第三章 夕星那由多は恐れがない

第14話

「征示、火斂。これを見てくれ」


 水瀬の〈リントヴルム〉加入騒動から数日後。

 放課後の作戦室に入ってくるなり、那由多は一枚の紙切れを机の上に押しつけた。


「ああ……これか」


 目の前に置かれたそれを一瞥し、征示は苛立ちと共に息を吐いた。

 それは今朝方各階の掲示板に貼りつけられていた新聞だった。とは言っても、どこかの新聞社の切り抜きとかいう訳ではない。

 新聞部の刊行物、いわゆる学生新聞だ。


 それだけならどうということもない一枚だが、問題はその内容。

 今朝この新聞が発見されてから各クラスに動揺が広がっている。

 即座に教員によって回収された程で、この騒動を起こした犯人は今頃呼び出しを食らって事情聴取されているはずだ。


「と言うか、那由多。いくら何でも情報が遅過ぎるぞ。確か、昼にはクラスで大分騒ぎになっていただろうに」

「私は風説には興味がない。が、姉さんに呼ばれて理事長代理室に行ったら、これを渡されて注意を促された。さすがに姉さんが危惧しているのであれば、一大事なのだろう」


(……確かに、那由多はこういう噂話の類は嫌いだからな。この件については理事長代理を通した方が那由多には伝え易かった、か)


 下手に征示が注意しても「お前がいれば問題ない」と丸投げされるのが関の山だ。

 結果から見れば、適切な流れだったと言って差し支えないだろう。


「あの最近では怠けてばかりの姉さんが真面目に言っていたのだからな」


 そんな皮肉を混ぜ込む那由多だが、姉である模糊を尊敬はしている…………かどうかは最近の言動を見ると微妙だが、少なくとも彼女に大きな影響を受けているのは確かだ。

 何せ模糊が主人公だった魔法少女のアニメに憧れた名残で、未だに使用する魔法の名は全て日本語読みにしているのだから。

 那由多も割と子供っぽいところがあるのだ。


「征示、今何か妙なことを考えなかったか?」

「いいや、何も」

「いや、今確かに――」

「征示先輩!」


 那由多が追求を開始しようとしていたところへタイミングよく、旋風が作戦室に慌しく入ってくる。そんな彼女の後ろには、征示の力不足で未だに女子の制服姿のままの水瀬が控え目についてきていた。


