第13話
両断されて地を転がる人形を確認し、那由多が振り返った。
「これでは一週間の特訓の成果が見られないな、水瀬君」
「い、いえ」
その戦いは、ほとんど一週間前の焼き直しだった。
現れた無数の魔導機兵達は那由多が容易く焼き払い、鏡面装甲の人形は征示の魔法で表面を削り落とし、そしてまた那由多が溶断する。
全く手順通りとでも言うべき状況で、隊員達の間には余裕ある空気が流れている。
「皆、油断するな!」
そんな中でただ一人、征示だけは緊張感を保っていて、しかし、それ故の皆への叱責は彼自身の隙となってしまった。
『その言葉は己にかけることだな』
征示の真横に暗黒が渦巻き、そこから漆黒の装甲を纏った腕が伸びる。
「くっ、
征示が咄嗟に発動した魔法は金属の壁を生み出すが、黒き拳はそれを呆気なく貫き、そのまま彼の顔面を捉えた。その一撃以上の勢いで十数メートル飛ばされた征示は地面を転がり、力なく倒れ伏してしまう。
「征示っ!?」
「同じ方向に飛んで威力を殺したか。さすがだな。しかし、そうであっても意識を保っていられる程、俺の一撃は甘くはない」
そして、暗黒の中から漆黒の鎧が這い出てくる。
「ゲベット……征示先輩をよくも!」
「……アンナ」
旋風の叫びを全く無視し、切断されて転がる人形に呼びかけるゲベット。
『はい、お兄様。〈die spiegelblanke Marionette Version zwei〉』
斜めに分断された人形の頭部からアンナの声が響き、それと同時に人形が分割線で再び結合し、装甲もまた鏡の如き状態へと戻っていく。
「さあ、第二ラウンドと行こうか。玉祈征示抜きでどこまでやれるか、見せて貰おう」
「くっ、隊長、どうしますか?」
「……私と火斂はゲベットを。旋風君と水瀬君はアンナの人形を」
火斂の問いに対し、激情を押し殺すように那由多が答える。そんな彼女の様子につき合いの長い火斂は少しの間目を瞑り、それから頷いてゲベットへと視線を向けた。
「ふっ、まあ、順当だな」
「余裕ぶっていられるのも今の内だ。征示の仇、取らせて貰おうぞ! 〈
「そう言うことだ!
身体属性魔力化によって、那由多と火斂が瞬間的にゲベットの間合いに入り込む。
二人は強化された身体能力による一撃を叩き込もうとしたが、ゲベットは大きく間合いを取って容易く回避してしまった。
しかし、それによって少なくとも彼らの戦闘の場は遠ざかった。
最初から分断が二人の狙いだったのだ。
「焔先輩の攻撃は人形には通用せえへん。隊長の攻撃も征示先輩の
敵側と味方側で保有している情報量は異なるだろうが、そのどちらでも順当。理想的とは間違っても言えないだろうが、現状では最適だろう。
「海保君、ええか。先輩二人でゲベットとはほぼ互角や。やから、うちら二人で人形を倒すか最低でも互角まで持ち込まなあかん」
「は、はい!」
「何か策を――っと、そんな暇ないようやな」
人形が行動を再開する予兆を感じ取ったのか、旋風が厳しい視線をそれに移す。
その声に水瀬は緊迫感を強めながら、人形の挙動を注視した。
『奔れ、
以前の戦いでも見た覚えのある複数の刃が、人形の周囲を衛星の如く回り出す。そうと思った次の瞬間、全て視界から消失した。
「
「
旋風が身体を属性魔力化させて姿を消したことで、一瞬前まで彼女がいた場所を刃が通り過ぎていく。そんな旋風とは対照的に、水瀬は全ての刃を魔法によって作り出した分厚い壁で馬鹿正直に受け止めた。
『耐久力に勝ってるんやったら、逆にそっちの方が効率的やな』
身体の属性魔力化より消費魔力量は格段に少ないが、その分だけ確実性に劣る防御手段であるその魔法は、それでも全ての刃を防ぎ切ることに成功していた。
しかし、周囲を金属の壁で囲うが故に、敵の攻撃を確認できない。
『上から来るで!』
その欠点を知る旋風が、遍在という特性を利用して攻撃の方向を知らせてくれる。
「
上空から降り注ぐ刃を金属の傘が受け止め、衝撃音だけが耳まで辿り着く。
その派手な音とは裏腹に魔法で生成された壁は表面が傷つくのみで留まる。つまり、アンナの魔法は少なくともゲベットの一撃よりも威力という点では遥かに劣るのだ。
(けど……)
このまま防戦一方ではジリ貧になることは目に見えている。
そんな予測が生む焦燥感を抱きながら有効策を考えることは、戦闘に慣れていない水瀬には難しかった。だから、つい縋るように倒れ伏した征示がいるだろう方へと視線を向けてしまう。その刹那――。
