第21話
「那由多は将来何になりたいの?」
遠い記憶の中にある、そう尋ねる模糊の大人びた優しい微笑みを思い出す。
それは那由多が征示と出会う以前の姉の姿。
当時、第一世代の魔導師として最も苛烈な戦いの最中にいた彼女の、そうとは感じさせない笑顔は未だに那由多の心の中に鮮明に焼きついている。
「私は――」
その記憶の中で自分がした返答を、那由多は人気のない夜の学校で一人呟いた。
「姉さんみたいな格好いい正義の味方になりたい。悪い奴等から力のない人達を守れるような正義の味方に……なりたかった」
子供の憧れから生じた安っぽい正義感。
それが火斂の問いに対する本当の答え。躊躇って言えずじまいだった最初の理由だ。
「……過去形なの?」
突然背後から言葉をかけられて少し驚くが、それが誰の声なのかはすぐに気づく。
「……私は、怖いんだよ。姉さん」
振り返らずに那由多は模糊に告げた。
「今までずっとその感情を征示に預けてきた。だから、受け止められないんだ。テレジアが怖い。戦いが、今更になって、怖い。姉さんが言うように乗り越えられない」
「……那由多。私が一時期おかしくなってた時のこと、覚えてる?」
脈絡の分からない質問に、那由多は思わず振り返った。と、模糊はどこか決まりが悪そうに夜空を見上げていた。
「忘れるはずがない。言っては何だけど、私はあれのせいで姉さんへの憧れが薄れて征示に依存したと言っても過言じゃないんだ」
「そ、それはごめん。……でも、言い訳するとね。あの頃、私は貴方と同じような状況にあったの。戦いが怖くて、怖くて、どうしようもなかった。どうしようもなくて、変な設定を作って自分を保つしかなかったのよ」
上の世代に魔導師がいない以上、当時の模糊に逃げるという選択肢は与えられなかったに違いない。ある程度戦況が落ち着いてきた時期になっても、戦闘に耐え得る魔導師の絶対数は少なかったのだから。しかし――。
「一番戦闘が苛烈だった時は大丈夫だったのに?」
模糊が戦いに駆り出されたのは十歳の時だ。むしろ、まだ幼いその時分にこそ、恐怖を受け止められるだけの強さがあるとは思えない。
「……その頃は、何も知らなかったから。だから、子供の正義感で戦えた。何より、恐怖を覚える程に強い敵なんて、いなかったからね」
確かに最初期の頃、各国の軍隊が苦戦を強いられたのは魔導機兵の圧倒的な物量故だ。
弾薬、燃料、兵糧。倒しても倒しても新たに現れる敵に消耗し、疲弊していた。
最後の一線を超えてしまうのも時間の問題だった。
その状態で十年。よく持ったものだと思う。
そして登場した第一世代の魔導師達。弾薬や燃料を必要としない彼等のおかげで、何とか戦況を立て直し、巻き返すことができたのだ。
それは偏に魔導師のコストパフォーマンスのよさのおかげだが、もう一つ、その当時はゲベットを始めとした幹部、敵の魔導師がいなかったことも大きな要因だろう。
恐怖を覚える程の敵。思えば、彼等が現れるようになったのは丁度模糊の様子がおかしくなった十年前からだったか。
「姉さんは、どうやってその恐怖を?」
その那由多の問いに、模糊はばつが悪そうな苦笑いを見せて答えた。
「まず言っておくと私は今も怖い。戦うことが。時々どうしようもなく夜に震えてしまうこともあるぐらいにね。乗り越えてるかって聞かれたら、厳密には違うと思う」
「けど、姉さんは戦える。本気を出したゲベットとも互角に戦っていた」
「……それはね。比較の問題よ。那由多」
「比較?」
「そう。世の中には戦うことよりも自分が傷つくことよりも、もっと恐ろしいものが、本当の恐怖がある。それを強く思えば、戦うことの恐怖くらいどうってことないわ」
「本当の……恐怖?」
その言葉を耳にして、那由多の脳裏にあの日の征示の最後の姿が甦った。
「征示っ……」
我知らず瞳が潤み、俯いてしまう。
彼はあの瞬間、どれ程の痛みを受けたのだろう。何を思ったのだろう。
暴力で全てを奪われる。何故世界にはあれ程の理不尽が蔓延っているのだろう。
「那由多……」
突然頭に柔らかな感触を受け、一瞬遅れて模糊に頭を撫でられていることに気づく。
「……これはね。征示君に教わったことなの」
「征示、に?」
「そう。いつだったか征示君に『戦うのが怖くないの?』って聞いたの。そしたら征示君は『もっと怖いものを知っているから』って。その言葉がきっかけで私は邪気眼なんかに頼らなくても戦えるようになったのよ」
慈しむように髪の流れに沿う模糊の手の動きを感じながら、那由多は顔を上げて彼女の顔を見詰めた。そこには最近のふざけた雰囲気は欠片もなく、いつか見た優しげな微笑みだけがあった。
「この前は厳しく言ってごめんね。余りに征示君の言う通りになって、ちょっと妬けちゃったと言うか、腹が立っちゃったの。妹のことが理解できてなかったみたいで」
「姉さん……」
それから模糊は那由多の頭から手を離すと、一歩下がって表情を引き締めた。
それは姉としてではなく、理事長代理としての顔だった。
「那由多、明日から貴方も特訓に参加しなさい。貴方にとっての本当の恐怖が戦うことではないのなら。ううん、そうだったとしても」
「それは……でも、私は――」
「申し訳ないけど事態が切迫してて、貴方が明確な答えを出せるまで待てないの。それに答えを出した時に戦える力がないと苦しむのは、きっと貴方自身だから」
姉の真っ直ぐな瞳を受けて、少しの間目を閉じて考える。
そして、一つ頷いて那由多は静かに目を開いた。
未だに恐れは心の隅々まで満ちている。それでも――。
「……分かった」
きっと戦うことへの恐怖は本当の恐怖ではないと思うから。
今はまだ、敵への恐怖が足枷となって足手纏いにしかならないとしても。
(征示のせいにして足を止めている、なんて言われないように)
それだけは那由多自身も自分を許すことができない。
だから、そんな状況に陥っていたことに気づかせてくれた火斂に僅かな感謝を抱きながら、那由多は模糊の言葉に深く頷いた。
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