第四章 焔火斂は空気を読まない
第18話
「くそっ、お前、あの人の腰巾着じゃなかったのかよ」
一年前、訓練施設にて。火斂はフローリングの床に這い蹲りながら、傍で油断なく火斂の様子を見ている征示を見上げていた。
「他人の評価よりも自分自身の目を信じた方がいいぞ。まあ、自分の目で見て、そう思っていたのなら、それこそ目も当てられないけどな」
皮肉のような言葉ながら欠片も侮りは感じられない。その瞳は未だに、この状況から火斂が逆襲に出ることを想定しているかのように警戒の色を湛えていた。
「お前に勝てれば、あの人に――」
「……あの人あの人って、お前、那由多のことが好きなのか?」
征示は若干呆れたように問うと、構えを解いて腕を組み、微妙に首を傾げた。
「なっ――」
もう一騎打ちの時間は終わりだと告げるように隙だらけになっていたが、そのものズバリを言い当てられた火斂の方も決闘どころではなかった。
「あ、いや、その」
対抗心を持っていた相手に心を見抜かれ、羞恥心で炎が出そうな程顔面が熱くなる。
と言うか、実際に周囲に魔法の火が漏れ出てしまっていた。
「分かり易いなあ、お前。成程、それで俺に突っかかってきた訳か。噂では全く空気を読めない男とか言われていたけど、やっぱり噂は当てにならないもんだな」
何が気に入ったのか気安い苦笑を見せる征示。
しかし、火斂としては、その言葉は聞き捨てならなかった。
「おま、お前、夕星さんの気持ちに気づいて――」
「いや、気づくだろう普通。まあ、ところ構わず告白してくるから、逆に高度なジョークだと思っている奴もいるようだけど。那由多の目はいつも本気だからな」
微妙に疲れたように頭を抱える征示。
その態度に対して苛立ちが募り、火斂は勢いよく起き上がって捲し立てた。
「そこじゃねえよ! 俺が言いたいのは、気づいてて、つき合う気がないなら何できっぱり振らねえんだってことだよ! なあなあで気を持たせるような真似してんじゃねえ!」
「……やっぱり、お前は空気が読めないんじゃなくて、あえて読まないだけなんだな」
そう言うと尚のこと決まりが悪そうに力なく笑う征示。
そんな彼の姿に気勢が削がれてしまい、火斂はそれ以上突っ込めなくなってしまった。
「俺には使命がある。それを果たすまで色恋に現を抜かす暇はない。だから、まあ、お前の言う通り、きっぱり振るのが筋だ。ただ――」
「ただ、何だよ」
「焔火斂、お前は那由多のことをどれぐらい知っている?」
突然の問いに眉をひそめながらも火斂は口を開いた。
「……第一世代最強と名高い理事長代理の妹で、彼女自身も学院最強の魔導師だ。容姿の端麗さと上級生にも物怖じしない毅然とした態度で人気も高い」
「そうだな。確かにそうだ」
火斂の言葉に征示は後悔の混じった声で同意した。
「けど、那由多の恐れのないような態度。あれは実のところ、俺に対するある種の依存から生まれた逃避なんだ。彼女自身の強さじゃない」
「どういう、ことだよ」
「那由多は小学生の頃、神童と持て囃されていた。実力もさることながら姉の功績で必要以上に持ち上げられていたんだ。それで、まあ、那由多もあの頃は子供だった訳で、調子に乗っていたんだ。正直、危うい感じで自分の実力を過信していた」
しかし、幼い時分で己を律しろと言うのは、さすがに酷というものだ。
あくまでも「その年齢にしては」だとしても既に自覚する程に才能が開花し、その実力を周りから賛美されていたのであれば、そうなるのも仕方のないことだろう。
「対して、知っての通り、俺は自分で魔力を作れない。そのせいで、その……当時はまだ誰もが認める才能って奴に少しコンプレックスを持っていたんだ」
その言葉に、火斂は征示に関する噂を思い出していた。
自分で魔力素を作れない欠陥品。借り物の魔法で調子に乗っている。
なまじ成績は優れているだけに、尚のこと歪んだ感情を向けられているのが噂自体からもひしひしと感じ取れる。
こうした陰口に関しては、正直火斂も気に食わなかった。
「それで、つい、な。模糊さん……理事長代理を介して決闘を申し込んで、魔法で那由多を叩きのめしてしまったんだ。若気の至りって奴だな」
「はあ!?」
深く恥じ入るように告げた征示に、火斂は驚きで開いた口が塞がらなかった。
いくら幼い時分のこととは言え、何とも物騒な真似をするものだ。それだけ彼は自分自身の歪な才能に苦しめられてきた、ということなのかもしれないが。
「それで那由多の自信は粉々。彼女にして見れば俺の力は常識的な才能とはかけ離れた異質なものに映ったんだろうな。俺の力は絶対だと思い込むようになった」
子供だったからこそ、その思い込みは強固なものになって、今に至るというところか。
「まあ、そこは多分俺のその後の対応も悪かったんだと思うけどな。少しばかりやり過ぎたと思って、その後色々と過剰にフォローしてしまったから」
尚更ばつが悪そうに嘆息してから、征示はさらに言葉を続ける。
「今、俺が那由多を拒絶すれば、那由多の芯は折れてしまうだろう。そうなるのは、俺が使命を果たす上で好ましくない。やるにしても状況を整えてからでないと――」
「お前の言う使命って奴は、夕星さんよりも大切なことなのかよ!」
人の気持ちを己の損得で振り回していることを認める発言に瞬間的に感情が高まり、火斂はほとんど責めるように問うた。
「ああ。俺はそのためなら、いくらでも那由多の心を踏み躙ることができる」
だから、即答されて思わずたじろいでしまう。
その上、征示の顔に浮かぶ覚悟を前に、弾劾を重ねることは火斂にはできなかった。
「一体、お前の使命って何なんだよ」
「それは――」
ほんの一瞬だけ逡巡するように瞳を左右に揺らしてから、征示は諦めたように告げた。
「侵略者の手から、この世界を守ることだ」
簡潔でありきたりな言葉だが、それは誰の言葉よりも重く響いた。
明らかに、一介の高校生が抱くような現実性のない妄想染みた英雄願望ではない。具体的な敵まで見据えた上での発言だと彼の顔と口調から感じ取れる。
「本気で、言ってるのか?」
「当たり前だ。俺は人の心を傷つけてでもと言った。少なくとも、その程度の大義がなければ俺はそんな覚悟は持てない」
征示の真っ直ぐな眼差しを前に、彼に対する敵愾心が薄れていることを自覚する。
それだけの強い使命感を抱いて突き進もうとしている姿は、那由多のことさえなければ男として素直に称賛すべきだと火斂は思った。しかし――。
「俺はそれでも、どんな理由があろうと……夕星さんを傷つけたら、お前を許さねえぞ」
「それでいい。だから、お前は今まで通り、あえて空気を読まずに馬に蹴られてくれ」
そんな若干冗談染みた言葉には「ふん」と鼻で笑って背中を向ける。
それから一年。
本当に馬に蹴られる真似を続ける羽目になるとは、この時の火斂には想像することもできなかった。
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