第2話 Wiki界隈の光と影など
正直に言うなら、日本のWiki界隈は長らく斜陽状態だと言って良い。例外的に伸びているEnpediaもこの頃は勢いは頭打ちだし、Mirahezeに限って言えば日本語ウィキは増加傾向にあるが、そのほとんどが利用者不足で結局Dormancy Policyに引っかかって打ち捨てられる。
既存のウィキについて言えば、WikipediaやUncyclopedia、そして日本独自という意味では誇っていいであろうChakuwikiも、日本語圏では明らかに衰退傾向にある。
MediaWikiに限らず、Wikiサイトのいいところは、誰もが編集に参加して、知識をシェアすることができることだ。多様な見解が共有されれば、集合知定理の成立する状況が成り立ち、結果としてWikiに掲載される情報の精度は、理論上かなりのところまで向上する。
実際、英語版Wikipediaの科学記事は、ブリタニカに匹敵する正確さを誇るという研究データも存在する。
一方で、日本語Wikiについて言えば、最大規模を誇るWikipediaですらその実情は惨憺たるものである。理由はいくつか考えられる。
一つは、ニコニコ大百科やpixiv百科など、それなりに規模が大きいライバルが存在すること。英語圏にもEverypediaやテーマ別のFandom系コミュニティなどは存在するのだが、そもそも日本語圏で百科事典の編纂に携わる利用者は絶対的に英語圏に比べて少ない。このため、分散が命取りになるのである。
二つ目は、atwikiなど、MWと非互換な国産ウィキファームがいくつか存在し、FandomやMiraheze、GamepediaのようなMWを使用するウィキファームがあまり流行っていないこと。書式の違いは、利用者のロックインを生む。それ故、atwiki系などには、案外内容が充実したファンウィキも存在しない訳ではないが、そちらに流れた客がWikipediaなどと兼任しない状況ゆえ、ウィキ界隈全体で見ると低調になってしまうのである。
三つ目は、長引く荒らしとの戦いである。UsopediaやEnpedia、そして最近はChakuwikiでも荒らしは衰退傾向にあるが、WikipediaとUncyclopediaは未だに大規模な長期荒らし(LTA)に悩まされている。「誰もが編集できる」というのは、裏を返せば「誰もがいたずらや荒らしを行うことができる」ということであり、日本の場合、ISECHIKAなど、海外Wikiにすら知られるほどの超大規模荒らしが存在する。Wikiの操作は原則として可逆的なので、荒らされても戻すことはできるのだが、いくら戻せばいいといっても、戻すことには手間がかかる。
MassRollbackなどのスクリプトを使えば一発で巻き戻せ、また不正利用フィルターによって典型的な荒らしパターンを排除することもできるが、英語圏産のこれらのスクリプトや技術は、国内では普及していないか、誤用されて誤った反応に陥ったりしていて、十分に活用しきれていないところが多い。
更に言えば、WikipediaにせよUncyclopediaにせよ、管理者就任審査が異様に厳しい傾向がみられ、結果として日本語版では、荒らしを止める(投稿ブロック)ことのできる利用者の絶対数が少ない。形式的な管理者数の多いChakuwikiにしても、実働管理者は一桁で状況は似たり寄ったりである。
結果として、荒らしとの戦いで管理者を含む多くの利用者が疲弊し、コミュニティの成長が阻まれているきらいがある。
余談だが、ある調査によると、ネット荒らしに加担する利用者は全ネット利用者中の1%程度に過ぎないというから、荒らしの犯人は少数であろう。某ウィキでは主犯は一人と言い切っているところもあるらしいが、一人であろうと少数犯であろうと、その執念深さには呆れてしまう。
四つ目は、何度か触れたが、Wikiプロジェクトに参加し、共同で何かを作り出そうとする利用者の絶対数の少なさである。
「誰でも編集できる」というのは、編集に参加する気のないリーダーにすれば、「誰かが編集してくれるだろう」と言い換えることのできる性質でもある。そして、日本語コミュニティでは、ひたすらに「Wikipediaは信用するな」と教育されているから、わざわざ信頼できるか微妙なサイトの質を高めようとする高い理想の持ち主も現れにくい。本当のところは、きっちり管理されていれば一次文献を収集するサイトとして役立つ可能性もあるのだが、専門的な記事には、何らかの問題の存在を示すタグが貼られていることが多く、こちらの方面でも期待できない。
人は、良質なサイトを高めたいと思うものだから、質に期待できないサイトで活動するよりは、もっと面白いコミュニティを選んでしまう。Wikipediaルールもがんじがらめで入り組んでいて、しかも相互に矛盾しているような場では特にそうだ。
UncyclopediaやUsopediaのようなユーモアウィキで、面白おかしく世の中を表現する方法もあるにはあるが、殆どの人は、長文を書くならTweetでぼやいて済ませた方が良いというめんどくさがりである。だから、結局Wikiには人が集まらず、その本来のポテンシャルが十分に発揮されない。
英語版はその点全体的にまだずっと良いのだが、内情を聞くには、英語版にも似たような欠点はあり、中長期的にはWiki界隈全体が何とかするべき課題として立ち現れるだろう。
五つ目は、Wiki界隈の一種の依存構造だ。国産MediaWikiサイトは、Wikipediaを頂点として、そこから利用者が流入するという依存構造に頼っている。流れの下の方は、上流部に比べてもさらにひどいことになる。Wikipediaの直接的な下流だと思われるEnpedia、Uncyclopedia、Chakuwikiで既に規模感は何桁か違うし、その更に下流だといえるUsopediaなどは、正直このままいつフェードアウトしてもおかしくない末期状態である。更に下流にあるBakapediaやWarapediaなどのサイトは言うまでもない。
Wikipedia以外のウィキは、何とかして独自に利用者を得るルートを確保したいところなのであるが、サブカル系で最近若干伸びているEnpediaと、バカ日本地図ネタで多少の口を持っているChakuwikiを除くと、殆ど独自の集客ネタに欠いているのも現実である。
私は、どちらかというとUsopediaやEnpediaなどの中小ウィキを主に見てきたが、どこにも成長の糸口がつかめないウィキや、安定成長に入って開拓者精神の入り込む余地が少ないウィキに飽きてしまうのも、端的に言えば、将来的な発展性が乏しいからである。
少なくとも私という個人の技量では、これらの課題を解決する道筋は正直立てられない。せいぜい現状維持と時たまの記事投下、内部制度の刷新しかできることはない。
本当は管理者などとしてどうにかしたいところではあるが、こればかりはどうしようもない。Wikiの運命は誰もが編集して情報を練り上げるか、誰も編集しなくなって停滞するかによってきっぱり分かれる。
後者に入るウィキ、特にUsopediaについては、上流に位置するUncyclopediaの壊滅的粛清による自滅もあって、半分以上諦めている。結局あのウィキは、利用者流入減としてUncyclopedia以外の口を殆ど得られなかった時点でUncyclopediaと運命を共にせざるを得ないのだ。
だから、私はこうして別の媒体への脱出を決意したのである。(当面であれ)栄枯盛衰を気にしなくていい、書き手に専念できるメディアは、私にとって心地いい。
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