第11話 『視界』
────なんとか、間に合った。
助走を目一杯に乗せた拳。
槍の男に当然のごとくソレは受け止められたが、拳が本命なわけではないし。とりあえずは良しとして次の行動へ。
外套の少女の胸ぐらを掴み、そのままの勢いで跳ぶ。この男とは距離をとらければいけない────溢れ出る魔力と、その脅威に本能がそう判断した。
「……最初に会った時も恐ろしいとは思ったもんだけど、なかなか見え方が変わるな」
魔力を感じ取れるようになって、アイツの恐ろしさが改めて解る。
アイツはその辺を歩いてる怪物たちとは桁違いだ。魔力の質と、その量からして……全てが。
一筋縄ではいかない。決して。
「無事……なわけないよな」
ある程度移動し、何故か槍の男が追撃しないのを確認してから。少女に問いを投げかける。
……左の上腕が思いっきり肉を持っていかれてる。おそらく、アイツの槍によるモノだろう。この様子じゃこれ以上戦うのは無理だ。
「……なんで助けに来たの。なんで追いかけて来たの」
「別におまえを助けようとしたわけじゃない。俺もここで戦わなくちゃいけない理由があるからな」
既に病院は半壊している。助けられなかった命が無数に転がっている。無慈悲に、無作為に。
それだけで俺が戦う理由は充分だ。
「退いて。わたしがアイツを倒すから」
「無茶言うな馬鹿。そんだけ深い傷負っといて、明らかに格上の相手に立ち向かうやつがあるか」
今も夥しいほどの血液が腕から滴り、地面に落ちて居るのが解る。顔色だって明らかに悪い。
だって言うのに少女は俺を押し退けて、槍の男に立ち向かおうとしている。
「……何がおまえをそこまでさせるんだよ、もう休め。少しは頼ってくれていいんだぞ? 辛くて仕方ないだろ」
「それは────」
俺の言葉を聞いて、少女があからさまに動揺するのがわかった。あれほど回っていた口が複雑に歪み、言葉を探すような沈黙が満ちる。
「…………この世界を、貴方を頼むって、言われたから」
「頼まれたって、誰に」
「……わからない」
ようやく開いた口から放たれた言葉は、動揺に揺らいでいる。今にも涙を流しそうなほどに。
少女は小さく首を横に振り、それでも槍の男から視線を離さない。
「わからない。わからないけど、それでもわたしにはそれしかできないの。それしか無いの……だから」
かける言葉が見つからない。
退いて、と。動揺を浮かべた横顔が強く主張してくる。
でもここで退いたらこの子が死んでしまうだけ。また目の前で、助けられた命が朽ちるだけ。
それを、大人しく見ているつもりはない。だって、
「……断る。アイツは俺の妹の仇だ。大人しくそこで見てろ」
もう、立ち向かうだけの力が、今の俺にはあるから。
未だに俺を押し退け、駆け出しそうとする少女に一瞥。腕力に物を言わせ、瓦礫に座らせることでようやく少女は諦めてくれた。
槍の男を見据え、数歩。ゆっくりと歩みを進めていく。
男は「ようやくか」なんて小さく漏らすと、その顔に笑みを浮かべては、
「作戦会議は終わりか?」
「ああ。わざわざ待っててくれたのか、悠長なヤツだ」
「おれとしても同胞を殺すのは忍びないからな。おまえが逃してくれるというのならありがたい話だ」
その言葉に嘘はないらしい。ようやく槍を構え直し、俺に確かな戦意を向けた。
肌がピリピリする。死の気配を察して、逃げ出そうと脳内で警報が喧しいほどに鳴り響く。
────コイツは、
「……やってみなくちゃわからないだろ」
自分に言い聞かせるだけの小さな呟きでその警報を一蹴。魔力高炉に意識を向けて、魔法を行使するために口を開いた。途端、
「オイ、ソイツはオレの獲物だぞ。レオンサンは黙って見ててもらおうか」
声がした。聞き覚えのあるような無いようなおぼろげな印象を受ける声。
槍の男と俺の間に割り込むようにその声の主は粒子として現れ、徐々に正しい形を象って行く。
現れたのは数時間前程に目にした蜥蜴。爬虫類と人間の半人と思われる男。今声を聞くまで男と判別できなかったわけだけど。
しかも何言ってるかすら解らなかった言葉まで解読できる。これもイグニールの効果か?
