほんの一瞬で。わたしのすぐ隣、息が触れ合うほどの距離にいる。
何もかもが間に合わない。出来るだけ魔力をかき集め、体の強度を強化。その瞬間、身体に激震が走り、視界が一瞬で変わりゆく。
「っ、そ!」
「おまえはおれ達の邪魔をするのか、ユーリアス=ユースタッド!」
男は叫びをあげ跳躍。宙に浮いたわたしの身体を追撃すべく、その手に握った槍を構え直すのが見えた。
……桁違いにも程がある。このままでは殺されることなんて、馬鹿でもわかることだ。だから、
「
懐に潜り込ませた魔法石のひとつを起動する。
勿体ぶっている暇はない。貯蔵したものすべてを使い切る覚悟でもしなければ、この男は────レオン=アルベルトは倒せない。
転移。アルベルトの背後に飛び去り、その首を叩き落とさんと右手に携えた剣を構える。
しかし。その判断は甘かったと、たった数秒。ほんの数秒で、思い知らされた。
魔力の流れを読み取る特殊な瞳。わたしの目は、
それが、膨大な死の気配を察知した。
上空に集まる魔力の本流。蟠ったそれが雷に変質し、轟音を立てて、矛先をわたしに向けて降り注ぐ────。
回避行動は間に合わない。魔法石起動の詠唱を紡ぐ暇はない。わたしに取れる行動は防御だけ。
鱗の剣、獄炎竜の権能たる剣で、その雷鳴を受け止めようと頭上に構えた。
「い、づ……!!」
再び走る激震。身体中を雷が走り回り、無残に剣が砕け、魔力の粒子へと帰っていった。
それを待たずにアルベルトは急速に振り返り、槍の石付きでわたしの胴体を打ち抜いた。
そこまで視認できているのに、行動に移せないのがもどかしい。為すがままに身体が吹き飛ばされ、肺の空気が一気に消え失せるのがわかる。
「
息苦しさを押しのけて、再び魔法石の起動詠唱を紡ぎ、鱗の剣を呼び出す。何とか地面に足をつけ、踏ん張り、奥歯を噛み締め、突進に似た槍の刺突を、刃を以って何とか起動を逸らした。
左腕の肉が抉れる音がする。肘を伝って血液が地面に滴り落ちる。それでも力は緩められない。
目前にはアルベルトの不敵な笑みがある。コイツは、この戦いを楽しんでいるのだろうか。
「邪魔するに決まってるでしょ……!! わたしたちの世界のことはわたしたちの問題なんだから、この世界を巻き込んでいい道理なんてない!!」
叫ぶのは数秒前の問いへの応え。それを聞くなりアルベルトは大きすぎるほどの笑い声をあげて、
「こうしなければ世界が終わる。おれたち全員が死ぬことになる! だとすれば、これ以上の犠牲を払わなくてはならない……これこそが最善だと、おまえにはわからないのか!」
「わかるワケない! どうしてそうやって、誰かを傷つけ殺すことしか選べないの!? もっと他に方法があるはずでしょ!!」
「綺麗事を!! 誰かの犠牲無くしては平和を取り持つことができない────それが解らぬ無様なヤツはここで死ね!!」
アルベルトの、手隙の左手が揺らぐ。魔力が溜まる気配を感じる。拳に淡い雷が迸り、それを視認した頃にはとっくに遅かった。
常人では捉えられないほどの速度。残像を残すほどの速度で拳が振るわれ、今わたしの顎先を捉えて脳を揺らした。
意識が途切れる。それでも舌を噛み意識を手繰り寄せ、苦し紛れに剣を振るった。
フラつく足元。力がうまく入らない右手で振るわれた一閃。それが身体を斬り裂けるわけもなく、手応えすら感じずに呆気なく宙を斬った。
「自分すらも持たない『空』の属性が、契約者に勝てるわけがないだろう。ここまでくるとその雄姿も勇気も、いっそ哀れだな」
世界から音が消え失せる。その中で、アルベルトの冷たい冷たい言葉を聞いた。
……その通りだ。わたしじゃ、コイツを殺せない。わたしじゃコイツに敵わない。
この戦場において敗北は死。もう何もできないなら、いっそ。ここで死んだほうがいい────。
だと、言うのに。
「諦めるのは、まだ早いんじゃねえの────!!」
声がした。ここで一番聞きたくない声。
巻き込みたくなかった男の声。
「────、────ああ」
本当に何もかも上手くいかない。
突き放してもまだわたしを助ける。まだこの人は足を踏み入れてくる。
わたしは世界を救いたい以上に。この人だけは戦いに巻き込みたくないと言うのに。
本当に、何で。こんなに上手くいかないんだろう。
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