幕間1 玉祈アンナは懐かない
第29話
「ようこそ、ヴェルトラウム城こと〈浮遊城ヒメルヴェルツ〉へ」
謁見の間の玉座に深く腰かけ、テレジアが無駄に厳つい声で〈リントヴルム〉の面々に対して歓迎の言葉を発する。
「お前達の来訪、喜ばしく思うぞ」
横柄な態度を取ろうと頑張っているのが見ていて分かるが、残念ながら体が小さいせいで足が床につかずにブラブラさせている姿は幼さ全開で正直愛らしいだけだ。
「テレジア様、無理は止めて普段通りにして下さい」
外見の成長がない彼女の虚栄にもの悲しくなって、征示は憐みと共に告げた。と、彼女は雪原のような肌を一瞬にして赤く染め、じりじりと移動して浅く座り直した。
それはそれで規格の合っていない椅子に座る子供のようで、もはやどうしようもない。
「と、とにかく、よく来てくれたな。模糊も、ここに来るのは久し振りじゃないか?」
「そうですねえ。レア先生に理事長職を押しつけられてから私は、ずぅーーっと忙しかったですからねえ」
笑顔で皮肉を返す模糊に「うっ」と言葉を詰まらせて目を逸らすテレジア。
「押しつけられて? っちゅうことは――」
「そ。私立明星魔導学院の理事長はこのレア先生なの」
「……このなりで?」
「なりは関係ないだろう。なりは。これでも私は模糊よりも一回り年上なのだぞ?」
「だったら、年相応、身分相応の行動を取って下さいよ、もお。やってることはオタクのニートと同じじゃないですかあ」
謁見の間の端の方を侵食し、山のように積み重なっているゲームやアニメの円盤、プラモ等々に視線を向けながら恨めしげに言う模糊。
隊の面々は誰も触れないでくれているが、この悲惨な光景は皆の中のテレジア像を完膚なきまで粉々にしていることだろう。
「こ、こら、模糊。皆に勘違いされるだろうが」
「勘違いも何も、最近は手段が目的になっている感がありますけどね」
正直フォローは余りにも難しく、征示は模糊に賛意を示した。
「う、せ、征示までそんなことを。あ、あれは歴とした私のトレーニング機器だぞ!」
「はあ、あっこに重なっとるゲームやら何やらが? ……ですか?」
言い訳をするテレジアに訝しげに尋ねる旋風。一応理事長と聞いたからか、申し訳程度に敬語をつけ加えている。
「ああ。実はな。私は魔法が使えないのだ」
「は? な、何言うとるんです? ちょお言うとる意味が分からんのですが」
「属性魔力までは作れるが、それを魔法にできない、ということだ。どうも私にはそういうイメージを形にする、いわゆる想像力というか創造力が足りないらしくてな」
「つまり、ゲームやらアニメやらを見て想像力を養い、プラモで創造力を養おうと試みた訳。結果、重度のオタクニートが完成しちゃいましたけどねえ」
言いながらジトッとした目をテレジアに向ける模糊。
本当にイメージを形にする力を養うと言うなら絵を描いたりした方がいいのかもしれないが、彼女のそれは余りに残念過ぎて訓練になるレベルではなかった。
「はあ、そら何とも……」
呆れと言うか幻滅と言うか、何とも微妙な表情を浮かべる旋風の若干引き気味の冷めた視線に、テレジアが「うぐぅ」と呻いて言い訳を始める。
「い、一応武器を使えば、それなりには戦えるのだぞ?」
「いや、そんなことはどうでもいいから、本題に入ってくれ。事情を説明してくれるんだろ? ……まあ、ある程度察しはついてるけどな」
そこで火斂が空気を読んで空気を読まずに話を本筋に戻す。と、テレジアだけは僅かにホッとした表情を見せた後、誤魔化すように真剣な顔をして口を開いた。
「で、では、焔火斂。その『ある程度』の内容を言ってみてはくれないか?」
