▶︎▶︎ ▶︎04_a.目付
やったやったぁ!
雨の中、夜の山道を歩くのは結構難しい。
まず光があまり届かないし、おまけに地面が泥濘んでいて足を取られる。
けど、ボクの足取りは軽かった。
賭けっていう、ちょっと強引な手段に出たのは良くなかったかも。
本当は自分から受けようって気持ちになるまで待ちたかったけど。
けど、あの
でも、テッシーの協力とか、運転手さんの協力で、証明できた。
来週から、早速練習開始だ。
と言っても人前では歌えないとか言っていたなぁ。
理由聞きそびれたけど。
何か方法考えなきゃ。
練習どこでしよ。
ボクの家?
おふとんとか干しておいた方がいい?
おっとそれは本番の話だろぉ、ボクったら!
考えるのは歌の練習!
でも、もし来たら食事くらい作ってもてなした方がいいよねぇ。
喉悪そうだったし、辛いものは止したとして……
やっぱ肉じゃがかぁ?
男子はアレ作っておけば陥落するって聞いたことあるし……
って何考えてんだ。
考えるなら喉のことだって。
でも肉じゃがいいよねぇ。
そう丁度こんな感じの醤油ベースのいい匂いが……
木立の間から見える自分の家を見て愕然とする。
電気付いているよねぇ、あれ。
夜帰って来てもわかるように、玄関前の電気は
けど、家の中まで明るい。
しかも、台所の換気扇が回って肉じゃがのいい匂いが立ち込めている。
気が効くなぁ、誰か先回りして作ってくれているのかぁ。
グッジョブ!
ってそうじゃない。
誰かがボクの家に勝手に上がり込んでいる。
頭の中に一つの答えが浮かぶ。
引っ越して来た日に勝手に上がり込んでいた女。
運転手の横須賀さんがぼくの家で会ったという女。
そして
花嫁衣装を着た、褐色の肌を持つ女。
ボクの日常に入り込む、非日常の影。
名前は確か……ウジだっけ? クズ? グズ?
まぁいいやどれでも。
本当はこの歓迎されざる客を恐れた方が良いのだろう。
何せ勝手に人の家に上り込むような奴だ。
常識が通用するとも思えない。
だけど、アイツのことを考えていると段々ムカムカしてきた。
なんでよりによって
ボクらのことを邪魔しに来たのか?
そうはさせない。
幸い雨が降っているから足音は紛れる。
忍び足で近づいてやろうかと思ったけど止めた。
ここはボクの家だ。
何で主人のボクがコソコソしなきゃならないんだ。
そのままズンズンと家に近づいてゆく。
玄関の隣には、悪路でも大丈夫そうな無骨なサイドカーが停まっていた。
少し離れた所に猫の瞳が闇の中で光り、嗄れた声でナァ゛と鳴く。
クソが。
景気付けに車体に蹴りを一発入れると、ドラム缶のような音が山中に響く。
その勢いに乗せて、玄関のドアを開けようとした。
けど、鍵が掛かっていて開かない。
仕方なく自分の鍵を取り出して開けると、今度こそ勢いに乗せて玄関扉を横に引き開けた。
ガシャン、と扉に挟まったガラスが悲鳴をあげる。
中には見覚えのある女が食卓に座っていた。
明るいところで見るのは初めてだけど。
背が恐ろしく高い、宵闇のように深い褐色の肌を持つ女。
目は鋭く鼻筋が通っていて、純白のフリルが付いたスカートを履いている。
上品なそのシルエットをぶち壊すように、上に
豊かな胸は割烹着を下から押し上げ、その存在を主張している。
そして食卓の上には二人分の食事が並べられていた。
飲んでいた牛乳を机の上に置き、こちらに向き直る。
「遅かったな。ご飯にするか。それとも風呂が先か」
自分の血管が切れる音がするのが聞こえた。
「出てけぇー‼︎」
クズは動揺した素振りも見せない。
「そんな喉の使い方をしていいのか。音楽やっているんだろ、アスモ」
「アス……はぁ? お前誰だぁ! ボクの家に勝手に上がり込んで飯作ったりしてぇ‼︎」
「そういえば前に家に来た時、朝食作っておいたが食べたか」
「あれ作ったのはやっぱりお前かぁ!」
「食べたか?」
「食べたよ結局! 捨てるの勿体ないからぁ! 魚焼きグリルに入っていた魚もさぁ!」
「ああ、あの
「あれそこの川にいるのぉ? 道理で美味しかったわけだぁ! いい焼き具合だったよぉ。何か皿に用意されていたあの緑のやつ、柚子の香りがするちょとピリッとしてて。あれ付けたら川魚特有の臭みも消えて……ってんなこたぁどおでもいい!」
