第5話

 それは青天の霹靂だった。


「漆黒騎士ゲベット、何でこないなところに!?」


 同じ学生寮に住む美晴との下校途中。

 突如として、まだ資料でしか見たことがなかったゲベットが、複数の魔導機兵と共に目の前に降り立った。

 急な襲撃は頻繁に起こっているため、通行人達は若干の混乱はあっても恐慌はなく避難していく。

 そんな彼等には全く目もくれず、ゲベットは旋風を見下ろして口を開いた。


「弱点から狙い、戦力を低下させる。戦いの常道だ」

「な、何やと!? うちがお荷物や言いたいんか!?」

「自覚があるから感情を荒げるのではないか?」

「こ、この――」

『大原さん!』


 演技がかったゲベットの侮蔑的な言葉に完全に激昂し、感情のまま挑みかかろうとしたところを、懐の魔導通信機から届いた征示の声に制せられる。


「な、何や、このタイミングで!」

『ゲベットの出現はこちらでも確認している。もうすぐ応援に向かう。今は奴との戦いは避けて逃げろ!』

「あ、あんたもうちを役立たずや思うとるんか!?」

『何を言って――』

「うちはあんたの言うことなんて聞かん! こいつはうち一人で倒す!」

『ま、待て! そこには須藤美晴もいるはずだ! 彼女を危険に晒さないためにも今は逃げるべきだと言っているんだ! 従え、大原旋風!』

「玉祈征示の言う通り、弱者は惨めに逃げ惑うのがお似合いだ。まあ、這い蹲り、二度と我等に歯向かわないと言うのであれば、この場は見逃してやってもいいぞ?」


 それは明らかに安い挑発だった。しかし、ゲベットの嘲りの色濃い声音に、旋風の忍耐は一瞬にして限界をぶち抜かれてしまっていた。


「美晴……自分の身ぐらい守れるやろ?」


 怒りの感情を押し殺した問いに、美晴がこくりと小さく頷く。それを確認してから、旋風はゲベットへと一歩踏み出すと同時に右手をかざした。


「切り裂けっ! 〈飛刀烈風ブラストカッター全方位拡散集束〉オムニディレクションッ!」


 短縮された詠唱と共に無数の風の刃が空間に散り、全方向から黒の鎧へと襲いかかる。

 ぎりぎり魔導師に認定されるレベルの者なら長々と詠唱が必要な中級魔法だが、恵まれた才能を持つ旋風であれば省略は十分に可能。

 もしも対峙している相手が一般的な魔導師だったなら、反応もできないまま勝負はついていただろう。


「〈EbAkOnUkOkkIs〉」


 しかし、ゲベットがそう小さく呟くと彼の周囲に黒い何かが発生し、それによって行く手を遮られた風の刃は呆気なく消滅してしまった。


「詠唱を省略できる程度の簡単な魔法で、我等が倒せると思っているのか?」

「馬鹿にして――」

『もういいから下がるんだ! 大原さん!』

「先輩はうるさいわ! 〈飛刀烈風ブラストカッター収斂シーケンシャル貫穿〉シュート!」


 ゲベットを守る漆黒を破らんと、一点のみを狙って無数の風刃を連続で叩き込む。


「二度も同じことを言わせるな」


 しかし、やはり黒色に染まった空間に阻まれ、旋風の攻撃は届かなかった。


「それとも、この程度が限界か?」

「くっ……ええわ。なら、うちの全力、見せたるっ!」


 未だその場から動かず、魔導機兵達をも動かさず、挑発を繰り返すゲベットに旋風は己の持つ最大の魔法を使用するために意識を集中させた。


「『風は自由に空を駆け巡り、世界を旅するもの』」


 膨大なマナを急激に魔力素へ、魔力素を属性魔力へと変換させていく。しかし、変換段階での損失により、旋風の体から魔力が緑色に輝く粒子となって流出する。


「ほう?」


 その損失分だけで並の魔導師の魔法出力並みである事実に、ゲベットが興味深げに声を漏らす。平均的な魔導師では詠唱中にこれ程はっきりとした光を放つことはないのだ。


「『人は無限の空を見上げ、見果てぬ彼方に憧れ、自由を求め続けるもの』」


 だが、それだけでゲベットは旋風の詠唱に干渉しない。常人を遥かに上回る旋風の力を少しも脅威と思っていないかのように。


「『故に人は風と共に歩む。あらゆる束縛から解き放たれることを願って』」


(こいつを倒せば、うちの力を先輩も認めるはずや)