『水瀬、お前が奴を倒すんだ』
水瀬は征示のそんな言葉を聞いた気がした。
「先輩!?」
しかし、そう問い返してもそれ以上彼の言葉は聞こえない。
(幻聴? でも――)
幻だろうと確かに脳は認識した。何より確かに水瀬の心は大きく動いていた。
その一点において、その言葉は確かな現実だ。
征示自身の声か幻聴かなど、ことこの場においては些細な問題でしかない。
(もし本当に先輩の声なら、あの特訓で言ってた通り、あの人は僕ならあれに勝てると本気で思ってるってこと。たとえ幻聴だったとしても、それはそれで僕自身が無意識にそうすべきだって思ってるってことだ)
彼我の戦力を冷静に分析すれば、あの人形に通用する現実的な手段は現状水瀬の土属性魔法しかない。それは水瀬自身も理解している。そもそも、戦闘の最中にあって自信のなさを言い訳に逃げられるはずもない。
だが、速さと重量のバランスと魔力消費量の関係で、土属性の魔法において最も威力の出る高密度超重量物質の自由落下は命中率に難があるし、速さと命中率を重視すると空気抵抗が大きな壁となる。
『くっ、とりあえず何でもええから反撃せなあかん。海保君、高硬度粒子や!』
「それって――」
『早うっ!』
「は、はい!
周囲の壁を維持したまま、旋風に促されるままに無数の粒子を中空に作り出す。
(けど、これを操るのは僕には……)
「
次の瞬間、姿を現した旋風が突風を生み出し、砂塵をさらっていく。そして、それらは意思を持った砂嵐のように人形の存在する方向へと向かっていった。
(そうか! 粒子じゃなく風を操るから――)
「どうや、擬似
旋風の声に一旦壁を排すると、水瀬の視界には装甲を削り落とされていく人形の姿が映った。その様は征示の魔法と同じで、この状態なら那由多の魔法が十分通用するはずだ。
(これなら、後はゲベットの注意を逸らすことができれば勝機が――)
『〈die Mauserung〉』
(え?)
そう思ったのも束の間、再度アンナの抑揚のない声が発せられると、表面を粗された装甲は人形から剥がれ落ち、そこに新たな装甲が生み出されてしまう。
「な、何やて!? くっ、もう一度や!」
間髪容れずに旋風が再度装甲を削り取るが、全く同じ展開が繰り返される。
『〈die Einkerkerung〉』
そして、その直後。空に数メートル程の巨大な半球状の物体が二つ生じた。
そう認識した瞬間には、ボウルのような形状のそれらは中空に集まる砂塵を捉え、その全てを中に閉じ込めるように合わさってしまった。
「そんなっ!?」
『〈die Zusammenziehung〉』
水瀬が驚愕する間にもアンナは淡々と魔法を発動させ、二つの半球が合わさってできた球体は急激に圧縮され、数十センチの球に成り果てて地面に落下した。
(だ、駄目だ。そもそも装甲を再生される以上、もう
再び周囲に鋼鉄の刃を放ち始めた人形を前に、金属の壁を再度生み出しつつ考える。
『くっ、どないすればええんや』
いつの間にか再度身体の属性魔力化を行っていた旋風の苛立ちが耳に届く。
『衝撃には強い。光は反射してまう。火では溶けへん。打つ手がないやないか』
(火、では溶けない)
耳に残った旋風の言葉を心の中で繰り返しつつ、征示のアドバイスを思い出す。
科学的なアプローチをすれば、あるいは突破口が見えるかもしれない。
(なら、火じゃなければ?)
そう考えた瞬間、新たな魔法が水瀬の脳裏に浮かび上がった。
「大原さん、僕の魔法に合わせて攻撃を!」
『海保君? ……策があるんやな。分かったわ』
旋風の言葉を聞きながら意識を集中させる。
ぶっつけ本番、それも防御のための壁を維持しながらの新たな魔法の発動。
実戦経験に乏しい水瀬にとっては、失敗への恐怖と生命の危機を前に、卒倒しそうな程の緊張感に苛まれる状況だった。
「『其は――」
それでも、今こそそんな己自身の弱さに克つために、征示との特訓を根拠にこの場は虚勢を張って告げる。その魔法の名を。
「『其は黄金をも溶かす腐食の王』
瞬間、それは前方の空間に発生し、一塊の液体として人形に襲いかかる。
その人形はその効力を欠片も気に留めず、無防備にそれを受け止めた。
『こ、こん魔法は――』
液体を緻密に操り、温度を高めた状態で人形の装甲表面に留める。と、少しずつ人形の装甲は腐食されていき、鏡のような輝きを失っていった。
「大原さん!」
『分かっとる!