危うく食の話題に気をとられるところだった。
策士め気をつけないと。
「喜んでもらえたようで何よりだ。それより早く上がったらどうだ。雨で体も冷えているだろう」
「上がるさぁ、上がるともさぁ! ボクの家だぞ上がったらでてけよぉ!」
涼しい顔して座り続けるそいつを見て血圧が上がるのを感じる。
おいふざけんな玄関奥のその席は凍江クンのための席なんだよ。
泥の付いた靴を蹴飛ばすようにぬぎすてると、閉じた傘を手に家に上がった。
残念だけど家に電話を引いていないから警察を呼ぶこともできない。
戻っても、もう
手に握っているこいつで対処できるか自信はないけれど、贅沢言ってられない。
敵意むき出しのボクを見ても女は動じる風でもない。
その態度が神経に触る。
尤も、こいつがどんな態度をとろうとイラつく気もするけど。
「何だ食事でも風呂でもないのか。それともわ・た・し♡の方だな。それなら早く言え。ピアノの下から布団引っ張り出しておいたものを」
「これ以上家のもの勝手に触ってみろ、
クズはゲラゲラ笑いだす。
余裕たっぷりな態度が神経に障る。
「あの無能力者にそこまでの甲斐性があったら喜んでここから立ち去るよ」
箸で摘んだ
あの肉じゃが、まさか冷蔵庫に入れた牛肉使っていないだろうなぁ。
あれ隣町の肉屋で手に入れた奴だぞ、久しぶりの牛肉。
クッソ脳天に一発ブチかます。
世界のホームラン王ばりの上段の構えでジリジリとにじり寄る。
クズは相変わらず食卓に座ったままだ。
「そうだ思い出した」
「何だ今更謝っても許さないかなぁ!」
「肉じゃがが
そう言って
食べ物を粗末にしやがってぇ!
地面に落ちる寸前のところに仰向けに滑り込んで口で受け止める。
その隙にクズはのしかかる様にボクに襲いかかって来た。
しまったと気がついたときにはもう遅い。
傘を持つ右手にクズの左足が置かれ動きが封じられ、手にした武器を無効化される。
クズの顔は照明を
体を動かそうにも腹の上に乗られて、身動きが取れない。
空いた方の手で椅子を取ろうとするも、長い手で退かされてしまう。
組み敷かれているので、喉を詰まらせないよう急いで
それを待っていたかのように、クズが顔を近づけて来て、ボクの唇を奪う。
ってか舌まで入れやがって噛み切ってやろうかとしたけど、量の親指を突っ込まれた。
それでも噛み付いていると指から滲んだ血で口の中が鉄っぽい味になる。
口の中を舌が動き回る。
最後の抵抗で膝蹴りを入れようとするけど、スカートが邪魔して背中にすらまともに当たらなかった。
そうこうしているうちに頭の中がグニャリと曲がるような感覚に襲われる。
あぁ、ボクはこ に殺さ るのか
の女 れ なぁ。
ン、
う時
キミと 歩 み出 とい に……
一 を踏 そう
ボク は… …
ボ 、
……
……
……
眼球の水晶体を光が通過し、視神経に受光をし続ける。
その信号はやがて形に意味を見出し、意識へと繋がってゆく。
目の前には恐ろしく整った顔立ちの褐色の肌を持つ女。
ボクは今、床の上に寝転がっていて、こいつに組み敷かれている。
「おい、気がついたか」
女が口を開く。
「お前の名前は何だ」
「人に尋ねるなら、まず自分が名乗るのが礼儀ってもんだろぉ、レヴィア」
ぼくはそう答えると、目の前にいる女の目を
レヴィアもじいっと見返してくる。
「アスモなんだろうな、本当に」
「人の記憶の蓋を勝手に開けておいて、その言い草かぁ。鍵掛かったままでお前の名前言える訳ないだろぉ。早く退けよ、カウガール。肉じゃがとお前の唾液が混じって気持ち悪い」
「そいつはお生憎様だったな。お前こそこんな所で記憶に鍵したりして、手の込んだ事を」
アスモはゆっくりと立ち上がると、やっとボクは体の自由を取り戻す。
取り敢えずこいつの言っていることは無視。
右手のこりゃなんだ。
傘か。
レヴィア相手に中々ワイルドな戦いを挑もうとしていたな、ボク。
そのガッツを褒めてやりたい。
今度はゲバ棒に釘でも打って用意しておくか。
洗面所で念入りにうがいをして鏡を見る。
髪はプラチナブロンド。
肌は白く透き通るよう。
唇は桜色。
襟元を指で引っ張って胸を確認っと。
