第6話
明星魔導学院は〈リントヴルム〉の作戦室。今は旋風と美晴しかいない。
つい先程までゲベット襲撃時の聴取が行われていたが、征示達は既にその報告のためにここを離れていた。
「ごめんね、旋風。何もできなくて」
「美晴のせいやあらへん。確かにあの場ではうちの判断が間違ってたんや」
征示への対抗意識で目が曇り、敵の実力を見極められなかった。
それが結果として、美晴を危険な目に遭わせることに繋がったのだ。
「それでも、旋風が危ない時、私、動けなかった。友達、なのに」
「友達やからって、敵わん相手に挑むんは違うやろ」
「でも、助けを呼ぶとか、旋風を止めるとか、やれることはあったと思う」
美晴は落ち込んだように俯いて続ける。
「……駄目だね、私。あの二人が言ってた通り、旋風に依存してるんだ。いつも助けてくれるから、それに甘えちゃってる」
その言葉にあの場を離れる際に征示が言っていたことを思い出す。
(守るばかりやった、か……)
「それは、美晴だけが悪いんやない。うちが守る守る言うて美晴を束縛してたせいでもあるやろ。……自由を愛するうちが阿呆みたいやな」
(結局、うちは守りたいんやなくて、守って感謝されたかっただけやったんやな)
故にこれまで、美晴に守られる弱者という役割を押しつけてきたのだ。
言うなれば、飢えた者にただ食料を与え続けるような偽善。施した者は偽善に酔えるかもしれないが、施された者は食料を得る術を与えられなければ依存するしか道はない。
「美晴は、どうしたい?」
「私、旋風と対等になりたい。勿論、魔力は弱いし、戦いになれば足手纏いになるだろうけど、他の部分で旋風に頼られるようになりたいよ」
「そっか。……うん。そう、なれたらええな」
心の底からそう思いながら呟くと、美晴もまた力強く頷いた。
(うちも考えを改めなあかんのかもな)
征示に語った戦う理由。それは「守って感謝されたい、恩人になりたい」という馬鹿な考えを誤魔化す聞こえのいい改変だったのかもしれないが、嘘ばかりという訳でもない。
人が自由を手放すかどうかの自由すらも奪うような不条理から、人々を守りたい。それがきっと旋風の本当のスタートラインだったはずだから。
(うちの弱さやと好き勝手戦う自由はまだないんやろな。それこそ自由に戦い方に拘れんのも、強くあってこそのことやから)
敵を倒したという結果が重要。そんな言い訳ももはや通用しない。
心の中で自嘲気味に呟いていると作戦室の扉が開き、征示達三人が戻ってきた。
「大原さん。今回のことで分かっただろう? あいつらは一人だけで対処できる程甘くはない。次からは俺の指示に従ってくれ」
余計な欲求を考えなければ、一人で戦うことにそうメリットはない。複数で戦う時に連係を取るのも当たり前に合理的なこと。ゲベットとの戦いを顧みるまでもない。
何より完膚なき敗北を経験して尚、自由に手段を選んで戦えると思う程、如何な旋風とは言え楽観的ではない。少なくとも絶対的な強さを得るまでは、不自由を甘受すべきだ。
そう理解しつつも、あれ程反発した手前、すぐ素直に従うことは旋風にはできなかった。
「う、うちはうちの認めた相手にしか従わへん。せやから、うちを従わせたいんなら、うちと勝負せえ、先輩!」
そして、口に出たのはそんな言葉だった。
一瞬の沈黙。一笑にふされるかと内心で思う。だが――。
「……分かった。魔法訓練施設の開放を申請してくる」
想像に反して征示は真剣に頷くと、そのまま再び作戦室を出ていってしまった。
「ふむ。そうと決まれば私達は先に訓練施設に向かうとしよう」
「へ? いや、でも、今からか?」
「どうせ姉さん……理事長代理が許可を出すに決まっているからな」
(ああ、夕星隊長は理事長代理の妹やったっけ)
ならば、午後六時近いこの時間帯でも申請が通ってしまうのは間違いない。
「どうした? 今更怖気づいたのか?」
「そ、そないな訳あるか! とんとん話が進んで驚いただけや!」
そう戸惑いを不機嫌を装って隠し、旋風は作戦室を出た。その後を那由多と火斂は若干苦笑気味に、美晴は落ち着かなさそうにしながら続く。
「大原」
そうして訓練施設へと向かう途中、焔火斂が声をかけてきた。
「な、何や? 焔先輩」
火斂とは余り話したことがなかったため、つい睨むような視線を向けてしまう。
「いや、一つ助言しとこうかと思ってな」
