第5話 『D:プロローグ 5』

 止まった時が動き出す。現実からすれば────克己に駆け寄った少女と、避難しながらその光景を目撃してしまった人間からすれば、ソレは本当に一瞬の出来事であった。

 倒れ込んでいた男。片腕を失った筈の克己が、ゆっくりと、しっかりと、その場に佇み自身の右腕を眺めているのが見える。

 辺りを舞うのは紅蓮の炎。立ち上がった克己の瞳は、日本人離れした赤色に変色。そして目を凝らすことができるならば────ソレが確認できる距離ならば。爬虫類のように、瞳孔が細められているのがわかる。

 失われた筈の右腕。まさしく人間の右腕なのだが。目に見えるのは人の、肌色をした皮膚ではなく。炎と同じ色をした鱗がびっしりと、破れてしまった薄手のパーカーの袖元────肩の辺りまで埋め尽くされている。


 その姿を表現するのなら、爬虫類と人間の混血人。


 いや、あの少女の姿を知ったのなら、半竜半人とでも表現するべきだろうか。


 炎の熱と共に辺りを満たすのは膨大な魔力。ソレを視認、観測することができる人間ならば、感じ取っただけで怯えてしまうであろう程の。

 現に駆け寄った少女は動揺を隠せず、頰に冷や汗が伝い、克己と対面する虎の怪物は、脅威を感じて全身の毛を逆立てながら数歩後退した。


「貴方────」


 動揺しきった声。震えた少女の声を引き金に、戦況は再び動き始める。


 今、ここに。紅蓮の竜剣士が誕生した瞬間である。


 ◇◆◇


 右腕の鱗にはギョッとしたものだけど、この際そんなことは気にしている暇はない。

 爪が鋭利に伸びた右手を眺めてから、視線を獲物の怪物に向けた。バスロータリーにはコイツ以外にも似たような個体が、目の前にいるのも入れて三体────何となく、手間取るような数でもないことを自覚する。どうやらあの少女……イグニールと名乗った翼竜と契約したことで、思考回路まで戦闘民族に改造されてしまったらしかった。


『失敬な!! そんなことしておらぬわ!!』


 ……俺の思考に、心底不服そうな声が割り込む。なんだ、俺の思考まで読み取れるのかこの子は。


『当然じゃ、今や余とお主は一心同体。それくらい読み取れんでどうする……して。その感覚────倒せる、という自信は、お主の先代契約者達が積んできた経験がお主に引き継がれたからじゃな。けっっっして戦闘民族に改造したワケではない!』


 何やらそこをヤケに気にしているらしく、否定を繰り返しておくイグニール。取り敢えず、わかったわかった、なんて雑に小さく頷くと、同時に駆け寄る少女を視認した。

 金色の目をした銀髪の少女。少女は剣を片手に提げたまま、困惑の視線を向けてくる。


「貴方────」

「ごめんな。キミの忠告、聞けなかった。こうするしかなかったからさ」


 あくまでも手短に。謝罪だけを伝え、視線は再び怪物へ。長々と会話している暇はない。今はまだ俺に怯えてくれているようだが、いつ動き出したものかわからないし。


 少女の応えを聞かず、思いっきり跳躍。足の裏から魔力を放出し、速度を上乗せしてやりながら。鱗を生やした拳を握り、勢いを乗せて怪物の顔面めがけてそのまま────振るう。


