第6話 『M:プロローグ 1』
男というものは強く在るべきだ。
小さい頃からそう言い聞かされ、育てられ、今になってなかなか厳しい教育だったと思うことも少なくない。
色んな武道を習わされたし、礼儀から何まで教育された。
教育というより調教。それでも幼いながらに、親父のその言葉や態度からは愛を感じて居たから苦痛に思うことはなかった。それに、
『男は大切なものを守るために強くなれ。柳二にもいつか、そんな人間が現れる』
強く在るべきだ────その言葉に必ず続く言葉には、オレも同意だったから。
男で在るのなら、誰かを守るべきだ。
愛した人くらいは守れなくちゃいけない。
当時小学生だったってのに、なかなかにマセた事を考えて居たものだと今だから思う。早く大人になりたくて仕方がなかったんだろうな、きっと。
……そんなオレに、守りたい人ができた。
親友に────克己に会う前の話。今から六年くらい前だったか。
オレが中学生に上がった時に、オレはそいつと出会った。
いつだって話題の中心で、いつだって笑みを絶やさない。明るくて仕方がなくて、お人好しでお節介で。太陽みたいな女だった。
オレはそいつに、恥ずかしい話だが恋をしていたんだと思う。
そいつの名前は
オレは思ったより行動派だったみたいで、杏華が気になるとわかった時には行動に移していた。
オレたちのことを面白おかしく噂する連中もいた。それでも知ったこっちゃない。
部活が終わったら二人で帰ったり、休日に二人で出掛けたり。それでも告白する勇気がなかったのは、恥ずかしい話だけど。
それから一年。中学二年生の夏。
杏華が茅咲駅前で、事故に巻き込まれて死んだ。
居眠り運転が原因だったそうだ。トラックの運転手が日頃の疲れでウトウトしてたもんで、そのままハンドルの操作を誤って。
守る、なんてことはなく呆気なく死んでしまった。
オレの強さはなんのためにあるんだろう。そんな答えの出ない自問を繰り返しながら、葬式では涙を流すことすらできなかった。
悲しいとは思う。悔しいとは思う。けれど、それが表情として表に出ることは、決して無くて。
「……なあ、親父」
不気味さを感じるほどに静かに響く木魚の音の中、オレは。親父にひとつの問いを投げた。
「……泣けないんだ、不思議と。オレは、薄情なやつなのかな」
オレの問いに、親父はただ黙り込むだけで。
答えを聞けないまま、五年程の月日が経った。
◇◆◇
「へー、御守りにヘンな鹿ねェ」
大学の食堂。二限をダラダラと過ごしたあと、親友の克己から奇妙な話を聞いて、小さく頷きを返した。
その言葉には嘘は無さそうだ。確かに首から奇妙なペンダントをぶら下げているし、コイツの〝見える〟体質ってのも本当の話。
数回、発作の現場に居合わせたことがある。その時の克己は死ぬほど辛そうな顔をしていて、なまじ面白半分で嘘をついているようには見えなかった。
信じる、なんて応えた時の克己の間抜けな表情は今でも忘れることはできない。
マヨネーズを大量に注いだカレーを口に運び、
「今はなんか見えねーの? 鹿とか、そういうの」
「んん?」
何気なく、思い浮かんだ問いを投げた。
コイツの目にはオレと違う世界が見えてると思うと、ほんの少し面白い。こんなこと言ったら克己は呆れ気味にため息を返してくれるだろうが。
そんな思考を他所に克己は数秒辺りを見回し、オレの肩を注視して、
「……居た。妖精? っていうのかな。今おまえの肩の上にいる」
「……………………ふざけてねーのはわかりきってるけど、アレだな。この台詞だけ聞くとヤクでも決めてそうに聞こえて笑えてくるな」
些かヤバすぎる返事をくれた。オレの肩の上────虚空を見つめながらそんなことを言う様は、なかなかヤバい。本当に。
対して、克己は思った通りの反応。大きすぎるくらいのため息を吐き出してから、
「こっちは笑い事じゃねえっつの」
やれやれ、と大きく首を横に振る。