しかし、火斂はそんな旋風の目を欠片も気にしていないようだった。
「助言?」
「ああ。お前、引っ込みがつかないから勝負挑んで負けようとか思ってるだろ」
「う……そ、そないなこと――」
「誤魔化さなくていいぞ。今のお前は昔の俺と似た状況にあるからな。何となく分かる」
「似た、状況?」
「いや、そこに食いつかないでくれ」
何となく気になって那由多を見ると、彼女は意地悪そうな笑みを浮かべて口を開いた。
「火斂は昔、何かと征示に突っかかっていてな。まあ、色々あって征示を認めるようにはなったのだが、和解するために今の旋風君のように勝負を挑んだ訳だ。わだかまりを綺麗になくしたいとか何とか言ってな。熱血青春も大概にしろ、という感じだな」
「ちょ、隊長、止めて下さいよ」
「そんで、結果は?」
真面目な雰囲気をいきなり崩した火斂の言葉を黙殺して尋ねると、彼はばつが悪そうに押し黙ってしまった。
「征示の勝ちだ。言っておくが、一対一で征示に勝つのは至難の技だぞ。負けてもいいと思って戦う以前に、真面目にやっても旋風君には勝てん。精々、本気で戦うことだ」
「む」
「隊長、俺の台詞、取らないで下さいよ……」
何となく火斂の立ち位置を理解しつつも、旋風の意識は那由多の言葉に向いていた。
そこまで言われて尚、殊勝に負けに行く程、素直なつもりは旋風自身もない。
「ふむ。どうやら、やる気は出たようだな。思う存分挑むといい」
「ふん。先輩ぐらい軽く捻ったるわ」
「その意気だ。では、改めていくつか助言してやろう。ゲベットとの戦いを見て分かったと思うが、征示もまた魔法と格闘術の融合で戦う。もっともゲベットとは違い、征示は基本的に後の先を取る戦い方だがな」
「まあ、そら、すぐ魔力切れするんやから、自分から前になんか出られへんやろな」
持続力がないという欠点のためにこそ、そういう戦い方を強制されている訳だが、彼は逆にそれを昇華することで唯一無二の強みにしている訳だ。
言うは易いが、そこまで極めるには想像もつかない努力が必要だったに違いない。
「征示が前線に出ない理由は正にそこにある。とは言え、瞬間的な強さはゲベットと互角以上だ。もしカウンター主体の征示に攻め切って勝つことができれば、敵幹部共ともいい勝負ができると考えていいだろう」
那由多の言葉に小さく頷く。ただ単に勝ちを狙うのなら、長期戦に持ち込んで消耗させるという手もあるが、この戦いにそんな考えを持ち込むつもりは毛頭ない。
命懸けの戦いであれば弱者に勝ち方、戦い方に拘る権利などない。が、これは殺し合いではなく、心を整理するための儀式に近い。
全力ではあれ、手段は選ぶべきだろう。
「来たか。……入るぞ」
訓練施設の前で待っていた征示が扉を開け、彼の後に続いて中に入る。
そこは見た目こそだだっ広い体育館という感じだが、壁全体に魔法の流れ弾に対する備えがあるらしい。そのため、全力で魔法を放っても建物に被害は出ないそうだ。
「って、監督者はおらんの?」
生徒同士の模擬戦の場合は、万が一の場合に備えて教師が最低一人はつくことになっているはずだが、その場には誰もいなかった。
「一応、理事長代理に監督して頂くことになっている。ただ、まあ、あの人は真面目な場には相応しくないからな。主に言動が。別室でモニターする形にして貰った。いざとなれば、しっかり対応してくれるはずだから、本気を出して構わないぞ」
「ああ、さよか」
以前何度か会ったことのある理事長代理を思い出し、征示の言葉に同意する。
理事長代理は妹の那由多とは全く別のベクトルで変人だった。確かにシリアスな場には正直そぐわない。
それでも彼女が折り紙つきの実力者であることは事実なので、全力を出しても問題ないというのは確かだろう。
「大原さん以外は理事長代理のところへ」
その言葉に従って、旋風は訓練施設の中央に征示と共に残り、那由多達三人はモニタールームへと向かった。
『旋風、頑張って』
そこに入る直前、そう美晴が声を風に乗せて届けてきたので『勿論や』と返しておく。
「さて、始めようか」
彼女達の姿が完全に見えなくなったところで、征示は構えを取った。瞬間、ただの静寂が重苦しい空気へと変質していく。
「真淵流奥義、宙の型」
それは魔法とは全く異なる何かによる圧迫感だった。事実、彼はまだ属性魔力を励起させていない。純粋に武術の研鑽によって生じる、ある種の威圧感に違いない。
