第33話
次の瞬間、詠唱もなく敵の魔法が発動した。
周囲を黒い何かが覆い、それと共に強烈な圧迫感が襲いかかってくる。
「ぐっ、これは――」
空間ごと押し潰すかのような圧力。恐らく生身であれば一瞬にして圧縮され、蒸発して消滅していたに違いない。
(詠唱なしでこれかっ!?)
征示でも詠唱なしで魔法を放つことは不可能ではない。
だが、ここまで高度な魔法を、威力を保ったまま安定的に扱うことは不可能だ。
ヘルシャフトが僅かに力を発現しただけで、圧倒的な実力の差を実感する。
しかし、だからと言って何もせず屈することなどあり得ない。
「ふむ、耐えるか。少なくともシュタルクよりは優れているようだな」
そも、この魔法については最初から情報があった。
ヘルシャフトは初めて対峙した相手には、必ずこれを以って腕を試すのだ。つまり彼と対峙するに当たり、第一にこれに耐える、あるいは回避する術がなければ話にならない。
征示にとってその術こそが、このゲベットの象徴たる漆黒の鎧だった。
「ならば、次だ」
しかし、その程度は所詮ヘルシャフトの力の一端でしかない。
彼は征示に通用しないと理解するや否や、その魔法を捨てたかのように空間の圧縮を消し去った。と同時に新たな魔法が彼の周囲に形作られる。
それは鋭く尖った何か。槍と呼ぶにはシンプル過ぎる、ひたすらに貫くことだけを追い求めたフォルム。闇を圧縮させた針とでも言うべき漆黒は空間に無数に現れ――。
「貫け」
その全てが恐るべき速度で一斉に征示へと飛来する。
(回避……いや、この強大な気配は――)
自問から間髪容れず、身体を包む装甲の欠片を弾丸の如く投擲する。
それは黒色の巨大な針に当たると、瞬く間に分解され、砕け散ってしまった。
その様を見て、征示はヘルシャフトが最初の魔法を放つ前に次元の狭間に退避させておいた〈魔剣グレンツェン〉を再び取り出し、敵の攻撃の尽くを異次元へと飛ばした。
これ程の強大な破壊力を持った魔法、流れ弾でも危険過ぎる。
「自分の攻撃を味わえ!」
そして、敵の周囲に次元の穴を生み出し、取り込んだ全てを解き放つ。
「その道具をそう使うか。中々に面白い真似をする。だが――」
ヘルシャフトは全方位から迫り来る針に対し、無防備にその身を晒した。この程度の攻撃は脅威にもならないと告げるように。
果たして、全ての針は直撃したにもかかわらず、瞬く間に分解されてしまった。
別の魔法を用いて消し去った訳ではない。単純に彼を倒すに足る威力がなかっただけだろう。即ち、彼は全く本気で攻撃していないということだ。
「では、これはどう対処する?」
防がれた魔法に価値はないとでも言うように、新たな魔法に移行するヘルシャフト。
次に作り出されたのは漆黒の空だった。
誇張ではない。少なくとも征示の視界に映る限りの空は、全てが黒一色に塗り潰されていた。そして、それが徐々に落ちてきていることに気づく。
「くっ『焼き払え、神罰の閃光』!」
遥か遠方にある〈浮遊城ヒメルヴェルツ〉をも攻撃範囲に含む一撃を前に、最大の攻撃範囲を誇る魔法を撃つために皆から与えられた魔力を圧縮して励起する。
「
そして放たれた空へと昇る
「その程度か?」
しかし、解き放った雷はヘルシャフトには通じず、漆黒の天蓋は健在だった。
(広域に拡散させた攻撃では無意味か)
それは一時〈リントヴルム〉の面々の攻撃がゲベットに通じなかった理由と、根本の部分では同じ。魔力の密度の違いによるものだ。
勿論、征示は圧縮した魔力を用いている。だが、ヘルシャフトの圧縮の度合いには程遠い。その上で同程度の範囲に攻撃を広げたのでは勝てるはずもない。
(なら、一点集中するしかないが、その上であれを破壊するには――)
「これしかない! 『打ち砕け、戦神の稲妻』!」
飛散した雷撃を全て目の前に集め、極限まで凝縮し、万雷纏う巨大な円柱を作り出す。
「
そして、さらに風の魔法を用いて空気抵抗を完全に消し去り、電磁力を以って最大限の加速と共に射出された円柱は一瞬にして空を覆う漆黒に到達し、突き抜けた。
「繋げ! 〈グレンツェン〉!」
その瞬間〈魔剣グレンツェン〉の力を解放し、闇の天蓋を貫いて彼方へと飛び去ろうとする円柱のベクトルを、空間を跳躍させることで逆転させる。
強大な電磁力を以って加速し、空気抵抗をキャンセルすることで減速を最小限にとどめられた円柱は一瞬にして再び天蓋を貫く。と同時にさらに空間を跳躍させる。
それを繰り返し繰り返し、繰り返し続けることで僅か数秒の内に天蓋は粉々に粉砕され、空は再び青色を取り戻した。
「ほう。これを防ぐか」
そして、降り注いだ太陽光の眩しさを確認し、ベクトルの矢先をヘルシャフトへと向けて最後の跳躍を行う。
「食らえっ、ヘルシャフト!」
威力という点では間違いなく征示の中で最大の攻撃。それを前にして彼は初めて迎撃の素振りを見せ、右手を円柱が飛来する方向へと突き出した。
刹那の後に発生した余りの衝撃音に、無意識的に顔を歪める。あるいは、その音だけで全てを破壊できるのではないかと思う程の轟音だった。
「……余が傷を負ったのは数百年振りか」
しかし、その巨大な音は征示の魔法が砕け散った音だった。ヘルシャフトの右手から一筋の血が流れ落ちたが、それだけで大きなダメージは見られない。