まあ確かにその通りだろうな。本人としちゃたまったもんじゃないだろう。普通の人間には見えないものが、自分には見えてしまうなんて。
かといって安い同情をかけるのも違う気がするし、オレはだんまりを決め込むしかないんだが。
心配はしているし、なんとかしてやりたいと思う。しかし、オレにはソレをどうしようもできないことがわかっているから。せめて、話を聞いてやるしかないんだろう。
「出来れば見たくないモノな気もするけどな」
……うん、だから急にひとりで会話を始めたとしても、甘んじて受け入れるしかないんだ。わかっちゃいる。
「え、え、なに。やめろよ。なんか怖い」
……わかっちゃいるが、怖いもんは怖い。しかもそいつ、今オレの肩の上に居るんだろ? 怖すぎるわ。
「怖がるほどの会話はしてないよ。みんな自分のことが見えなくて残念だって……あとお前からいい匂いがするってよ。妖精が好きな匂いなんだそうだ」
「…………え゛っ」
しかし、思った以上にのんびりとした会話だった様子。
にしても妖精の好きな匂いってなんだ。マヨネーズの匂いか? 杏華にはよく、『マヨラーすぎて体臭もマヨネーズになってない?』なんてよく言われたものだが。
思わず自分の体臭を確認。まあ当然の如くよくわからん。オレは妖精じゃねーし。
「……誠? オレ変な香水とかつけてないんだけど」
「誠。そのひと本来の匂いとかじゃねえの? 知らんけど」
くれる返答は頗る他人事。オレの悩みなんてどこ吹く風、みたいな感じだった。まあ、事実他人事だしなあ。
……妖精に好かれる、か。前世の功績か何かだろうか。
正直前世だ転生だってのは信じてなかった話だけど、克己の話を聞いてるとそんなことも信じていいんじゃねーかな、なんて思ってしまうのが不思議だ。まあ、その方が面白いって思うのもあるけど。
数秒の沈黙。カレーをもうひと口頬張ろうとスプーンをあげた途端、
「……俺、そんな無理してるように見えるかな」
そんな言葉が、克己の口から飛び出した。
おそらくこれは独り言。誰に宛てたわけでもない言葉。大方、妖精とやらに何か言われたんだろう。
それでも、その言葉は何処か応えを求めている気がして。
「だいぶ」
「だいぶか」
するりと。なんの抵抗も、躊躇いもなく。オレの口から応えが溢れ出た。
事実克己は無理をして生きている気がする。何かに向かって、がむしゃらに走り続けているように見える。
燃料は己の命。全てを燃やし尽くして、何処か遠いところを目指して走っているように。
その姿に共感した。オレも、似た部類の人間だ。だから高校に入学した時コイツに声をかけたんだろう。
でも、似ているようで同じなんかじゃない。コイツのソレは度がすぎている。だから、誰かが近くで見ていてやらなくちゃいけないって。
発作が治まった時の克己の顔。
真っ青で、今にも倒れそうな顔をしながら。
その瞳の中にはいつも、哀れみの感情が揺らいでいる。
心の底から、同情しているような。
だからだろうか。そのうち、『はいどうぞ』ってなんでもないことのように、誰かに命を投げ渡してしまうような。そんな危うさを克己からは感じる。
ぐるぐると回る思考。お互い食事に専念し始め、顔を見ることはない。しかし、
「……地震?」
あるひとつの変化に、克己が口を開いた。
しかもなかなか大きい。徐々に、小さい揺れから立っていられないほど大きく。今まで感じたことがないほどのソレに生命の危機を感じ、克己と机の下に潜り込む。
「なあ克己。ヤバくないか、これ?」
「……だいぶ。揺れも大きいし長いぞ」
間の抜けた会話だ。やばいことなんてわかりきってるんだよ。それでも、頭が現状を飲み込んでくれない。思考が正常に働かない。
だから、揺れがおさまって机から飛び出した克己を追いかけることができず。オレは食堂に取り残されることになる。
……この時点から。オレたちの世界は、大きく狂い始めたんだ。
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