第12話 ユーモアと台風

 私のウィキ活動において、ホームとなっているのはとあるユーモアウィキである。


 と言っても、現在の活動の重心はそちらよりもSOS団Miraheze支部に移しつつあるのだが、ユーモアウィキの書き手としては、思うところが一つある。


 巨大台風が近づいているというニュースであちこちが持ちきりであるが、こういう時こそ、ユーモアの紡ぎ手は腕の見せ所なのではなかろうか。


 元々、ユーモアが発揮される重要な状況の一つは、多大なリスクが目の前にある時である。だから、戦争中の兵士は予想外にユーモラスな軽口を叩いて場の雰囲気を軽くするし、ハン・ソロはカーボンフリーズを前にして、レイアからの愛の告白に対して"I know."と返す。


 台風を前に、シリアスになることは確かに必要かもしれない。だが、シリアス一色になり過ぎるのは、ちょいと息苦しい。こういう時こそ、思い切って台風を笑い飛ばすぐらいの気概を見せてもよいのではなかろうか。


 炎上?不謹慎?そうやって出る杭を打ち合う風土こそ、ユーモアを委縮させる、ユーモアの大敵である。私は恐れない。


 皮肉な話だが、戦災や自然災害は、各国のインフラの更新を促してきた側面もあるのも事実である。東京の大通りや街並みが整備されたのも、関東大震災があって帝都復興計画が立てられ、東京大空襲があって戦後の再建があったからというのは紛れもなく歴史上の事実だ。それは東京に限ったことではない。阪神圏も、阪神淡路大震災があって、インフラの更新が促されたのは確かなのだ。

 人間、少なくとも日本人は、災害や黒船のような大きな衝撃に直面しない限り、少なくとも文化的な意味では脱皮できない側面もあるのではなかろうか。その意味で、文化面では、我々は案外節足動物といい勝負にカチカチに固まっているのかもしれない。連続的な成長ではなく、不連続な脱皮をすることでしか成長できないのであれば。


 そして、プリ災害、ポスト災害において、文化的な脱皮を促進する手段の一つは、間違いなくユーモアだと、私は考えている。だから、私は恐れない。


 その上で、台風の後に、また会おうではないか。

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