▶︎▶︎ ▶︎07.歌声

 下を見ながら、山道を歩く。

 すっかり道の両側には青々と草が茂り、初めて来た時から時間が経ったことを実感する。

 木々の葉は茂り、ぼくに届く日の光は柔らかい。

 足元に落ちる木漏れ日をどうにか踏もうとするけれど、自分の影が必ず先回りするので、それが叶うことはなかった。


 そうやって子供じみた遊びをしているうちに、林の中にぽつんと建つ一軒家が見えてきた。

 あと数十歩というところで足を止め、改めてその家を観察する。

 平屋木造の一軒家。

 なのに、こんな山の中なのにトイレは水洗だったし。

 よく見れば、玄関横にある台所の場所にプロパンガスが置いてない。

 この土地にしては有りえないくらい上等な仕様。

 それはなんとなく、生活の充実を図るためというより人を遠ざけるためなのではという気がした。


 木漏れ日が当たる家をぼんやりと眺める。

 この前来た時から、二ヶ月以上は経っているのか。

 その時は足元にまだ雪が積もっていた。

 今は土と草花と、その間を忙しなく動く虫達。

 目の前を、名も知らぬ羽虫が飛んでゆく。

 それを見ているうちに、心が段々落ち着いてくるのがわかる。


 初めてこの営業所に来た時はとんでもない山奥に来てしまったと正直思った。

 けど、すぐに良いところだなって思えた。

 それは良い先輩達に恵まれたというのは大きい。

 それとは別に、営業所周りの環境もあった。

 自然が沢山で癒される、みたいな話じゃなくて。


 虫や草や動物、鳥、木、川、山、天気といった人のことわりから離れたものが周りに沢山ある。

 ぼくらの日々の業務や、悩みやあるいは喜び、羞恥心、後悔は彼らには何の意味もない。

 それを見ていると自分の悩みがちっぽけに思える、とかでもなく。

 そもそもぼくらの存在に意味がなく、朝露と等価なのではと思えるからだ。


 それは、まやかしでしかない事も知ってはいる。

 現に彼らの居場所に営業所や音大、道路という形をとって干渉をしている。

 ニホンオオカミはとうに絶滅したし、トキももう佐渡に数羽いるだけ。

 ニホンカワウソは本州では絶滅した。


 そして、ぼくの心のもやもやはこの胸に存在している。

 目の前の家の六畳間には馬鹿でかいグランドピアノがあるし、休日だからきっと音大生一年生の女の人がいる。

 どこかで鳴く鳥の声を聞きながら、ぼくは自分の自分の中の、歌う必然性を探し続ける。

 そして、人のために歌う動機が見つからない。

 もう、歌は自分を高めるためだけに歌うって、そう決めてしまったから。

 でも、それしかないってわかれば。


 よし、歌おう。


 お腹に手を当てて、深呼吸を何回かする。

 曲は何がいいか。

 公共放送で流れていた、人形劇。

 ほおずき島を舞台にした子供達の冒険譚。

 誰もが知っているその曲の主題歌。

 牧歌的で、楽しくて、朗らかで。

 ぼくが歌うと、

 そんな歌。

 そして、口を開く。


 一発目から、自分の中で制限を設けない声を出す。

 基準は、自分が鼓舞されるか、されないか。

 自分の気持ちが上がるか、上がらないかだけ。

 明らかに曲調にそぐわない声。

 音大生はもちろん、人に聞かせていい歌い方じゃないと思う。

 けど、構わない。

 今は、自分のことだけ。


 サビのところでは自然に手に振りとか動きつけてしまう。

 どうせ誰も見ちゃいない。

 とにかくやりきれ。

 そして、もうすぐ一番が終わる。

 家からは何の反応もない。

 ここで歌うのを止めて帰るか。

 そう考え始めた時に、家が鳴る。


 そう、家全体が楽器のように鳴り響いた。

 ぼくの歌に合わせたピアノの旋律。

 前にバスでやられた時みたいに優しい導入じゃない。

 いきなり挑発するような、そんな調子。


 そう、これは伴奏なんかじゃない。

 歌を引き立てるつもりなんてない。

 完全に食ってかかろうとしている。

 素直に聴くつもりないじゃないですか。


 聞こえているよぉキミの歌声。

 いいねぇ我が儘で身勝手で。

 その分メチャクチャ純粋で。