「……今日のあの戦いまでの全ては、この世界の魔導師を育て、〈魔導界ヴェルタール〉の侵略に対抗するための布石だった。本当の敵はアンタの父親で、アンタ一人では勝てないから異世界に助けを求めた」
「ふむ、大筋としては正しいな。と言うか、それがほとんど全てだ」
これまでの戦いが壮大な模擬戦だっただけで、他は構造的に何ら変わりない。異世界からの侵略者を打破するという〈リントヴルム〉の目的もまた。
「本当に、アンタの世界だけではどうしようもなかったのか?」
「……弱肉強食の理が蔓延したあの世界では、私のように反感を持つ者は異端だ。力の矛先が異世界に向いているおかげで、弱者とされる者とてそこまで酷い生活をしている訳でもない。より弱い者から奪うことを是とする気風を内側から変えることはまず不可能だ」
「ほんなら、元凶を……って、それは無理やったんでしたっけ?」
「ああ。私に父上を打倒するのは無理だ。父上自身の強さもあるが、先も言った通り、私は魔法が使えない。道具を使うことで誤魔化してはいるが、そのような小細工は父上には通用しない。私はあの世界の常識で言うなら弱者だからな」
「……だから、〈魔導界ヴェルタール〉の思想に反感を持ったんですか?」
水瀬のどこか感情移入したように問いに、テレジアは微苦笑を浮かべて口を開いた。
「切っかけはそうだ。一種の自己弁護かもしれないが、私は誰かを屈服させる力が全てではない世界こそ……それ以外の強き何かを尊重する道こそが正しいと信じたいのだ」
「……どうして、この世界を? 異世界というなら他にもいくらでもあるはずでは?」
何故か不機嫌そうな那由多の問いに「そうだな」とテレジアは頷いた。
「簡潔に言えば、いくつかの条件に適合していたからだ」
「条件? どんな世界なのか事前に分かるのか?」
「ああ。この〈魔剣グレンツェン〉は異なる世界を覗き見ることもできる。世界と世界を隔てる薄膜を通して見るようにな。例えば――」
テレジアは立ち上がると闇の中から剣を取り出し、その場で高く掲げた。すると、刀身が妖しく煌めき、そこに何かを映し出す。
「この世界で言うと旧石器時代ぐらいにある世界だ。力の弱い魔導師は、こういった世界を選んで侵略していたらしい」
侵略の本来の目的からすると、むしろ人間のいない世界を侵略するのが最も効率的な気もするが、そうした世界はそもそも生存に適さない場合が多かったそうだ。
「過去形なん?」
「ああ。かつては領土や食料の問題を解決するために異世界を侵略していたが、現在は力を示すための狩りと認識する者が増えているのだ。それなりの文明を叩き潰すことを喜びとしている者がいる始末だ」
苦虫を噛み潰したように表情を歪めるテレジア。
「人の世界の興亡を娯楽にされては、堪ったものではないな」
そんな彼女に共感したように眉をひそめた那由多は、しかし、一度感情を静めるためか息を吐いてから言葉を続けた。
「……それで、条件というのは?」
「第一に当たり前だが、まだ侵略されていないこと」
那由多の問いにテレジアはそう答えながら、人差し指を立てた。
「第二にあちらよりも時の流れが早いこと。でなければ、私達の企みが成熟する前に潰されてしまうからな。あちらの一年が二〇年となるこの世界は適度だった。逆に余り長過ぎても国家間の対立が表立って再燃する可能性の方が高くなるからな」
そして、言葉を続けながら中指も立ててV字を作る。
「第三に魔法ではない力を以って文明を築いていること。同時に情報操作が可能な程度にメディアリテラシーの甘い世界であること。魔法一辺倒では三〇〇〇年の研鑽のある父上には敵わないし、情報操作が叶わなければ危機感を持って実戦を経験できんからな」
いつ現れるとも知れない敵に備えて訓練を続ける、というのは中々モチベーションを保つのが難しいものだ。むしろ間近に敵がいた方が高い意識を維持できる。