『そうじゃな。亜人の言葉はだいたい解読できる』
……だから思考に割り込むのはやめろって。
ありがたいことなのかは解らないが、まあ今はそれもどうでも良いか。現れた亜人に視線を向けると、前に伸びた口を不敵に歪める。
「おまえには用はないんだけど」
「オレが用があるんだなァそれが。殺し損ねたヤツがのこのこ現れたンだ。殺してやらにゃダメだ。そうだろ?」
優先度としては槍の男────レオン、だとか呼ばれてたか。アイツの方が高い。正直コイツの相手をしている暇もないんだけど、レオンとやらは亜人の言葉を聞くなり、大きなため息を吐き出して近くの瓦礫に腰を下ろした。
「ちなみにそこの女もオレの獲物だ。腕の借りはしっかりと返す」
「ああ……腕斬られたこと気にしてるんだ、おまえ。案外みみっちいヤツだな」
場違いに相手を煽り倒してしまう。蜥蜴の容姿は飾りではなかったようで、斬り落とされた腕は元どおりに再生されているのが見えた。
だって無理もない。コイツには然程脅威は感じないんだから。その辺を歩いてる獣と同等。
しかし案外亜人は煽り耐性が高かったようで。一瞬で、跳躍を以ってその場から消え去る。
「軽口叩いてる暇あったらさっさと死ね」
ように見えただろう。以前までの自分なら。
その姿がはっきり見える。何処に向かっての跳躍かすらも把握できる。だから、振り下ろされた爪を躱すことは容易すぎた。
「────ハッ」
「
さぞ楽しそうに短く笑う亜人を他所に、得物を呼び出す最初の一節を紡ぐ。
同時に魔力が炎として形を持ち、足元から勢いよく吹き出す。ソレを避けるために亜人は後退し、様子見の姿勢を取ることにしたらしい。
炎が右腕の皮膚を絡め取って行く。袖が食い破られて露出した右腕は、再び異形の、鱗の右腕と化した。
「産まれ
完全詠唱。強度と神秘を更に強いものとして、剣が具現する。
これにより戦う準備は整った。剣の柄を何度か握り直し感覚を確かめて、その切っ先を亜人に向けた。
「大人しく殺されてやると思うな」
「少しは楽しめそうじゃねェか!」
再び仕掛けてきたのは亜人の方。ソレしか能がないのか、脚力に物を言わせた跳躍で距離を詰めてくる。
しかし今度は尻尾を利用した大振りの一撃。俺の頭蓋を砕こうとでもしてるのか、脳天を目掛けて振り下ろされた。
『付き合う必要はないぞ』
「わかってる」
最小限の動き。横に僅かに移動することでその一撃を躱し、粉砕されたコンクリートに紛れて移動。向かう先は亜人相手ではなく、瓦礫に埋もれる形で倒れ込んでいる、死を目前にした生存者だ。
……たぶん、あの外套の子のとこまで連れて行けばどうにかしてくれるだろう。
そんな不確かな思いで生存者を抱え駆け出す。少女の近くにゆっくりと下ろしたところで、亜人は眉間に目一杯に皺を寄せてみせた。
「……嘗めてンのか? 今相手にしてんのはオレだろ」
「嘗めてはないよ。隙があれば助けたいだけだ。そんなに大振りな攻撃をしてる方が悪い」
今度は堪えたらしい。さっきまでの表情から一変、亜人の表情は見事に怒りに歪んでいった。
次の生存者を探そうと視線を巡らせる。その瞬間に、俺の目の前に茶色い鱗が映り込んだ。
……手負いの少女と死にかけの人間を背中に庇いながら戦うのは流石にキツいか。
即座に地面を踏みしめ、俗に言う〝ヤクザキック〟で応対。怒り心頭といった様子の蜥蜴野郎は、見事に後ろに吹き飛んでいった。
「おいおい、どうした。殺し損ねた相手に手玉に取られてるじゃないか。おれと変わるか?」
「っるせェ! そこで見てろ!!」
……しかも味方にまで煽られている始末。少しだけ可哀想に見えてきたな。
そんな同情をしてられたのも一瞬。俺の緩んだ気を引き締めるように、亜人の周りの魔力が揺らぐ気配がした。
俺にでも視認できるほどの濃密な魔力。ソレは辺り一面の地面に浸透し、細かく、小さく振動を始める。
「我が血液に刻まれた偉大なる主よ。この呼びかけが聞こえるならば応え給え────」