 でもボクだってキミに負けない位我が儘さぁ。


 そんなこととうにわかってますよ。

 だからその余裕ぶった態度が気に入らないんですよ。


 残念だねぇボクはキミほど何もない。

 今だってキミに振り落とされないように無様に足掻いてる。


 嘘ばっかりですね。

 嘘じゃないさぁ。


 じゃあ、証明を。

 今すぐそれが嘘であることの証明を。

 嘘でないことの証明を。

 今、ここで。


                  ▶︎


 どの位、何曲位歌ったのか。

 膝に手を置き、下を向いて喘ぐように口で息をする。

 突然音の真空状態に放り込まれたようで、耳鳴りが酷い。

 玄関が開く音に、頭をあげる。

 寝起きだったからか、金色の髪をまとめることもなくジャージ姿で。

 頬は少し上気していて、玄関にその小さな体をもたれかからせていた。


 よかったよぉ、凍江こごえクン。

 そう言っている目から逃れるように下を向く。

「よかったよぉ、凍江こごえクン」

 だから口に出さないで下さいよ恥ずかしい……


                  ▶︎


「はい。そんなに熱くしてないから、喉には優しいと思うよぉ」

 目の前にマグカップが差し出される。

 素直に受け取ると、鼻に近づけて匂いを嗅いでみる。

 食卓の反対側に座った有奈華ありなかさんはからからと笑った。

「毒なんて入ってないさぁ。蜂蜜と生姜」

 喉に流し込むと、程よく温められたとろみと甘みが喉を包んでゆく。


「どお?」

 小さく頭を下げる。

「喉大丈夫?」

「……そこまで無茶はしていないつもりです」

「何か不機嫌そうだねぇ」

「そんな事ないですけど……」

 かちかちと台所にかけられた時計が時を刻む音以外聞こえてくるものはない。

 喉を蜂蜜湯で癒しながら、有奈華ありなかさんから話の口火が切られるのを待っていた。

 けど、あれだけいつも饒舌なのに、マグカップを持ってぼくをにこにこと眺めるだけだった。


「質問とか、しないんですね」

「質問?」

「なんで、ぼくが今日歌ったのか、とか」

「聞いて欲しいのぉ?」

「そうじゃないですけど、疑問に思わないのかなって」

「前に約束したじゃないかぁ。それはキミが話したくなったらって。それに」

 ふふっと、花のような笑みを浮かべて。

「喜びを噛み締めているからさぁ、今」

「喜び……」

「聴かしてくれた、きちんと、キミの歌を。ありがとぉ。今はさぁ、今ボクは本当に嬉しい」


 手元のマグカップに視線を落とす。

 だから、だからこの人は苦手なんだ。

 散々人のことをからかうような態度をとって。

 ここという時には暴力的な直球をど真ん中に投げ込んでくる。

 こんなの、勝てるわけないじゃないか。


有奈華ありなかさんは」

「なぁに?」

有奈華ありなかさんは、何で笑わないんですか」

「なにを?」

「ぼくの歌声です」

「どうしてぇ? すっごくよかった。雪の日はさぁ、キミの吐息を歌だって気づいて、それで、そこに込められたものを感じただけだけどさぁ。今日、聞いて確信したんだぁ。キミの中にあるものがボクや、ううん、みんなの心に炎を……」

「だからなんでそんなに熱っぽくぼくの歌のことを語るんですか‼︎」

 目を上げなくても、有奈華ありなかさんの肩が小さく揺れたのがわかる。

 驚かせて悪いと思っても、顔を上げられずそのまま机に突っ伏す。


「先生は、先生はぼくの歌い方を気持ちが悪いって、そう言いました」

 ……

「ぼくは、もうこうやってしか歌えないから、だから、嫌いな人もいるって、それは、わかるけど」

 ……

「先生はもうその声は聞きたくないって言うし、合唱団のみんなには足を引っ張るなって、あとは、笑われるか、もうそういう目に散々あってきたから、人前で歌えなくなって。それで、それで父さんも母さんも、ぼくより、咲が、咲がいるから、でも咲は、咲がいるから、有奈華ありなかさん何やってるんですか?」


 異様な物音に気がついて頭を上げると、有奈華ありなかさんがいつの間にか立ち上がって隣の六畳間に行っていて、奥の方から天井に届くんじゃないかって位大きな草刈り鎌を引っ張り出してきていた。

