▶︎▶︎ ▶︎08.勧誘
人、人、人、人。
宵闇にネオンがそこかしこに光る。
電車に乗ってここ隣町に来たのは、ハシモさんや運転手の先輩達に新入社員歓迎会とか言われて連れてこられた時以来、一年ぶりだ。
その時は女の人が沢山いる店に連れてゆかれた。
「こいつ、こう見えて三十五だからよー」とか適当な嘘をハシモさんが店の人につくと、店の人はあっさりぼくを通してしまった。
先輩達と店のお姉さん達に気まぐれにいじられるし、お酒は勧められるし……
もちろん飲まなかったけど、スカさんはこういう集まりに参加しないから、守ってくれる人も居らず散々な目にあった。
その日のことをぼんやりと思い出しながら、ぼくは電話ボックスの向かいにあるビルの陰に人目を避けるようにして立っていた。
人混みが嫌だというのもあるけれど、何より今の格好が小っ恥ずかしい。
ジャージで
途中スカートを履かされそうになりながら、最終的に下はスパッツと短パンの重ね履き、上は七部丈のちょっと大きめのボートネックのシャツという姿で落ち着いた。
二人共背格好が似ているからなんとなく着られてしまうけど、服の形がなんか女物っぽい感じがして、何だかな。
ただ、首元に細く畳んだ黄色のスカーフを巻かされそうになったけど、それだけは文句を言われながらも断固拒否させてもらった。
「お待たせぇ」
電話ボックスから
「誰に電話かけてたんですか」
「ちょっとねぇ」
「その、電話した人のところに行くんですか」
「まぁまぁ、それは着いてからのお楽しみってことでぇ。さささ」
話をはぐらかされ、
駅から離れて大通りから外れた商店街へ。
商店街も、大きな通りから路地の方へ。
祭りでもあるのかってくらい人と音で溢れている。
「あの、どこに向かっているんですか」
「怖いのぉ?」
怖ですよ酔っ払いばっかりだし。
さっきは車の間を複数のバイクがすごい勢いですり抜けていった。
道ゆく若者が全員不良に見える。
「そ、そうじゃないですけど、でも、自分が何をしにゆくのかくらい流石に知りたいというか……」
何かあったら
でもできれば危なそうな道には行ってほしくないんだけど……
そんなぼくの気も知らず、後ろに束ねた髪をぴこぴこ揺らして人混みを縫って進んでゆく。
「だから、さっきも言った通り」
くるっとこちらに振り返り、首に巻かれた辛子色のハンカチにすっと触れる。
「ボクらの仲間がいる所さぁ」
立ち止まった横にある小さな雑居ビルには、地下へと続く階段がぽっかりと口を開けていた。
▶︎
薄暗い階段を降りていく度、下から響いてくる音圧が高まる。
扉から漏れてくるのか、煙草の香り。
「ちょ、ちょっと
「なぁに」
「ちょっとだけ待ってもらっていいですか」
「やっぱり怖いのかなぁ」
「怖いです」
階段の下の方からじいっとこっちを見ていたと思ったら、急にによによし始めた。
「うーん、素直な
「いや、怖い怖くないは別にいいんですよ。必要なら入りますから」
「? じゃあ何が気になっているのかなぁ」
「一から十まで全部です。なんですか仲間集めって」
「キミが人前で歌えるようになるためのだよぉ」
「それって、貫通祭でぼくを歌わせるってことですよね」
「結果そうなるかもだけど、ボクの目標はキミの歌をみんなに届けることだからねぇ。貫通祭はその通過点でしかないよぉ」
「相変わらず強引ですね」
ため息交じりにそう言うと、にししっとやんちゃな顔をされた。
「キミが素直に自分の気持ちを言ってくれるんだからさぁ、ボクが本音を隠す理由もないしねぇ」
「電車の中でも言いましたけど、正気の沙汰じゃないです。あの演歌の大御所、
じいっとぼくを見ていた
「キミはどうなのかなぁ」
「ぼくですか?」
「キミはさぁ、貫通祭で歌いたくはないの?」
「人前で歌えないのに、貫通祭で歌いたいかって言われても……」
「できる、できないじゃなくてぇ、したい? それとも、したくない?」
したいか、したくないか、か。
どうだろう、ぼくの心の本当の奥底は。
ちょっと考えてみたけれど、気持ちはぼんやりして定まらない。