「この内容、本当なん!?」


 そんな彼女達が手にしていたのも件の新聞。

 その見出しには「政府とテレジアの密約。侵略は茶番だった!?」とあった。小見出しには「疑惑の交戦記録。戦死した魔導師を海外で発見!」と書かれている。


「旋風、そんなゴシップを信じているのか?」

「せやけど、この戦死したっちゅう魔導師の話はかなり確かな筋からの話やって――」

「誰が言ったんだ、そんなこと」

「これを書いたのが僕のクラスメイトなんです。それで詳しい話を聞いたら……」


 水瀬の聞いた話によると、そのクラスメイトの男子生徒の父親が元大手新聞社の記者で情報元はそこらしい。


「その元記者自身は記事にしなかった。それは信憑性がないからじゃないのか?」

「いえ、それが、上から圧力がかかって首になったとかで……」

「……それは普通にガセネタを掴んで会社から切られただけじゃないのか?」

「え、えっと、それは……」


 眉をひそめて強い言い方をしたせいか、水瀬は委縮したように視線を下げてしまった。


「征示。君らしくないな。さっきから聞いていれば、始めから嘘だと決めてかかっているみたいじゃないか。いつもの君なら一旦吟味してから結論を出すだろう?」


 那由多が水瀬のフォローをするように首を傾げながら問いかけてきて、旋風も同意するように訝しげな視線を向けてくる。


「……正直、マスコミの人間は嫌いなんだよ。奴等は自分達の利益になるように大衆を扇動するからな」


 現代のこうした魔法を中心とした価値観が急激に蔓延したのも、偏にそれに連なるビジネスにマスコミの連中が目をつけたことも原因の一端にはあるだろう。

 結局のところ、その価値観を最終的に選んだのは国民のこととは言え、この価値観によって幼少期に苦しんだ征示としては彼等には好感は持ち辛かった。


「ふむ。まあ、征示の気持ちも分からないではないよ。姉さんも大分メディアの目に苦しんでいたしな。あのアニメの反響は大き過ぎた」


 そのせいで邪気眼を発症したり、それが治まれば何とも間の抜けた性格に成り果ててしまったり、確かに模糊もマスコミの被害者の一人だ。

 征示よりも遥かに直接的な被害者と言っていいだろう。


「けど、先輩? うちはこん茶番いうところは意外と的外れやない気がしてるんやけど」

「旋風? どういうことだ?」

「……思い出すのも嫌やけど、うちがゲベットに負けた時、美晴に意識を逸らさんとうちを攻撃しとったら、うちは死んどった。あれは見逃されたんとちゃうか?」

「確かに、敵が瀕死のヒーローを見逃すのは決定的な敗北フラグだしなあ。今時、悪役側だってそれぐらいのことは熟知してなきゃおかしいし」

「……それはゲベットが精神的に未熟なだけだろう」


 火斂の戯言はスルーして真面目に旋風に言葉を返す。しかし、内容としては火斂の言葉の裏返しなのが何とも締まらないが、顔には出さないでおいた。


「アンナの人形も一回目の時に修復機能を使っていれば、僕達の負け、でしたよね」

「それは、新たな人形の性能を発揮し切れなかっただけじゃないか? あるいは、あの後につけ加えた機能だったか」


 反論しながら、征示は内心でこの新聞を書いた生徒への苛立ちを募らせていた。

 隊の面々の様子を見る限り、ここでしっかりと否定しておかないとまずい。

 このままでは、この件が皆の心構えに影響を与えて戦闘時の油断を誘発しかねない。


(全く、面倒な真似をしてくれたものだ)


 一度深くため息をついて、それから再度口を開く。


「ご都合主義のような展開が何度かあったとして全て偶然だし、それはこれまでの勝利が首の皮一枚だったとも言えるはずだ。こんな話を聞いて気を抜いていると、次の戦闘では本当に命を落としかねないぞ?」

「けどなあ、実際に重傷を負うようなことはこれまでなかったし、水瀬が使いものになったおかげで戦力も充実してる訳で。茶番ならそれはそれでいいし、本気なら俺達の戦力の方が奴等を上回ってるってことで、どっちにしろ、問題ないだろ?」

「火斂……相手が戦力を温存している可能性は考えないのか? 実際、テレジア直属の三魔導師最後の一人は表に出てきていないんだぞ?」

「それこそ実はいない可能性だってあるだろ? そりゃ戦力を温存してる可能性もあるだろうけどよ。それをする意味があるか? そもそも本気で侵略するってんなら、倒せる時に倒すのは定石中の定石だろ?」

「それは、何か事情があるのかもしれないし、そもそも彼女は異世界の存在だ。この世界の常識に当てはめること自体間違いかもしれない。あるいは、この世界にまだ来られないだけで仲間は異世界にごまんといるかもしれない。事実、地方に敵魔導師が配置されるようになったのは十年程前。ゲベットが現れたのは七年前。アンナが現れたのは五年前だ」


 アンナの場合は姿を現さないので、正確には存在が知れ渡ったのは、だが。


「最初の目立った戦力増強が、テレジアが現れてから十五年後だぞ?」

「それは……確かにそうだったけどよ」

「かもしれないばかりだが、油断すべきではない理由には十分だろ?」


 そこまで言ってようやく、作戦室の浮ついたような妙な空気が僅かに落ち着きを取り戻し始める。かと思った途端、那由多が場をかき乱すように口を開いた。


「まあ、皆、余り気にするな。征示がいれば大丈夫だ。茶番だろうが、作戦だろうが、我等が参謀殿が適切な形へと導いてくれる。テレジアなど恐れるに足らん」

「いや、その理屈はおかしい。と言うか、いきなり丸投げするな。一人一人緊張感を持ってことに当たらないと本当に大怪我するぞ?」

「心配ない」

「だから、その自信はどこから出てくるんだ!」


 征示は即座に突っ込みつつ、思わずこめかみを押さえた。全くもって締まらない。

 そのせいで、隣で聞いていた旋風がプッと吹き出す始末だ。


「隊長は征示先輩を心の底から信頼しとるんやなあ。……あ、うちも信頼しとるよ?」


 思い出したようにつけ加えた旋風に、一度深く溜息をついてから微妙な苦笑を返す。


「まあ、信頼してくれるのはありがたいが」


 しかし、那由多のそれは健全な信頼とは根本的に異なるものだ。

 いっそ依存とでも言った方が正しいかもしれない。それはまるで、人が自信のよりどころとする芯が丸ごと征示の存在となっているようなものなのだから。


(それもこれもあの日の俺のせい、だけどな)


 自分のなした軽率な行動に端を発する歪な那由多の自信。

 全く恐れがないかのような彼女の態度。

 それ以前の那由多に比べればマシだと信じたいが、日に日に征示の危惧は大きくなっていた。いずれ、その恐れのなさが大きな落とし穴になるのではないか、と。

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