「────! 不味い、妨害して!!」
そして詠唱が紡がれる。
背後の少女の声で我に返り、一瞬で判断を下し駆け出したものだが些か遅すぎたらしい。
「全ての地よ。在るべき姿に還れ」
詠唱が完成する。瞬間、視界が濁った。
辺りに広がるコンクリート。ソレが砕け、文字通り『あるべき姿』────砂のような、粉塵のような何かへと還り、巻き上げられる。
まるで、砂嵐。聴覚以外の殆どの感覚が奪われ、一瞬にしてこの世界の中で孤立したような感覚に襲われた。
「地の節 『
「ッソ、何も見えねえ!」
口を開けばその中に粉塵が紛れ込み、そして目の前は粉塵に覆われ、薄く開くことでしか視界を確保できない。
唯一残った聴覚ですら、砂塵を巻き上げる轟音で殆ど機能してくれてはいなかった。
……マズい。盛大にやらかした。上手いこと相手のホームグラウンドに持ち込まれたらしい。
『何をやっとる馬鹿者! 悠長なことをしておるからじゃ!』
「んなこと言ったって仕方ないだろ! 生きてる奴が居るならなるたけ助けたい!!」
おまけに足場まで悪い。今までしっかりと足裏を支えてくれていたコンクリートは粉塵と化し、気を抜くと足を取られそうになる。少し走っただけで消耗が激しいものだからタチが悪かった。魔力を身体から吸い取る効果でも付与されているのだろうか。
『ともあれこうなってしまったものは致し方ない。なるべく耳を使って相手の位置を把握し、殺気を感じ取って攻撃を躱し、上手いこと反撃するしかあるまいて!!』
「さりげなく要求がレベル高すぎるんだよ!!」
それだけのことを許してしまったのだろう。愚痴を漏らしても仕方ないことだ。
現状ほとんど使えない視覚を、目を瞑ることで遮断。神経を手繰り寄せ、聴覚だけに集中する。
……僅かに聞こえる足音を聞くために。剣を構え直したところで、砂を蹴り飛ばすような鈍い音が聞こえた。
「────来る」
位置は左方。攻撃の方向が予測できたなら、と。剣を振るい、迎撃に専念する────が。
「隙が大きいなあ、オイ」
再度の跳躍で逆側に、ほんの一瞬で回り込まれた。
背後から声がする。応対する暇もない。背中から衝撃が体中を駆け巡り、そのまま吹き飛ばされるように地面を転がっていく。
なんとか受け身をとり、砂に膝をつけて立ち上がろうとした瞬間。頭上から、何かが空を裂く鈍い音がする。
ソレを切り裂こうと苦し紛れの一閃。しかしそれもしっかり見られていれば、躱すことは容易だったらしい。
またもや無様に、情けない音を立てて宙を斬る剣。それを待っていたかのように、鈍い一撃が内臓を掻き回した。
「い、づ────」
今度のは効いた。拳なんかよりよっぽど重い一撃。尻尾でもぶつけられたのかもしれない。
吹き飛ぶ。受け身を取る。転がっていく。
立ち上がる隙すらもなく、転倒の勢いが止まったところで……何か、柔らかいものが背中に当たった。
「ん、だよ……」
薄く目を開く。背後を振り返る。
この時、振り返らなければ。目を開かなければ良かったと心の底から後悔する。
必死に目を逸らしてきた現状。病院が倒壊して、殆どの人間が死んでしまったのなら当然のコトだった。
俺の身体を受け止めたその柔らかい何か。見覚えのある、人形じみたその影。
「う、ぁ────」
砂嵐の中で、霞む視界に捉えたのは白衣を身に纏った女性。
紛れも無い。神崎 真央だったモノが、俺の背後に転がっている。
絶望した。
「なん、」
絶望した。
「で」
この人が死んでいることにではなく。
この人の遺体を見て、悲しいだとか、苦しいだとか、そんな感情を抱く前に。
「なん、だよ────これ」
腹が減ったと。美味そうだと。
この人に向かって思ったことに、気が狂ったことを思ってしまったことに、絶望した。
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