 この家はグランドピアノやら大鎌やらやたらとでかいものばかりだな。

 違うそんなことに感心している場合じゃない。

「その大鎌で何するつもりなんですか」


「え、そいつら刈りにいこうかなぁと」


 ……

凍江こごえクンの才能を貶めて成長を妨げる奴はさぁ、この地球にとって害悪でしかないから刈り取った方がいいと思うんだよねぇ」

 感情が抜け落ちた声で淡々と返えされる。

「……念のため確認ですけど刈るって、何をするつもりなんですか」

「いやそいつらをこの鎌でサクッとやるだけだよぉ? 物理的な痛みは伴わない筈だからさぁ、人道的だよねぇ」

「冗談ですよね?」

「ハハハハハ確かに凍江こごえクンの才能に気づかないでさらにそれを潰そうとする音楽の先生なんて、確かに冗談みたいな存在だよねぇ全く笑えないけど」

 駄目だ目が完全にいっちゃっている。

 取り敢えず刺激しないようにゆっくりと立ち上がって近づいてゆく。


「どうどう。あ、なんかいいお庭ですね。でもなんか草がちょっと茂り過ぎかなー。まずはあそこ刈りませんかいやー素敵なお庭になりそうだなー」

「ん? んあぁ」

 刺激しないように肩にそっと手を置いてピアノの横からゆっくり誘導し、縁側の窓を開けてサンダルを履かせて外へと連れ出す。

 庭に解き放つと、さくさくと雑草を刈り始めた。

 大して力を入れているように見えないのに、綺麗に刈られるのが不思議だ。

 取り敢えずは大丈夫かな?

 ぼくは一旦家の中に戻り、台所から二人分のマグカップを持ってくる。

 縁側に腰を下ろして有奈華ありなかさんの仕事っぷりを眺める。

 久しぶりに歌った後で取り止めない自分語りをしてしまい、なんだか疲れた。

 すっかり冷めてしまった蜂蜜湯をちびちび飲んでいると、下草を刈り尽くした有奈華ありなかさんがぴたりと止まった。


「ハッ、ボクは一体何をしているんだぁ?」

「お庭の手入れしていたんじゃないんですか」

「なぜそんなことを。っていうかこの鎌なんだぁ?」

 こっちが聞きたいですよ。

「庭も綺麗になったし、取り敢えずその物騒なもの仕舞いませんか」

「どこにぃ?」

「押入れから取り出してましたよ」

「押入れ?」

 なんで自分で出したのに疑問形なんですか。


 鎌持ったまま縁側に来たので、怪我しても嫌だし脇に避ける。

 それにしてもなんか肩に大鎌担いでいる姿が様になっているな。

 有奈華ありなかさんはサンダルを脱いで室内に上がると、おっと押入れの中に頃合いの隙間がとか言いながらそこに鎌を突っ込んでいた。


「いやぁごめんねぇ。キミの周りの人間達のあまりの的外れさに我を忘れちゃったよぉ」

 そう言いながらぼくの隣に腰掛ける。

 何それぼくの歌に関して誰かがめためたに言ったら我を忘れてあれを持ち出してくるってこと?

 ちょっと気をつけよ。


「仕方ないですよ。自分でもある程度覚悟してましたし。あんな歌い方すれば」

「あんな歌い方ぁ?」

「さっきみたいな……」

凍江こごえクンは、歌を習っていたんだねぇ」


 綺麗に刈り揃えられた庭には木漏れ日が落ち、はたはたと紋白蝶たちが舞っている。

「家が、音楽一家だったんで。妹がいるんですよ、双子の」

「二卵性?」

 頭を縦に小さくふる。

「親が二人共、東京の小さな楽団の団員で。音楽一家だったから、幼稚園の頃から妹と一緒にピアノとか習って」

「英才教育だぁ」

「そんなんじゃないですよ。そろばんとかも習っていたから、お稽古の一環です。小学校上がったら近所の合唱団に入れられて。楽しかったですよ、妹と一緒でしたし。二人でいつも一緒にいました。それで、変な歌とか一緒に作ったりして。鼻くそパンケーキの歌とか、虫歯菌君が虫歯になる歌、蝶々がううちょうちょする歌とか」

「何それ楽しそう。聴きたいなぁ」

「小学校上がって、しばらくは楽しかったんです」

「うぅ、歌ってくれないのかぁ。うちょうちょ」

「でも、三、四年生くらいになってから、才能の差が。なんていうか。咲には、あ、妹の名前です。咲には技術より何より華があったんです。声一発出すだけで、聞いた人を惹きつける何か。すみません、うまく言葉にできなくて」


 続けてぇ?