「……すみません。よくわからないです、考えてみても」
「よくわからない時はさぁ」
ぐっと右手を握られ。
「とりあえず前に進んで、それから考えればいいのさぁ!」
下へと手を引かれた。
「ちょ、危ないですから!」
階段の下からぐいぐい手を引っ張られたら、ぼくの抗議なんて全くの無意味でとにかく足を動かすしかない。
階下には貧弱なドアがあり、その上に店名の書いた電飾看板があった。
確認する間もなく扉が開けられると、隙間から煙草の香りと共に馬鹿でかい音が漏れ出す。
手を引かれてそのまま中へ。
そこは薄暗い照明の小さな喫茶店になっていて、そして爆音でロックのレコードがかけられていた。
四人がけのテーブルと二人がけのテーブル合わせて十五卓くらい置いてあって、半分以上埋まっている。
客層は結構若くて大学生くらいの人たちが大半。
皆一様に煙草を吸っているけど、明らかに高校生だよねって人もちらほらいる。
四人がけに座っていた学ランの集団の一人がふらりと立ち上がると、こっちに向かって歩いてきた。しかも煙草を咥えたまま。学ランは裾広がっているし、なんか近寄りたくない。
「へい、カノジョ。そんなもやしみたいな男ほっておいてこっちで俺とお茶しない?」
学ランは焦って
「おい無視してんじゃねえよ」
後ろからは仲間たちが囃し立てる声。
気がついた時には、反射的にそいつの手を左手で掴んでいた。
学ランが覗き込む様にして顔を近づけてくる。
「んだテメェやんのかコラ」
あ、やばい怖い。
学ランが声にドスを効かせて煙草臭い息を吹きかけてくる。
ちょっとひるんだけど、所詮は親から金出してもらって学校行ってる奴だ。
そう考えたら、ちょっと心が落ち着いてきた。
スピーカーからは大音量のロック。
相手は目の前。
試してみるか。
眼前一センチの相手の脂臭い息を我慢して腹に一呼吸。
そして、制限を設けずに相手の目を見て声を解放した。
「気安く触ろうとするなよ!」
眼前の学ランに言葉の塊を叩きつける。
一瞬後、あれだけ爆音で音楽がかかっている店内が無音に感じた。
面食らった学ランは後ろに二、三歩後ずさったので手を離す。
暫く惚けた顔をしていたけど、急に顔を真っ赤にしてこっちに向かってきた。
あ、これ殴られるな。
「
後ろへ引いて避けさせようとする
側頭部に風圧を感じ、ぱんっという音がする。
反射的に目を閉じる。
それでも、一向に衝撃を感じることはなかった。
何が起きたのかと思い左を向く。
頭に叩き込まれる筈だった大きな手の平が学ランの拳を受け止めている。
その手を辿って上を向くと、そこには銀色のお盆に水を二つ乗せて持つウェイターの格好をしたスカさんがいた。
「揉めるなら出て行け」
スカさんは表情を変えずに学ランに伝える。
「け、けどよコイツがオレにでかい声で……」
「二人共俺の客だ」
学ランは何か言いたそうだったけれど、舌打ちして席へと戻っていった。
スカさんはそれを見届けると、あっけにとられた顔をしているぼくへと向きなおる。
「何でお前がここにいる」
「それは……こっちのセリフですよ。こんな所で何やっているんですか」
「家事手伝い」
「家事?」
ウェイターが?
「座りな取り敢えず」
勧められた四人がけの席に座ると、隣に
なぜ向かいじゃなくて隣?
「何にする」
氷の入ったグラスを
「ボクはコーヒーで」
「じゃ、じゃあ、ぼくはクリームソーダでいいですか」
大きな手でさらさらとメモを取るとカウンターの後ろへと消えていった。
テーブルの上の水に口を付けていると、横から何か嫌な気配を感じる。
ちらりと見ると
「な、何ですか」
「オレの彼女に気安く触ろうとするなよぉ」
はぁ?
「彼女とか言ってないですから。捏造しないでください」
「カッコよかったなぁ。もう一度言ってぇ?」
「嫌ですよ」
「照れちゃってぇ」
「そ、それよりどうゆうことですか。何でスカさんがここにいるんですか」
「そりゃ、ここで働いているからでしょ」
「え、働いているって……」
バスの運転手をしながら?