「
そこに恐ろしい程の魔力を宿す光の圧力がさらに加わる。ゲベットの戦闘で使い切っていたはずだが、既に那由多から属性魔力を補充していたようだ。
それは先程と遜色ない上、真正面から対峙すると先程以上の脅威を肌に感じる。
「来い」
そして構えたままピクリとも動かなくなる征示。その目は瞬きすらせずに旋風を、と言うよりも前方の全てを捉えている。
「『風は自由に空を駆け巡り、世界を旅するもの』」
旋風は彼の目を真っ直ぐに見据え、自身最大の魔法を行使するために詠唱を開始した。
「『人は無限の空を見上げ、見果てぬ彼方に憧れ、自由を求め続けるもの。故に人は風と共に歩む。あらゆる束縛から解き放たれることを願って』」
周囲に緑色の魔力拡散光が漏れ出し始める。傍目には幻想的で美しいそれも、極めて合理的に見れば旋風の未熟さの証に過ぎない。
「
それでも今は全ての力をぶつけるために、旋風は叫び、大地を蹴った。
そのままランダムに軌道を変えつつ、征示の周囲を高速で旋回する。風で強制的に方向転換しているため、自然と旋風の軌道に合わせて渦巻く風が発生し始めていた。
それこそはゲベットとの戦いでは挑発に心を乱し、初撃から首を狙ったため完成しなかった
それに囚われた者は、まず周囲の風に心を乱し、次いで旋風の姿を見失い、己の位置すら見失い、気づいた時には隙だらけの姿を晒すことになるのだ。
「くっ」
やがて、吹き荒れる風に征示が耐えられずに目を瞑る。
(今や!)
真後ろからの征示の背中を目がけ、最短最高速で飛翔する。
紛うことなき絶好のタイミング。少なくとも旋風はそう確信していた。しかし――。
(なっ、んな、阿呆なっ!?)
次の瞬間、旋風は征示の脇を翔け抜けていた。翔け抜けてしまっていた。
征示は目を閉じたまま、一瞥もせずに僅かな動作で旋風の疾走を回避したのだ。
その事実が信じられず二度三度と体ごと突っ込むが、掠りもせずに最小限の動作で容易く避けられてしまう。
明らかに偶然ではない。何かしらの理屈の上に成り立った必然の出来事だ。
(速度だけなら間違いなくゲベットとの戦いより上のはずやのに――)
と、そこまで考えて、そのゲベットから忠告されたことを思い出す。
(速度に頼るだけやと真に速くはなれへん)
相手の回避を計算に入れて、間合いを詰めると同時に風の刃を放つが、これも征示は先程より若干大きく仰け反るのみでかわしていた。未だ目を開けようともしない。
(そうは言うても速度かて重大な要素のはずや。……せやけど、この魔法やとこれ以上速度は出えへん。そもそも、人間、体がある以上は……)
その時、旋風の脳裏に一つの魔法の形が浮かび上がった。それは確実に、今正に行使している自身最大の魔法を遥かに超えた難易度を誇る魔法だ。
(うちにできるか? いや……やらなあかん。やれな、この人に認めて貰えへん)
そう考え、旋風はふと気づいた。
(そうか。うちはいつの間にか、先輩に認められたい思うようになってたんやな)
いや、あるいは最初からそうだったのか。
魔法が当たり前の世界。魔導師と認定されることがステータスとなる時代。そんな中で異端として扱われながらも真っ直ぐに自分を貫いている姿。
それは、旋風の望む自由の一つの形と言えるかもしれない。
「『それは原初の束縛。人は生まれながらにしてその鎖に囚われ、故に自由は程遠い』」
しかし、今こうして対峙したことで旋風は彼が自分を見ていないことを、彼が今戦っているのは自分ではない何かであることを実感していた。だから――。
(力とかそういうことやなくて、強く自分を持ってるこん人に、うちのあり方を、存在を見て、認めて欲しいんや)
「『誰もが重荷を背負い、苦しんでいる。ならば、今ここに全てを置き去ろう』」
彼の目に自分を映すために、旋風はかつてない集中力と共に詠唱を続けた。
「『そして、風となってどこまでも。何よりも自由に駆け巡れ!』」
そして遂にその魔法を完成させ、解放する。これまで存在を知りつつも、己の体そのものを変質させる効果とその難易度故に試そうとも思わなかった力を行使するために。
「
周囲を取り巻く風と自分自身の体の境界が曖昧になり、全てが風の中に溶けて広がっていく。と同時に周囲に対する知覚が不可思議な形に変わっていく。
旋風は今、訓練施設全体を俯瞰しつつも征示を三六〇度全ての方向から見据えていた。