 目で促してくる。


「親は、ぼくらが小さい時はぼくら兄妹きょうだいに特に音楽の道で大成して欲しいとか、そういうのはなかったと思います。自分たちが弱小の楽団で苦労していたっていうのもあるし。よく、西洋音楽を日本に輸入した限界、みたいな難しい話をしていました。でも、咲の、その華と飛び抜けた才能に気づいてからは、トンビが鷹を産んだとか言い始めて。ちょっとずつ目の色がおかしくなっていったというか」


 それでぇ?


「咲の歌は、それこそ圧倒的でした。合唱団にいると、一人だけ浮いてしまうからって親ので別に先生をつけて。ぼくは、合唱団にそのままで。別にそれで親を恨んだりみたいなことはなかったです。だって、咲はぼくにもそれとわかる位特別だったから。容姿だって、十人見れば十人が可愛いって」

「ボクは凍江こごえクンの歌声好きだし、顔だって可愛いと思うよぉ」

「……ありがとうございます」

「素直だねぇ」

「嬉しいからですからね。久しぶりに褒められて。咲が才能を開花させてからは、周りも自分もなんか比較してしまって」


「……どんなに練習しても、声の出し方を学んでも、ぼくは合唱団という塊の中の一人でしかない。咲は元から持っている華に技術がどんどん付いていく。兎と亀が競争する話があるじゃないですか。途中で兎が昼寝して、亀が勝つやつ。でも、ぼくは歩み続ける亀だけど、咲は走り続ける兎でした」


 有奈華ありなかさんは何も言わない。

 それが、ありがたい。


「それでも、小学校のうちはまだその差は露骨じゃなかった。それに、ぼくらは仲がよかった。学校行くのも、帰るのも一緒で。双子って、同じクラスにならないじゃないですか。だから、授業が終わったら待ち合わせして、二人でいろんな曲を歌いながら帰って」


「中学になってからです。地元の合唱で有名な私立の学校に入って、二人で。子供二人私学に入れるのは、結構大変だったと思います。楽団以外の仕事をアルバイトみたいな感じでやっていたみたいです」


「で、当然合唱部に二人で行きました。そこで、試験みたいなものがあるんです。部長以下一軍の先輩たちの前で課題で出された曲を数小節歌うんですよ。クラスも多かったから、入部希望者も男女あわせて六十人くらいはいたかと。次々に一人ずつ出ていって歌うわけです」


「歌いたい人いますかって、先輩が聞くわけです。言っている方も期待なんてしていないんですよ。みんなこういうの遠慮しあって、手を挙げないじゃないですか。でも、咲がすっと手を上に。で、犬吠埼咲です。お兄ちゃんと一緒に来ましたって。笑い声起きましたよ。なんか変な子来たなって」


「課題曲として示されたのは、さっき歌ったやつです。ほおずき島の主題歌。今考えてみると、ちょっとおかしいですよね。別に合唱曲というわけじゃないですし。多分変な一年を困らせてやろうとして、急に変えたのかな。で、咲が歌い始めて、一気に空気が変わった」


 どう変わったのかなぁ。


「先輩たちが品定めする場所だったのが、咲の歌を聴く場所に変わったんです。咲の声が価値基準をひっくり返した。数小節と言われていたのに、気がつけば三番まで歌い切っていた。咲、終わったら恥ずかしそうにぺこって頭を下げたけど、先輩たちはしばらく何も言いませんでした。確かに今聞いた歌はすごくて、でもそれをうまく言葉にするには中学生は子供すぎたのかもしれません。何か口にすれば、自分の無能がばれてしまうんじゃないかって」


 中学生なんだし、別に間違ったっていいのにねぇ。


「中学生だから、そういうのに敏感なんですよ。わかっているとか、わかっていないとか。先輩とか、後輩とか。そういうどっちが上か下かみたいなのに。それは、ぼくだって同じです。流れで、じゃあお兄さんの方もってなって。期待しているのがひしひしと伝わってくるんですよ。妹がこれなら、兄の方もすごいんじゃないかって。もちろんそれはぼくが歌い始めるまでで、三小節歌ったところでもういいよって言われて」


 この歌声を聴いてぇ?