「まあ、実戦を経験と言っても、空気を経験させて精神的な適性を見ることが目的であって、戦力増強を図ってのことではないがな」
単純な戦力増強という点では、魔法の情報を全て開示するのが手っ取り早い。
しかし、複数属性の特異な魔法は人体に有害となり得るし、圧縮魔力による魔法を会得した高位の魔導師は小国の軍隊を凌駕する程の戦力となる。もし歪んだ性癖の者がその力を手にすれば大事となりかねない。
特に圧縮魔力の存在を明らかにすることは、それこそ魔導師全員に暴発の危険性のある数十トン、数百トンの火薬を配るようなものだ。
だからこそ、この世界の自滅を防ぐためにも、侵略者と戦わせるべき魔導師を選定するためにも、世界各国で連携して情報を統制していたのだ。
「ともかく、これらの条件に合致する世界を〈魔剣グレンツェン〉で検索し、最初にヒットしたこの世界を私が選んだ。その上で問答無用では攻撃されない日本があったのは僥倖だった。本拠地を置くには実に都合がよかった」
「……つまり、アンタがこの世界を巻き込んだ訳だな?」
火斂の静かな問いにテレジアは静かに頷いた。
「そうだ。……そのことで私を糾弾するというのなら、私は甘んじて受け入れよう。確かに私が私の戦いにこの世界を巻き込んだのだから」
それから彼女は右手を固く握り締めながら言葉を続けた。
「私達が来なければ生き長らえていたはずの者の命を、私達は背負い続けなければならない。その罪を忘れてはならない。罰せられてやる訳にはいかないがな」
「せやけど、政府との密約っちゅうんが正しいんやったら、あの記事の通り、戦死者もおらんのんとちゃうの?」
「確かに死亡扱いにして敵役としてスカウトした者も多くいるし、少なくとも私達は戦いを挑んできた者達を直接殺したことはない。しかし、戦いや訓練の最中、魔法を暴走させて死んでいった者は確かに存在する。その彼等は……」
魔法などという力が世界を満たさなければ、死なずに済んだかもしれない者だ。
「ちゅうても、いずれは異世界の侵略を受けてたかもしれへんのやろ? せやったら、うちらは感謝すべきなんとちゃうか?」
旋風の言葉に那由多が頷く。
「そうだな。言っては悪いが、魔法の暴走は未熟な魔導師が悪い。それは身に余る魔法を行使したか、余程精神的に余裕のない状況で魔法を使ったかのどちらかでしか起こらないからな。単純な判断ミスだ」
「後、逆に魔法のおかげで生きてる人もいますからね。魔法治療とかで。戦争も一応なくなりましたし。だから、そこはテレジアさんを責めるべきじゃないと僕も思います」
水瀬達はそう言うが、実際に命を落とした者の遺族がどう思うかは別の話だし、それを忘れていい訳ではないだろう。
テレジアに加担してきた者として、彼女と同じものを背負わなければならない。
征示はそう思った。
「とは言え、時の流れの違いを引き合いに出して『テレジアが来なければ、自分達が生きている間には侵略などなかったかもしれない』などと考えるお偉方はいるかもしれないがな。まあ、勿論この二五年の間に既に侵略されていた可能性も同じだけあるが」
那由多の言葉に頷いて、テレジアが引き継ぐ。
「実際、侵略の際にはその世界が侵略済みでないこと、つまりマナが流入していないことを第一条件として絞り込む。己の力で成し遂げねば力を示せないからな。私がこの世界に来ていなかったら、誰かが侵略していた可能性は十二分にある」
「なら、あのシュタルクとかいう奴が来たのは――」
「うむ。私がこの世界にいることが露見したためだろう」
「……今更だけど、奴を帰してよかったのか?」
火斂の問いにテレジアは少しばかり躊躇うように視線を下げた。