一ヶ所に集中して放たれた無数の風が脆化した装甲表面を破壊する。そこでようやく危機意識を持ったのか、人形が鈍い動きでその場から退避した。
『王水……多くの金属を溶かせる酸化力の強い液体。でも、全ての金属を溶かせる訳じゃない。〈die Mauserung〉〈der korrosionsbeständige Schild〉』
腐食した装甲を排して新たな鏡面を生み出すと共に、別種の金属光沢を持つ巨大な盾が人形の手の中に生じる。それは俗にタワーシールドと呼ばれる形状で、真正面からは人形の姿が完全に隠れてしまう程に大きい。
「そんなもの!」
散らばった液体を再び集め、そのまま人形に向けて放つ。
それに対して人形は正面に盾を構え、襲いかかる液体を待ち構えた。
先程と同様に腐食の作用が十分に発揮されるように、盾の表面を走らせる。そのまま人形を飲み込もうとするが、それは既に盾を囮にその場から離脱していた。その上――。
「溶けない!?」
完全に
『言ったはず。王水だからと言って全ての金属を溶かせる訳じゃない。それに、そもそも溶解は一瞬では進行しない。僅かにでも耐えられるのなら無意味』
つまらなそうにアンナが告げると共に、人形がその手を空高く掲げる。
『落ちろ、鉄槌。〈der Eisenbarrenschlag〉』
アンナの言葉に世界が呼応し、空に巨大な鉄塊が生み出される。
それは横向きの初速と重力に従って、水瀬に向かって落ちてきた。
「海保君!」
再度実体化した旋風に無理矢理体を引っ張られ、その場から離れる。
アンナの作り出した鉄塊はその重量故に細かい制御は不可能で、そのまま先程まで水瀬が立っていた場所に落下した。
その間に旋風に抱えられて人形の背後に回り込む。そして、その場で再び溶解液によって人形を腐食させ、旋風の魔法によって装甲を再び破壊する。
(でも――)
『〈die Mauserung〉』
やはり即座に人形は修復されてしまう。
(溶解じゃ遅過ぎて駄目だ。修復できる以上、壊しても傷つけても意味がない。それで弱体化する生物とは違うんだ。あれはただの人形なんだから。動きを、完全に止めないと)
その方策を考える時を稼ぐため、悪足掻きと知りつつも
『〈der korrosionsbeständige Schild〉』
盾など本来は必要ないはずにもかかわらず、水瀬の新しい魔法には不備があることを突きつけるように再度人形が盾を構える。
『……海保君、うちの合図でもう一度あん装甲を無効化してくれるか?』
旋風はそう告げると人形のすぐ傍に実体化し、風を纏った拳で盾の側面を叩いた。その衝撃によって盾は人形の手を離れ、同時に「今や!」と旋風が合図する。
水瀬は言われた通り、間髪容れずに装甲の腐食を繰り返した。
『隊長!』
そして、旋風がそう叫んだ瞬間、彼方でゲベットと交戦していた那由多が隙をついて光の柱を撃ち出し、人形を真っ二つに溶断した。
膨大な熱量によって溶け出した人形の装甲が周囲に飛び散り、アスファルトにへばりつく。
(あっ)
しかし、やはり人形はアンナの魔法によって即座に万全の形を取り戻してしまった。
『くっ、やっぱり、あかんか』
歯噛みする旋風に目もくれず、水瀬は溶けた装甲の一部が散らばる地面を見ていた。
(これなら、もしかして)
そして、新たに脳裏に浮かんだ魔法を形にするために口を開く。
「『万物に三態あり。融点を上回り固体は液体と化す。それは金属とて例外ではなく、熱量を抱いて灼熱の液体となる』
『か、海保君!? あの装甲に熱は効かん! 無駄や! 隊長レベルの熱量やったらともかく、その程度やと逆に装甲に熱を奪われて……って、まさかっ!?』
ぎりぎり融点を超えた状態に制御され、赤熱を続ける金属の液体が人形に襲いかかる。
数値にして一〇〇〇℃を軽く上回る鉄系合金の溶融金属は人形の装甲に触れた瞬間、膨大な熱を急速に奪われた。加えて外部からも魔法によって急激に冷却され、凝固点を一瞬の内に下回って赤い輝きを失う。
そして、単位秒当たり一億度程度の割合で急冷凝固された金属は、その強度を理論値と同等にまで高められる。
