第11話
時々、楽しいはずのことをやっている最中で、ふと何がしたいのだろうと考えることがある。
何かをやって、それがうまく行ったとしても、行かなかったとしても、何のことはないふとした拍子につい考えてしまうのだ。
これが行きつく先はここだろう、ではその先はどこだ?
最後には何が残る?
「私はここにいる」というメッセージは実存主義の本質なのだろう。しかし、それは、常に「ここにいた」に変わり、やがては「いた」ことさえも埋没してしまう危険性を孕んでいる。
宇宙の終焉。個体の死。その無力を前に、個人として反抗を試みるか、あるいは反抗を試みる者同士で連帯してみるか、はたまた、超越的な神を認めてしまうか。
生物学的には、目的など関係なく人は死ぬまで機能を維持する(時に医学的延命の手を借りて)。しかし、人間は、目的や意味を精神的な食料としている。
そして、精神には満腹はないのだ。「足るを知る」と言うは易い。しかし、本当に満ち足りているのだろうか?それはポーズでしかないのではないか?
一つのゴールを達成すると、次のゴールを目指したくなる。しかし、それはどこか不毛なようにも思われる。
その繰り返しの果ての果てでは、何も残らないのだから。
…やはり、人間の思考において、「死」という問題はかなり重要な課題なのかもしれない。しかし、不老不死は不老不死で虚しいだろう。時間が無限にあれば、宇宙は有限であるから、やるべきこともやりたいこともすべてやりつくし、結局は目標の喪失に出会うこととなる。繰り返しは、文字通りただの繰り返しであれば意味はない。得るものがあってのみ意味をなす。
そして、永劫回帰の世界で、それならもう一度と積極的に踏み切れるほどの何かは、私は持っていない。ニーチェは持てたのだろうか。…あるいは、それを持てずに、晩年ああなったのだろうか。
渦巻く思考を排し、没入し続けられる何か。私にはそれが欲しい。
今のところ、その最有力候補には何となく出会えた予感はする。が、まだ確証はない。少なくとも、Twitterトレンドに出ているような典型的なファンコミュニティの盛り上がり方を見ると、それとはちょっと合わないと感じるのだ。
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