すらっとした体を彩る、優美な曲線を描いた二つの脂肪の塊。
先端は桜色。
最高に可愛い仕上がりのボク。
うん、今回も悪くない。
「ところでお前はここで何してんだよぉ」
「目付けだ」
台所から声がする。
戻って見ると、レヴィアは食卓に座っていた。
「ミカからの命令かぁ?」
「自分で願い出た。許可は取っている」
「何でそんな事を。おい、ていうか家に孫請けを家に入れるのは止せ」
年老いた黒猫が一匹、レヴィアの足元に鎮座している。
「足は拭いているし、こいつが居ても居なくてもお前に掛かればどうって事ないだろ」
「
レヴィアは暫く動かなかったけど、立ち上がって玄関を開ける。
猫は隙間から外へと消えた。
「で、自分で志願だぁ? 何でそんな事を」
「元はと言えば、私の失態だ。こちらが質問をしたい。何故、
「チッ」
あからさまに舌打ちしたけれど、レヴィアは動じない。
諦めて空いている向かいの席に座る。
ご飯にわかめと豆腐の味噌汁。
菜の花のお浸しには油揚げと椎茸が和えてある。
主菜は
肉じゃがは大きな鉢に入っていて自分で取るようになっていた。
何だこの栄養バランスを考えた良妻賢母って感じの夕食は。
有能か。
だが米食に牛乳はいただけない。
しかし。
「
花嫁衣装と
どっちかにしろ。
いやどっちも止めろ。
「隠していても伝わらないからな」
チッ。心の中で舌打ちする。
相変わらず食えない事を言う。
派手な見た目で本音が見えて来ない。
肌の色が濃いのも、
まぁこれに関しては魂の量も関係しているけど。
よく見れば眉毛もないと来ている。
ご立派だよ、
「言っとくけど、肉体酔いだからなぁ、それ。魂が肉体に影響されているだけ。引きの思考ができていない」
「その言葉そっくりそのままお前に返すぞ。何故
「別に固執してやしないさぁ。いつも通りのお仕事。魂の精錬と回収」
「
「その牽引役を役立たずにした原因を作ったのは誰さぁ」
「それは……私のミスだ。ペナルティはチェットが受けた」
レヴィアの目がちらりと玄関の外へ向けられる。
「あぁ、だからあんなに老いぼれていたのかぁ。いけ好かない奴だけど主人が愚鈍だと苦労するなぁ。その点は同情する」
「言い訳はできん。指摘の通りだ」
はぁ、だからさぁ。
「はい止め止め。別にキミだって辛気臭い面ボクに見せに来たかった訳じゃないんだろぉ? 折角作ってくれたんだ。温かい内に食べたいなぁ」
笑顔でレヴィアの青い瞳を見る。
見返していると、向こうが折れた。
「ご飯はどの位だ」
「そんなに多くなくていい。キミと違って体の燃費がいいからねぇ」
「食べないと大きくならないぞ」
「第二次性徴止まってんだよぉ。今年十九なのに米食って縦には伸びんわ。この胸だってお気に入りだからなぁ。キミみたいに下品じゃない。気品を感じ取って欲しいねぇ」
「だったら」
「そうじゃねぇ。触ったらぶち殺して強制送還するからなぁ。キミだってミカに目付け申し出た手前それは嫌だろ」
「……冗談だ分かるその位」
冗談じゃないだろ完全に。
どうせ耳まで真っ赤になっているんだ。
肌の色で誤魔化そうとしても無駄だからな。
「いただきまぁす」
はいはい全ての生命の魂の配分の管理者たるミカちゃんに感謝。
レヴィアは長ったらしい約定を唱えているけど、どうせ聞いちゃいないからな、ミカちゃん。
味噌汁を口にすると、鰹節の出汁が効いていて良い感じ。
こいつどんだけ前からここで料理仕込んでたんだよ。
にしても。
美味いなぁ、本当に。
小さく刻んだ長葱が体を内側から温めてくれる。
ご飯は温かく粒が立っているし、鯵フライだって衣が変に油染みてない。
一噛みごとに雨で冷えた体に血が回り、足の指先がぽかぽかしてくる。
うん、いいな、食事って。
肉体を持つ者の特権だ。
魂を刈り取られた生命の残骸の変わり果てた姿を咀嚼しながら、
ボクとレヴィアの肉体は仮初めのものでしかない。
物理とは別の原理の存在。
生命に魂を配分し、そしてその終焉の時果実を刈り取る者。
地球という宇宙の中の石ころに於ける、魂の管理者の『使い』だ。
▶︎
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