「その頃は、こんな歌い方していませんでした。もっと、みんなに上手だねって言ってもらえないかなって思ってましたし。可もなく不可もなくって感じです。ぼくの後ろに続く人は安心したと思いますよ。ああ、一人目はとんでもない才能の人だっただけで、自分は凡人でいいんだって。そう思えた筈です」


「ひとしきり入部希望者が歌い終わると、外はもう夕方でした。六十人もいましたからね。二時間くらいかかったと思います。終わったら、咲の周りに先輩たちが押し寄せて、質問攻めが始まって。先輩たちの心の垣根が一気に溶けてゆくのが見えました。なんですかね、ちょっとの才能の差は嫉妬を生むけど圧倒的な才能の差ってもう、笑うしかないんでしょうね。そういう意味で先輩たちは咲を受け入れてました。自分たちよりすごい奴が来たって」


「それから、一軍と二軍に分けられるんです。音楽系の部活って文化部の中でも体育会系的なところがあるから、一年でいきなり一軍に入ったりしないんですよ。だけど、咲は一軍でした。ぼくは二軍。今思い返せば、さっき言ったみたいなつまらない価値観にとらわれていたんです。でも、中学生のぼくの世界は学校と家が全てだった。音楽という共通言語で学校でも家でも括られていたから、その両方で自分が劣っていると評価されてしまったというか。その考えはどんどん自分を追い詰めて」


「咲を避けるようになったんです。朝は咲より早く起きて、食事もろくすっぽ取らないで家を出て。部活は一軍と二軍は別だから、終わったらすぐ帰るようになって。自分が届こうとする理想が目の前にあって、それを見せつけられて、そしてその理想はどんどん自分が考えるより理想的になっていって、ぼくは練習しても練習しても同じところに留まり続けているように感じて」


 咲ちゃんはどう感じていたのかなぁ。


「わかりません。急に避けたから、さみしい思いをさせたかもしれないです。咲にしてみれば意味わかんないですよね。自分には何の非もないのに、避けられて。家出るときも、きちんと会って話もしなかった。それでも、自分のことを鼓舞し続けるしか、前に進む道がなかったんです」


 鼓舞ってぇ?


「学校の行き帰り、一人で歩いている時に小さな声で歌うんです。頑張れ、自分って。自分を保つには、その頃あれだけ苦しめられた歌しかなかった。夜は布団を被って一人その中で、小さな声で。咲の歌はみんなの心を開かせるのに、ぼくは真逆の方向に突っ走っていた。致命傷ですよ。でも、そうするしか他になくて。その内合唱部の練習の時にも……」


 言葉が止まったのは語るべきことが終わったからじゃなくて。

 縁側に置いた手の上に、有奈華ありなかさんの手が重ねられていた。

 自分の足先を見ていた視線を、横へと移す。

 有奈華ありなかさんと目が合う。

「キミの声が好きな理由がわかったよぉ」

 手をぎゅうっと握られる。

「目的がはっきりしていてさぁ、基準が厳しい。継続的な鍛錬。高い意欲。キミは歌えないと言ったよねぇ。歌いたくないとは、言ってない」


 重ねられた手を、ぼくは空いていた手でそっと退ける。

 驚く有奈華ありなかさんに、改めて手を差し出す。

「さっき、ぼくは家の外で歌いました」

「うん」

「誰かの目がるところで、歌える自信ないです。その、また嘲笑されるのではって、足がすくんで」

「うん」

「人前では歌えないかもしれない。しかも自分のためにしか歌えない。それでもぼくの手を取りますか」

 寸刻の迷いもなくすっと手が上がる。

「当然さぁ。改めて、よろしくお願いねぇ」

 有奈華ありなかさんの右手がぼくに近づき、硬い握手を交わす……


「っと、その前に」

 すんでの所でぼくは手を引っ込めた。

「何かなぁ?」

 この可愛らしい笑顔に何度騙されたことか。

 確認しておかなきゃならないことがある。

「貫通祭のこと、ぼくのこととか、準備とかぼくのこととか、勝算あってやったんでしょうね?」

「? あー、チャンスが向こうから転がってきたから気がついたらオジサン達に声かけちゃったぁ」

 にこにこ。


 ……


 え、それだけ?

 やっぱりこの人の手を握るのは止めようかな……

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