「身体の属性魔力化……ぶっつけ本番で成功させるとはな」
若干の驚愕と共に征示は目を見開いていた。
既に螺旋に渦巻いていた風は静まっている。彼の言った通り旋風の身体は全て風の属性魔力となり、空気抵抗や重力など物理的な束縛が消え去ったからだ。
しかし、旋風は征示の周囲に存在している。変質した認識の形が示す通り、征示の周囲全ての空間に旋風は遍在しているのだ。
『……うちの、勝ちや。うちは、どの位置からでも攻撃できる。それこそ、先輩の内側からでもな』
この魔法は旋風が思っていたよりも強力過ぎた。それ故、旋風の理性は完全に勝利を確信してしまった。渦巻くような複雑な気持ちを抱きながら。
彼がどれ程強く自分を持っていようとも、負けてしまえば意味はない。誰も認めない。
そんな現実を彼に打ち払って欲しいと思う気持ちが心の奥底にはあった。
だが、もはや彼に逆転の目はない。少なくとも旋風には思いつけなかった。
『うちは何にも従わん。それで、間違いないんや』
だから、旋風はそんな言葉を呟いていた。
自分に言い聞かせるように。胸に生じた淡く甘い感情に決別するように。
「大原旋風」
しかし、征示の口から出た己の名前にハッとする。
それは今までの響きとは異なる何かが含まれていたから。
「少し優位に立ったと思っただけで油断するのは君の欠点だ。ここで直すといい」
『なっ』
「
征示が一旦構えを解き、そう静かに告げた刹那、彼の中で巨大な魔力が励起した。
それは光の属性魔力ではなかった。
僅かに漏れた魔力拡散光が彼の瞳だけを黄土色に染め上げ、それ故にその属性魔力が土属性のものであることが分かる。
「俺が戦いでこの魔法を使うのは君が初めてだ。それは誇っていい」
『土の属性魔力? 一体、誰の――』
魔法が発動し、彼の体が一瞬の内に変質するのを見て旋風は息を呑んだ。
人間らしい、生物らしい温かさを失った冷たい無機的な姿。訓練施設の照明を反射して光沢を持つ金属的な外見。しかし、再度構えを取った彼の動きは滑らかで、見た目から受ける鈍重そうな印象は嘘だと分かる。
『体を、金属に?』
『呆けていていいのか? 君がその魔法を維持できる時間は、残り少ないと思うが』
『くっ』
征示の言う通り、初めて使用した大魔法故にまだ不慣れで、長く持続できそうにない。
『
咄嗟に全方位から風の刃を放つが、彼は欠片も動くことはなかった。その程度の攻撃では無意味だと既に理解しているかのように。
果たして直撃を受けた彼は、しかし、何一つダメージを負っていなかった。
『どうした? 勝ったと思ったんじゃなかったのか?』
己が身を風の属性魔力と化したことで、この空間全てが旋風と言っていい状態だった。
それは相手の体内に入り込むことすら可能ということであり、それ故に旋風は勝利を確信したのだった。
しかし今、征示の体は隙間の一片もなく金属によって埋め尽くされていた。しかも、それは土の属性魔力に満ちていて、風の属性魔力が入り込む余地は欠片もない。
『それでも――』
まだ、どの距離どの方向からでも攻撃できる優位性は保たれている。
だから旋風は、残る全ての属性魔力を己の拳にかき集めた。
ことここに至っては、負けて認めるための儀式とか、一度優位に立って生じた益体もない考えとか、そんなことは完全に関係なくなっていた。
ただ、ひたすら全力で挑むために意識を研ぎ澄ませる。
あの時、ゲベットには見極められたが故に届かなかった、純粋な破壊力という点では旋風の中で最も優れている一撃。
体を魔力と化した今の状態なら如何に征示とは言え、見極めることなど不可能のはずだ。
『
金属と化した征示の真正面で実体化し、同時に風の刃を宿した拳を繰り出す。直後、彼の目は旋風を捉えた気がしたが、旋風の一撃は防がれることなく彼に届いた。
「今度こそ……うちの勝ちや!」
その確かな手応えに、拳を受けて吹き飛ばされた征示に対して勝利を宣言する。
しかし、そのまま仰向けに倒れ伏した彼は――。
「な、え?」
次の瞬間、粉々に砕け散ってしまった。
「う、嘘……」
「目に見えるものだけが全てじゃない。最後の最後まで油断するな」
直後、その声は旋風の真後ろから聞こえてきて――。
「俺の勝ちだ」
旋風は首筋に衝撃を受けて気を失った。
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