『ん、これ……身動き、取れない』
結果、その人形は周囲の全てを
予備動作をする隙間もない状態であるが故に、自らを縛る金属の檻を破壊することはこの人形にはもはや不可能だ。
「よくやった、水瀬。この戦い、お前の勝ちだ」
その言葉にハッとして振り向く。と――。
「玉祈先輩?」
いつの間にか征示が後ろに立ち、水瀬の肩に手を置いた。
その表情は満足気で、だから、水瀬は彼の期待に応えられたのだと確信した。
「征示先輩、気がついたんか!? か、体、大丈夫なん?」
「ああ。問題ない。それよりも……アンナ」
征示は金属の塊と成り果てたアンナの人形に近づき、静かに語りかけた。
「今回のお前の人形は、この水瀬がいれば容易く攻略できる。遊びは、終わりだ」
『そうみたい。……お兄様』
アンナが呟いた瞬間、人形の隣に暗闇の渦が生じ、那由多達と戦っていたはずのゲベットが姿を現した。それから遅れること数瞬、那由多と火斂がこの場に合流する。
「命拾いしたな」
「それはこちらの台詞だ。征示を傷つけた報い、いつか受けて貰うぞ」
「ふん。できるものなら、やってみるがいい」
そう嘲るように告げると、ゲベットは背後に再び暗闇の渦を生み出し、そのままその中へと消えていった。
『〈Das Spiel ist aus〉』
次いでアンナが小さく呟き、その場に静寂が戻る。
今回の戦いは終わったようだ。
「……で? 先輩、いつ目が覚めたんや?」
身体属性魔力化を解いて実体に戻った途端、ジトッとした目を征示に向ける旋風。
「どういう意味だ?」
「今回も随分タイミングよく戻ってきた思うてな」
「気のせいだ。大体、戻ったのは全部終わってからじゃないか。タイミングを見計らっていたのなら、もっと目立つ場面で戻らなければ意味がない」
その言葉にハッとして征示を見詰める。
「もしかして、僕に自信をつけさせるために――」
「だから、違うと言っているだろ? それに、たとえそうだろうとお前は実際にお前自身の力でアンナの人形に打ち勝ったんだ。それは誇っていいことだ」
征示はそう告げると、一つ荷物を下ろしたような表情を浮かべて頭に手を置いてきた。
「玉祈先輩……」
「そこまでのことをして自信が持てないなどと言えば、あの人形に手を焼いた者は立つ瀬がなくなる。謙虚さは必ずしも美徳とは限らないぞ」
その顔を見て、ようやく自分の力で勝利を手にした実感が湧き上がってくる。
「まあ、うちも認めたるよ。海保君は立派な〈リントヴルム〉の一員や」
「そうだな。これからは君の力も頼りにさせて貰おう」
「は……はい!」
旋風と那由多の言葉に頷く。
これで胸を張って彼女達の仲間と言える気がした。
正直に言えば、まだ自信はない。
しかし、自分で自分を信じられずとも、誰かに自分を信じて貰えるのであれば、それに恥じないように堂々とすべきなのだろう。
そうして綺麗にまとまりかけたところで、終始目立たなかった火斂が口を開く。
「認めるのはいいけどさあ。いい加減男の格好をしてくれよ。目に毒だから」
「火斂、君という奴は……皆、考えないようにしていたというのに」
誰もが忘れようと努めていた事実を思い出させられ、場のシリアスな空気が一気に弛緩してしまう。水瀬はスカートの裾を軽く摘んで、気持ちが沈み込んでしまった。
実は最近では授業中まで女子の制服を着せられているのだ。
理事長代理の仕業だからと一種の罰ゲーム的な扱いで、奇異の目では見られておらずそれは助かっているが、何故か受け入れられつつあって逆に非常に困っている。
「あー、そこは俺から理事長代理に言っておく。まあ、その……心配するな」
そうは言いながらも魔法に関することとは違って全く自信がなさそうな征示に、交渉の結果が容易に想像できて思わず溜息をついてしまう。
まだまだ綺麗に事態を締められる程、心身共に成熟していないということなのだろう。
そう考えて、水瀬はこのオチも含めた顛末を胸に刻もうと思ったのだった。
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