「成程、貴様は見所がある。だが、それが何故世界の理に背く?」
「世界の理、だと?」
「そうだ。力こそ全て。弱肉強食。強さとは奪うためにこそある。何故それに反するテレジアなどにつく。貴様程の強さがあれば、この世界程度支配できるだろうに」
「世界を……支配? …………く、くく、はははははっ」
征示はヘルシャフトの言葉が余りに馬鹿馬鹿しくて、思わず哄笑してしまった。
「何がおかしい」
「お前は勘違いしている。俺は一人だけでは弱い。でも、俺は一人じゃないから強い。だからこそ、奪うだけが強さじゃないと信じているんだ」
「分からぬことを」
ヘルシャフトは漆黒を束ねて剣を作り出し、空を翔けて征示へと迫った。その黒色の刀身から受ける圧力は、空を覆った黒き天蓋を遥かに上回っている。
「『其は万象を照らす輝き。邪悪を滅ぼす
対して征示もまた光を束ねて剣を生み出した。
そして、振り下ろされたヘルシャフトの剣に対し、弾くように斜めに当てる。
光の剣は衝撃に耐え切れずに甲高い音を立てて割れてしまうが、何とか剣尖を逸らして回避することに成功した。
「分からない、か。ああ、そうだろうさ。お前は個人で完成された強さを持つ。だからこそ、そして、その強さを奪うためにのみ使ってきたからこそ分からない」
第二撃が来る前に刀身を再生させ、再び破壊されつつも攻撃をいなす。
「全てに力があること、全てが強さとなることを」
三度再生と破壊を繰り返し、それから征示は大きく間合いを取った。
「『其は不動なる心の具現。我執をも滅する刃』
そして、己が身を雷と化す。瞬間、半ば反射的にヘルシャフトから魔力の波が放たれるが、逆位相の波で緩和し、征示は雷撃の速さを以って彼に挑んだ。
ヘルシャフトの身体能力は、世界最高レベルのテレジアに輪をかけて優れている。何故ならテレジアと同等の魔力容量を持ち、尚且つ魔力を極限まで圧縮できるからだ。
さりとて技が疎かにされている訳ではない。流派と呼べるものがあるのかは分からないが、その動きは洗練されていて全く無駄がない。
恐らく、これこそが彼の真骨頂なのだろう。先程までの圧倒的な力で押し潰すかの如き攻撃を受け切った者にのみ、己が力を真に集束させた対人戦へと移行するのだ。
純粋な一撃の威力という点では、空を覆う程の力を拳一点に集めた攻撃の方が遥かに優れているのだから。
そんな極まった力を発揮しつつあるヘルシャフトに対して今の征示にできるのは、ひたすら速度において追随することだけだった。
「全てが、強さだと?」
「そうだ。自由を貫くこと。束縛を受け入れること」
光の剣は稲妻を纏う双頭の剣へと変じ、さらに二振りの刃へと分離する。その刀身は直後に襲いかかってきた剣撃を受け、しかし、破壊されずに逸らし切る。
「理想を抱き続けること。現実を理想に近づけること」
二刀を巧みに振るい、左の一刀を盾の如く用いつつ、隙を見てこちらからも攻撃を仕かける。その一撃一撃が雷の速さと同等以上であるが故に、雷鳴の如き音が空に轟く。
「恐れを認めること。恐れを乗り越えること」
とは言え、反撃が可能なのはヘルシャフトが十打ち込んでくる間に一か二だ。その攻撃も容易に防がれ、効果という効果はない。
「人の心を知ること。人の間を取り持つこと」
それでも防戦一方だった先程までよりは、余程拮抗しているように見えるだろう。見せかけでも己の命を繋ぎ、時間を稼ぐことができれば十分だ。
「痛みを知ること。人を愛し、信じること」
しかし、一瞬でも気を抜けば、一撃の下に斬り伏せられるのは間違いない。彼我の戦力差は厳然としてあるのだから。
「そして、見捨てないこと。道を示し、導くこと。全てが人の強さだ!」
弱者たる征示が曲がりなりにも絶対的な強者たるヘルシャフトに食い下がることができているのは、己の知る全ての強さの果てにこの場が立っているからだ。
事実、本来数秒しか持たないこの魔法を維持できているのは、全て仲間のおかげだ。
「下らぬな。全ては弱者の幻想に過ぎん。奪うこと以外に強さはない。強さを見誤るものは、力によって捻じ伏せられるのみだ!」
そんな征示を前にヘルシャフトは初めて僅かな苛立ちを見せ、語気を強めた。
それと共に、襲いかかってくる剣の威力が増し、征示はそこからの数十合の打ち合いをひたすら防御にのみ専念した。
それを何とか防ぎ切ると感情の揺れがヘルシャフトの技に僅かな乱れを生み、逆に征示の攻撃の割合が僅かに高まっていく。
「弱者が、消え失せろ!」
しかし、感情は弱さを作るが、激情は強さを引き出すこともある。さながら弱さすら時として強さとなるかのように。
ヘルシャフトの単純で愚直な一閃は今日最速の一撃に至り、征示は二刀を以ってしても防ぎ切れずに弾き飛ばされてしまった。
「終わりだ」
体勢を立て直すことができず、空中で無防備を晒す征示に対し、ヘルシャフトは冷酷に告げ、その剣に純然たる闇の魔力をさらに圧縮する。
「奪われ、朽ちるがいい」
止めの一撃を放とうとする彼を前にして、しかし、征示は大いに笑った。
「言ったはずだ。俺は弱い。だが、俺達は強い、とな」
そして、そう告げた瞬間、全ての色を内包した形容不能の輝きがヘルシャフトを包み込んだ。
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