「父上が敗北した兄上を許すとはとても思えんからな。それに万が一、兄上と再び対峙することとなっても、危惧すべきは彼の強さではない」
「どういうことです?」
「実際、この世界の戦力を結集すれば、兄上程度にならば打ち勝てる。しかし、その態勢を整える間に多くの犠牲が出かねなかった故、今回は少々無茶をしたのだ」
「体勢を整える間にって、あの剣を使えば一瞬で招集できるんとちゃうんですか?」
「そう簡単な話ではないのだ。……実のところ、各地の魔導師達は私の管轄にはない。名目上、彼等の所属は各国の軍であり、力を借りるには各々の国に要請する必要がある」
一瞬、場に沈黙が降りる。
隊の面々はテレジアの言葉に理解が及んでいないようだ。
「現状、私の直属は模糊、征示、そしてアンナだけだ。情報統制等、各国の協力を取りつけるために、私のところの戦力を整えるのは後回しにせねばならなかったからな」
その上、模糊は第一世代ということもあって多少能力的に劣るし、征示は自分で魔力を生み出せない。アンナは協調性に酷く難がある。という感じで、お偉方が望む理想の魔導師像からは程遠い者しかいないのだ。
「それに、お偉方は私のところに戦力が集中するのを避けたいだろうしな」
「な、何でそないな面妖なことに?」
「誰もが平穏を得た先のことを考えているからさ。今は我が父上という共通の敵がある故に表立った争いはないが、裏では皆、魔導師という戦力の囲い込みに躍起になっている」
圧縮魔力を完全に制御できる魔導師は、戦力の位置づけとしてはクリーンな核というレベルだ。各々の国がそれ程の戦力となる人材を強く欲するのは至極当然のことで、名目上二五年前の時点での国家間のバランスに従って着々と配置されている。
しかし、それはあくまでも表向きの話で、各国が裏で何をしているかまでは正直予想がつかない。とは言え、その辺は魔法以前の世界と何ら変わらない構造ではあるのだが。
「全く、権力という力は、暴力以上に厄介なものだな」
テレジアはそう苦笑するように呟き、そのまま言葉を続けた。
「ともかく単純な戦力という点では、私は他のどの陣営よりも劣っている。私は一般の者が思うテレジア・フォン・ヴェルトラウム程の力など持っていないのだ」
あくまでも民衆に対する敵の象徴であると同時に、真の敵を釣る餌にして試金石染みた捨て石。この世界のお偉方にとって、テレジアは既にその程度の存在に過ぎないのだ。
しかし、テレジアも自嘲気味に言いはしたものの、その扱いに不満を抱いている訳ではない。何故なら、彼女の父親たるヘルシャフトの打倒は、いわゆる単純な戦力を束ねたところで果たせないからだ。
「なら、そんな状況で俺達を育てた理由は何だ?」
「……間もなく我が父上がこの世界を訪れる。恐らく、あちらの時間で二四時間以内、こちらの時間で二十日以内にな。その時、世界は
過去の彼の侵略を見る限り、それは決まったパターンだ。
この世界だけ例外という楽観はすべきではない。
「父上の魔導機兵は特別でな。父上の強大な魔力の影響により、圧縮魔力による高位の魔法でしか倒せん。故に、現在各国にいる魔導師を招集するのは避けたい。そもそも、この世界の全戦力を単純にぶつけたところで父上に勝つことは不可能だがな」
「それ程の……相手なのか?」
絞り出すように尋ねた那由多にテレジアが深く頷く。
「今尚、圧縮魔力を得る以前のお前達と今のお前達程度の差はある」
即ち、こちらが放つ魔法は悉く通用しないということだ。
それをいつか身を以って経験した皆は、その事実を前に愕然として視線を伏せた。
「さ、策は、あるのか?」
「当然ある。そのためにこそ、お前達を鍛えたのだからな。ついてこい」
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