「……爪が痛え」

『慣れろ。それは仕方あるまいて』


 当然、右腕の無駄に伸びた爪が掌に突き刺さり、若干の痛みを伴いながら血液を地面に滴らせるものだが、それもすぐに治っていった。

 どういう仕掛けかはわからない。でもまあ、そんなことをぼんやりと考えている暇もないか。


『致命傷ではないぞ』

「わかってる」


 情けない声を上げて吹き飛んでいった怪物を尚も見据え、自身の体の内部────新たに生み出された臓器へと意識を向ける。

 魔力高炉まりょくこうろ。イグニールと契約することで体内に生み出された、魔法を行使するための臓器だ。

 位置は心臓の隣あたり。元々そこにあったかのように、しっかりと既に身体に馴染んでいる。


聖唄せいばい 獄炎竜ごくえんりゅう────第一節 権能けんのう紅蓮剣ぐれんけん


 紡ぐは聖唄……その全てを詠唱しきることで、生み出される魔法的現象が強化される────らしい。

 しかしまあ、この相手ならそう仰々しい真似をすることはない。これだけで十分だ。

 辺りを舞い散る炎が右掌に集まり、ソレが硬質を以ってひとつの現象と成る。生み出されたのは赤黒い、イグニールのモノと同じ鱗で形成された刀身を持つ直剣だ。

 ……この剣、もしかして。


「いや、そんなことより今はあっちが先だ」


 吹き飛ばされた異形が態勢を立て直す。翼を大きくはためかせ、空に逃げ出そうとしているのが見えた。


 そんな行為を、到底許すわけはないけれど。


「ど、ら、ぁ!」


 跳ぶ。数度の跳躍。その度に体を加速させ、飛び立つ異形の懐に潜り込むには数秒もかからなかった。

 このまま逃してしまえば、より多くの人が殺される。ソレがわかっているが故に、逃す理由なんてカケラも無い。

 躊躇いなく振るわれる剣。自分の力で振り回したとは思えないほど豪速で、的確にその命を絶った。


「次────」


 溢れ出る殺意が止まらない。ここまで堪えて居たものが、炎と化して轟々と燃え盛っているようだった。

 俺の中に揺らぐ殺意と怒りを、全てここで火にくべてしまうのではないか。そんなことを、思う程度に。


「聖唄 獄炎竜────第四節:炎顎滅喰えんがくめっしょく


 紡がれた音を感知し、魔力高炉が反応。辺りに生み出した魔力を炎という形で撒き散らすと、世界が呼応し、剣に変化が現れる。

 直剣の鍔。それがメキメキと音を立てて変形し、イグニールのソレによく似た顎門と成る。その大きさは、俺の肩から指先程。直剣の刃にすっぽりと被さる程だ。

 二体目の異形との距離は大凡十五歩弱。この大きさでは顎門の攻撃は到底届かない。


 ────だが。


「其の顎門は理不尽に。〝無〟だけを残し、常世全てを滅喰する。強靭な歯を前に────おのが命の価値を知れ」


 完全詠唱。唄の全てを紡ぐことで、その効力、その範囲の真意を生み出す。

 竜の顎門の前では全てが無意味。抵抗も、逃走も許さない無慈悲な一撃。

 死の概念を孕んだ顎門が肥大。その大きさは、異形を喰らうには十分すぎる。

 辺りに響くのは骨が砕ける鈍い音と、コンクリートに血が滴る水音みおと

 ソレに恐怖を駆られてか、最後の一体は俺の視界の隅から両手を挙げ、飛びかかってくるのが見えた。

 顎門が消失し、刃が露出する。そのままの勢いで剣を振るい、異形の首を狂いなくねた。


 ……これでここに居たのは全部か。一応視線を巡らせ辺りを見回しても、同じような怪物は視認できない。

 それが確認できたのと同時に、緊張と怒りの糸が切れたのか、身体に疲労感が襲ってきた。思わず地面に膝をつき、重いため息を吐き出す。


「ご苦労。初めてにしては上出来じゃな」

「そりゃ結構だ」


 当たり前のように、俺の目の前に現れるイグニール。一瞬で姿を消したり現したりするのは最近のブームか何かなんだろうか。

 軽口を交わす余裕こそはあるけれど、少し休まないと歩くのも難しそうだ。思えば地震があってから走り回ったり、飛び降りようとしてみたり、謎の力で戦ったり……身体に無理をさせすぎた気もする。

 けれど、休んでる暇も今は惜しい。何とか足に力を入れて、その場に立ち上がる。


 途端────、



────────────


……途中送信とかではないです。今回は少し短めですが、ようやくここで克己のプロローグは終わりです。もうひとりの主人公のプロローグが始まります。プロローグはまだ終わらない……。

レビューありがとうございました。文字通り飛び跳ねる勢いで喜んでしまった始末。流行るといいなあ。

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