第2話 『D:プロローグ 2』

「へー、御守りにヘンな鹿ねェ」


 そんなこんなで大学。二限を終えて、学食で昼食を摂りながら、友人の新倉にいくら 柳二りゅうじに今日の出来事を何となく話してみた、という塩梅である。

 柳二は俺の体質を真剣に信じてくれる唯一の人間で、何かと相談できる貴重な仲である。まあ他の連中の反応────白い目で見るだの気味悪がられるだの────が正解な気もするが、それはそれとして。

 柳二は俺の首からぶら下がったペンダントをまじまじと見つめながら、マヨネーズが絡められたカレーを口に運んでいく。

 何となくソレに倣うように天ぷら蕎麦を啜ると、


「今はなんか見えねーの? 鹿とか、そういうの」

「んん?」


 何気なく問いを投げかけてきた。

 蕎麦を咀嚼しながら辺りを見回してやると、死んだことに気づいていないような、周りと同じように学校生活を送る連中が数人。それはまあ、いつものこととして。

 ほんの少し、いつもより注視。気持ち幽霊たちからは目を逸らしながら。すると、


「……居た」


 確かに見えた。今度は鹿じゃない。羽の生えた、掌サイズの小人────妖精、なんて形容するのが正しいだろうか。

 それがひぃ、ふぅ……四体。そのうちの一体は柳二のカレーを興味深そうに見つめながら机の周りを浮遊しており、今丁度柳二の肩に腰をかけたところだ。


「妖精? っていうのかな。今おまえの肩の上にいる」

「……………………ふざけてねーのはわかりきってるけど、アレだな。この台詞だけ聞くとヤクでも決めてそうに聞こえて笑えてくるな」

「こっちは笑い事じゃねえっつの」


 ひどいデジャヴを感じる。つい数時間前に同じ会話をしたんだから無理もないけども。

 意外なことに俺の言葉に反応したのは柳二だけではなく、その肩に乗った妖精も。

 身体と同様に小さな瞳を瞬かせると、その顔に満面の笑みを咲かせてみせた。


「アナタ、ワタシのことが見えるんだ? なんか嬉しいなあ。みーんなワタシのこと、無視するんだもん」

「出来れば見たくないモノな気もするけどな」

「やだあ、ひどーい!!」


 何処と無くリアクションが大袈裟だ。今も身体をクネらせながら、肩まで落として大きなため息を吐き出している。妖精ってのは大体こんなんなんだろうか。


「え、え、なに。やめろよ。なんか怖い」


 ……気の抜けた会話だというのに、柳二は何やら怯えてしまっている。まあ目の前で虚空に話しかける友人なんてのは怖がって当然か。


「怖がるほどの会話はしてないよ。みんな自分のことが見えなくて残念だって」

「あとこの子とってもいい匂いがするの。妖精が好きな匂いだわ」

「……あとお前からいい匂いがするってよ。妖精が好きな匂いなんだそうだ」


 訪れる数秒の間。辺りの喧騒だけがそのなんとも言えない間を満たし、挙句柳二は「え゛っ、」なんて鈍い声を上げて、


「……誠? オレ変な香水とかつけてないんだけど」

「誠。そのひと本来の匂いとかじゃねえの? 知らんけど」


 あくまでも他人事。俺には妖精のことはわからない。

 くだんの妖精と言えば、ひと頻り柳二の体臭を嗅いだあと、満足したように羽根を揺らめかせながら宙へと浮かぶ。そのまま何処かへと飛び去ろうとしたのと同時、


「あ、そうだ」


 なんて。何かを思い出したように、肩越しに俺に視線をくれた。


「この子もいい香りだけど、アナタも────ううん、アナタは香りじゃない。色んなものに好かれそうな〝中身〟をしてる。気をつけてね」

「────、────」


 思わず押し黙る。返事がないのを確認すると、妖精は何処かを目掛けて飛んでいき、俺の視界から消え去ってしまった。

 今日は気をつけてだの、無理をするな、だの。そういった類の言葉をよくかけられる日だ。


「……俺、そんな無理してるように見えるかな」

「だいぶ」

「だいぶか」


 別に柳二に問いかけたわけではないんだが。律儀に応えを返してくれた。

 ……そうか、無理してるように見えるのか。

 なんとなくそんな思考を回しながら、お互いに食事を進めるだけの時間が続く。

 五分ほど経っただろうか。蕎麦を九割近く平らげたところで、辺りがヤケにざわつき始める。


「……地震?」


 そう、地震。それも結構長い。

 揺れは継続的に続き、次第にその揺れは大きくなり始める。

 ぐら、ぐら、ぐらり。気を張っていないと気づけなかった程の小さな揺れから、徐々に大きく。最後には立っているのも厳しい程に大きく揺れ始め、机の上の醤油差しや皿たちが踊り、そのまま床へと滑り落ちていく。

 椅子から転げ落ち、そのままの勢いで柳二と二人で机の脚を押さえつけ、その下に潜り込んだ。

 それは正解だったらしく、ちょうど机の真横に音を立てて照明が落下。ガラスの破片が足元に飛び散り、それを引き金にあたりに悲鳴の波紋が広がっていく。


「なあ克己。ヤバくないか、これ?」

「……だいぶ。揺れも大きいし長いぞ」


 まさしく地獄だった。大きな揺れが襲う中、聞こえて来るのは甲高い悲鳴と困惑。恐怖は恐怖を呼び、更に広く伝染していく。

 一生続くかと思われた地獄。それは思いの外あっさり終了し、机の下から柳二と揃って顔を出す。そして、


「増え、てる?」


 視界に広がる光景に、目を見開いた。

 惨状が凄まじかったからではない。地震の前に比べて人が多いんだ。その中には俺が朝目撃したようなよくわからない生物まで混ざり、その姿がさっきの妖精や鹿に比べてくっきり見えるものだから気味が悪かった。


「……なんだよ、なんだってんだよ。嫌な予感がする────!!」


 ◇◆◇


 駆ける。駆ける。駆ける。

 休ませろとがなり立てる肺を無視して、震え始める脚に鞭を打ち。それでも必死に脚を回す。

 ざわめく人混みを掻き分けて、倒れかけた電柱の下を潜り、押し寄せて来る『異常』に吐き気がする。

 結愛が通う高校まであと少し。湧き上がる焦燥と嫌な予感を押し流し、前へ、前へ。


「あ、が、は────くそ、」


 死に一番近い存在、だとか言われてるからだろうか。こんなよくわからない、根拠も何もない嫌な予感を感じ取ってしまうのは。

 校門を潜り、ヤケに静かな校庭を横目に下駄箱へと転がり込み、


 ────深く考えるな。授業中なだけだろ。


 ふらつきながら手すりを引っ掴み、二段飛ばしで階段を駆け上がって、


 ────あんなに大きな地震があったのにか?


 自問自答を繰り返し、これまた静かな、血生臭さが漂う廊下に出る。


 ────気にするな。これは、いつもの錯覚だ。


 廊下に転がるなにかを飛び越え、3−Aと中心に大きく書かれた、クラスの連中の似顔絵が貼り付けられた引き戸を勢いよく開いた。


 ────もう、目は逸らせない。諦めろ。これが現実だ。


 何度か訪れた教室で俺が目にしたのは、濃密なまでの死の気配と、


「……ゆ、め」


 今しがた心臓を穿たれた、唯一の家族の姿だった。

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