第5話 天才と秀才

 天才と秀才、あるいは天才肌と優等生肌の問題について考えるなら、より面白いのが天才であるのはほぼ自明だろう。


 秀才や優等生肌の人間は、様々な方面のことをそつなくこなすが、何か真に予想外で目から鱗が落ちる様なものを生みだす力に乏しい。だから、優等生肌の人間はそれなりにいい奴か、微妙に八方美人だったり偽善者だったりするうさん臭い奴かであって、何かやるべきことがはっきりしている局面においてそれをやらせるにはいいが、トップに立つには向いていない。全員が優等生肌の組織は硬直する。どこかの国の官僚機構のように。


 秀才や優等生肌は、サポート役、参謀格には向いているかもしれないが、やるべきことを一から決めるべきトップに立つべきではない。


 対して天才肌は、時に様々な些事を犠牲にしながら、努力を努力とも感じずに自分のなすべきことを見出してどこまでも突っ走っていく。だから、周囲の人は時には迷惑と感じるかもしれないが、結果的により優れた知識や芸術にたどり着く。

 結果として世界をガラッと変えてしまう。この人についていけば、きっと予想外で面白いところにたどり着けるだろうと思わせるタイプの人間が、天才なのである。


 天才だけでは社会は回らないだろう。秀才はつなぎ目のような存在だ。しかし、機械的な作業をロボットや人工知能が代替するようになった暁には、人類全体が天才的であることが求められるようになるかもしれない。

 そしてその先で、天才すらも必要とされない社会が来るかもしれない。


 いずれにしても、秀才は必要だが替えも効くし面白味もない。


 天才は、即座にその必要性を理解できる人間ばかりとは限らないが、(少なくとも今のところは)代替不能で面白い。


 天才と秀才、どちらと付き合いたいかと言われれば、私は迷わず天才を選ぶだろう。


 そういう天才が案外少なく、いたとしても、年を取るにつれて普通になり、美人の美貌ほどにすら持たないことが多いのは、何とも残念なことである。

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