 敵の驕りに征示の侮りを重ねた旋風は、彼を見返すために全ての力を解き放った。


〈風と翔ける。我が道を〉ウインドライドロード!」


 瞬間、周囲に爆発的な風の奔流が生まれ、瞬く間に旋風はゲベットの眼前に迫った。


「ゲベット、覚悟っ!」


 そのまま右手に風の刃を纏い、その一撃を叩き込む。

 人間であれば認識不能な程の速度。自身ができる最高最速の攻撃に、旋風は勝利を確信した。何故なら、それはこれまで破られたことのない魔法だったからだ。しかし――。


「風の力を借りた高速移動か。確かに中々の速度だった。風の刃を飛ばすだけのつまらない攻撃よりはマシだな」


 風を集約させた剣は届いていなかった。空気抵抗をも打ち消し、音速を軽々と超えた速度だったにもかかわらず、ゲベットは容易く旋風の手首を掴み取っていた。


「だが、所詮速度には限界がある。光速という限界がな。そうでなくとも人間には身体能力、認識速度、魔力量という限界があるのだ。故に単純な速度に頼るだけでは、真の意味で速くなどなれない」


 ゲベットは不出来な子供を諭すように言うと、旋風の腹部を容赦なく蹴り飛ばした。


「かは――」


 強制的に肺の空気を全て吐き出させられ、蹴られた勢いのまま美晴の脇を通り抜けて壁に叩きつけられる。


「う、く」


 身体強化の分の魔力が残っていたおかげで致命傷には至らなかったが、それでも尋常ではない吐き気が旋風を襲った。


「魔法出力は中々のものだが、これでは宝の持ち腐れだな」

「な、何や、とぉ」


 嘆息混じりのゲベットの言葉に、旋風は胃の中のものを全て戻しそうな程の気持ち悪さを無理矢理抑え込んで再び地を蹴ろうとした。


「これ以上、未熟者の遊びにはつき合ってられん。〈IrAsUkOnUkOkkIs〉」


 しかし、そう告げたゲベットが右手を振るうと、旋風の両手両足は黒い鎖によって拘束され、身動きができなくなってしまった。


「真の魔法の力というものを、見せてやろう」


 ゲベットはそう呟くと、右手を高く掲げた。


「な――」


 その姿を前に旋風は息を呑んだ。

 ゲベットは魔法を行使するためにマナを段階的に変換しているはずだった。しかし、変換時に必ず生じる損失による魔力拡散光が見られない。

 それは即ち一〇〇%の変換が行われているということ。魔導師の常識ではあり得ない。

 それだけではない。その黒い装甲に覆われた体の奥底で、旋風の全力とは比べものにならない桁違いの属性魔力が励起状態にあるのがひしひしと感じられる。

 これ程の属性魔力を使用した魔法ならばより強固なイメージが必要で、普通詠唱しなければ励起状態を維持できないはずなのに。


(こないな、ことが……くっ)