「そこから先は本人に聞いた方がいいんじゃないかなぁ」
コーヒー二つとクリームソーダをお盆に乗せて、スカさんが戻ってきた。
何故二つ?
疑問に思っていると、一つは
「それで、何の用だ」
長い指でカップを掴むと、砂糖も入れずにそのまま口を付ける。
「えっと、スカさん給仕やっているみたいですけど、大丈夫なんですか」
「店長には許可取った」
カウンターに目を移したので、そっちを見る。
エプロンをした背の高い切れ長の目をした女の人がカウンターに肘をついてこっちを見ていて、にゃはーと笑ってから手を振った。
あれが店長?
「大体俺はここで働いているわけじゃない」
え。でも黒いベストに首元には黒い蝶ネクタイを結んでいるし。
「実家だ。ここ」
……
「えっ! スカさん実家が喫茶店なんですか!」
こくりとスカさんが頷く。
「えと、じゃあ何で
「大学じゃ有名だからねぇ、喫茶横須賀は。爆音でロックのレコード聴かせてくれる店って」
ああ、ぐいぐい引っ張られて店名見えなかったけど、店名、まんまスカさんの苗字なんだ。
確かにバスの中で見たことがあるような顔がちらほらと散見される。
「それに週二日来て、たまぁに気が向くとブルーズやハードロックを弾くウェイターのギターの腕前も」
「ギターの腕?」
スカさんに目を移すと表情を変えずにコーヒーを
ああ、そういうことか。
もちろん整備をしてくれたであろうホッチさんの腕が確かなのは間違いない。
だけど、それだけであんな芸当できっこない。
運転をする人が、リズム感がなければ。
「ここに来た理由はそれか」
「そうです。ギターの腕があってぇ、そして
「ちょ、
「なら、これ以上話す必要はない」
スカさんは話を切り上げるとコーヒーを皿に置き、椅子の上で折りたたむようにしていた足を伸ばしてゆらりと立ち上がった。
ぼくの心臓が店内に流れるドラムのビートに合わせて早打ち、背中を冷たい汗が流れる。
そりゃ、人の私生活にずかずか上がり込んで身勝手な要求をされたら誰だって怒るだろう。
「あの、ごめんなさい、その、急に押しかけて……変な、お願いを……」
口の中がぱさついて、言葉がうまく出ない。
手を付けていないクリームソーダのアイスが溶け、透明な緑色の液体を濁らせてゆく。
不意に頭に大きな手が置かれる感覚。
そして、くしゃくしゃと撫でられた。
「溶けるぞ。早く食え」
「……はい」
「そしたら出発だ」
「はい……はい?」
「ここは音がでかい。打ち合わせには不向きだ」
「スカさんそれって……」
頭を上げると、目が合う。
「貫通祭、出るんだろ」
そう言えば、スカさんも昨日の夜蕎麦の
そして、ぼくが人前で歌うことに対して苦手意識を持っていることも、
だから、変に隠したりせずに正直に話す。
「……わかりません。歌えるか、人前で、まだ自信が」
目線が濁ったクリームソーダへと落ちてゆく。
「
スカさんの声が、それを止めた。
「お前だけで、バスでお客を運べるか」
「それは、無理ですよ。スカさんがいないと……」
「なら、同じだ。お客をノせるなら、俺を忘れるな。そしたら、客もお前も、望むところまできっちり届ける」
頭から手が離れ、その手が拳を握り、ぼくへと突き出してくる。
ぼくもグーを作ると、ゆっくりと前に突き出す。
二人同時に軽く突き出しこつんとやると、スカさんはタスマニアデビルがワラビーの腹を嬉々として食べる時みたいな顔をした。
ぼくはそれを見て、心が解れるのを感じて自然と表情が緩んだ。
「話はまとまった。出発の準備だ」
「えー。また兄キ逃げ出すんかい」
店長さんが不服そうに顔を歪める。
あ、やっぱり妹さんだったのか。
「ボクは別にここでも良いですよぉ」
女子二人を交互に見た後、スカさんは肩を竦めた。
「俺はいいが、あの娘はどうだ」
ギターバッグを背負いながら、顎で入り口を指し示す。
「あのっ、ろっ、
目線を向けると、入り口の扉の隙間から体と豊かな胸をぷるぷる震わせて怯えきった目をした
カナリア・オーヴァドライヴ もにょもにょ @monyo_monyo
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