 その事実に恐れを抱きそうになる心を叱咤するように唇を噛み締め、旋風は拘束を解こうと身体強化に魔力の全てを傾けた。が、黒い鎖は微動だにしない。


「お前のような弱者はここで朽ちた方が身のためだ」


 右手を旋風に向けながら一歩近づくゲベット。しかし、彼はふと立ち止まり、旋風から視線を外した。釣られて旋風もまた彼の視線を辿る。

 そして、その先にいた美晴を一瞬遅れて見て、旋風は焦りに心を乱した。


「友の危機にお前は何もせずに見ているだけか?」


 呆然と立ち尽くす美晴は、ゲベットからかけられた言葉にびくりと体を震わせた。それから、縋るように旋風へと視線を向けてくる。


「成程、ある種の依存か。……そのあり方は鼻につくな。お前達、やれ」


 それを合図にこれまで身動き一つしなかった魔導機兵達が動き出す。そして、それらは美晴を取り囲み、各々武器を構え始めた。

 どこかで見た覚えのあるふざけた意匠が、この状況では余りにも不気味で脅威を煽る。


「み、美晴、逃げるんや!」


 逃げに徹すれば、普段の彼女なら十分自分の身を守れる。しかし、旋風が圧倒的な力でねじ伏せられた光景を目にして、平時の状態でいられる訳がない。

 魔導機兵に取り囲まれた美晴は、硬直したように身を竦ませるばかりだった。

 そして、魔導機兵達が美晴へと一斉に襲いかかる。その瞬間、旋風は訪れる結末を予想して顔を背け、目を閉じてしまった。

 だから、直後に連続した衝撃音と振動が、何を意味するのか旋風には分からなかった。


「貴様――」


 忌々しげなゲベットの声にようやく目を開く。と、すぐ近くに数体の魔導機兵が無惨に破壊され、転がっている光景が目に映った。


「大丈夫か? 須藤さん」


 ハッとして美晴のいた場所を見ると、彼女を守るように彼がいた。

 普段は常にかけている眼鏡がないため、即座には誰か分からなかった。


「玉祈、先輩……」


 その呟きに一瞬だけ征示がこちらに目を向ける。しかし、彼はすぐにゲベットを見据えると、そのまま美晴に対して再び口を開いた。


「須藤さん、早くここから逃げるんだ。今、君はここにいても何もできない」


 どこか冷たく響く声に美晴は怯えたように一歩後退りする。


「早く!」


 そして、その言葉を合図に美晴は駆け出した。それを見て彼は僅かに頷き、今度は右手だけを旋風へと向けた。


〈光弾〉ブライトバレット


 次いで小さく告げ、征示は球形の淡い光をその右手から放つ。それは吸い込まれるように旋風を拘束する暗闇へと向かい、それを打ち払った。


「自分の身は、自分で守れ」


 彼はそう言うと己の意識を変えるように一度深く息を吐き、徒手空拳のまま構えた。そこには武術に造詣のない旋風が見ても、素人ではないと分かる威圧感があった。


「お前が前線に出るのは久々だな。魔力の蓄えは十分か? 精々楽しませてくれよ」


 対するゲベットもまた初めて構えを取る。

 素人目に見て、ゲベットの方が攻撃的な印象が強い。

 その姿を見て旋風は思い出した。

 ゲベットに関する資料に「彼の最も得意とする攻撃方法は、単純な魔法ではなく格闘術に魔法を応用したもの」という記述があったことを。

 そして改めて知る。先の攻防でのゲベットは欠片も本気ではなかったことを。

 両者が構えを取ってから、旋風の思考がそこに至るまでおよそ十秒。先程までの喧騒が嘘のような静寂が場を包む中、一瞬だけ風が駆け抜けた。


「〈IsUbOkOnUkOkkIs〉!」


 次の瞬間、ゲベットが先制し、風を纏った旋風よりも速く征示との間合いを詰めた。と同時に、その拳が黒い歪みを纏い始める。それは闇の属性魔力の証だ。

 珍しいとされる光属性に輪をかけて珍しいその属性は、テレジアが持つ属性であるという噂と希少さ、他の属性を凌駕する力が相まって恐れられている。

 実際、その拳に圧縮された力の圧迫感に、旋風の心は押し潰されそうだった。

 だから正直、征示に勝機は欠片もないと思った。


〈光拳〉ブレイズフィスト

「――え?」


 それ故、彼の言葉に続いた光景に、旋風は我が目を疑った。

 征示はその場から一歩も動かないまま、ゲベットの攻撃を全て光り輝く両手で受け切っていた。その速度は旋風が全ての魔力を動体視力の向上にのみ用いて、ようやく見える程度のもの。明らかに人間の速度を逸脱している。

 つまり、少なくとも征示の方は、ゲベットと同等の魔力の密度を拳に持たせながら、同時に身体強化を高いレベルで行っているということだ。

 光の属性魔力。闇属性程ではないが珍しく、扱いが難しいとされるそれを、恐らく那由多から譲渡された魔力だろうに、その他人の魔力を征示はこうも容易く御している。

 その事実に才能以上の執念を垣間見た気がして、旋風は言い知れぬ劣等感に苛まれた。


「そこだ!」


 短くない時間、根気強くゲベットの攻撃を受け続けていた征示。彼はやがて攻撃を的確に受け流すと相手に隙を作り、一際輝く拳を叩き込んだ。


「ぐっ、く」


 その一撃に体をよろめかせ、一歩下がるゲベット。

 それは決定機のはずだったが、征示は追撃を行わなかった。


「く、くくく」


 それを嘲笑うようにゲベットがくぐもった声を出す。


「さすが、と言いたいところだが、相変わらず燃費が悪いな。もう魔力切れか」

「そうだな。だが、この場は俺達の勝ちだ」

「征示!」


 その叫びと共に那由多と火斂がその場に降り立つ。旋風も拘束から解放されたため、魔力の切れた征示を除いても三対一。形勢逆転と見ていいだろう。


「……そのようだな。ここは退くとしよう」


 ゲベットがそう告げて右手を振るうと、その背後に黒い渦が現れ、彼を覆い隠す。

 そして、そのままゲベットの姿はその場から消えてしまった。


「那由多。悪いけど、後で魔力の補給を頼む」

「ああ。思う存分持っていくといい。それより――」


 那由多に眼鏡を手渡され、征示は一つ嘆息してからそれをかけた。


「うむ。やはり、征示には眼鏡が似合うな」


 その評価に征示は曖昧な表情を浮かべてから、旋風へと顔を向けた。


「……嘲りに来たんか」

「危機にある仲間を助けに来るのは当然のことだ。それがたとえ、身勝手に行動した結果に陥った窮地だったとしても、な」

「ぐっ」

「……一旦学校に戻るぞ。そこにいる須藤さんも」


 征示の言葉にハッとして彼の視線を辿ると、美晴が路地の影から現れた。その不安げな瞳は旋風へと向けられている。


「依存、か」


 ポツリと発せられた呟きに、旋風はゲベットの言葉を思い出して歯噛みした。


「な……何が悪いんや」


 そして、咄嗟にそんな言葉を返してしまう。それは裏を返せば、健全とは言いがたい関係を自覚しているが故の反応だったのかもしれない。


「それが大原さん達の形だって言うなら構わないさ。俺には関係のないことだ。でも、まあ、少なくとも俺は友達とは対等でいたいと思うけどな」


 美晴を一瞥し、それから旋風を見詰める征示。


「……君はいつか『大事な友達を守りたいから戦う』とか言っていたけど、本当に守るばかりだったんだな」


 彼はそう小さく呟くと、旋風に背を向けて歩き出した。そんな彼の後姿に旋風は何も言い返すことができなかった。

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