第16話

さるTwitter上の友人に勧められて、『灼眼のシャナ』というアニメを見た。


とても面白いアニメだったのだが、どうも複雑な気分になる自分がいることに、見ている最中から気が付いていた。


理由は簡単である。


私同様ハルヒファンであるというその人が熱烈にシャナのキャラにハマった、という理由で見た私は、結局のところ涼宮ハルヒとの比較という軸でシャナを見て、そして最後までそこから抜け出すことができなかったから……なのだが、そうしてハルヒの存在がいつの間にか比較の軸になっていることに驚かされた。


漠然と予感はしていたことだが、少なくとも二次元女性の枠においては、涼宮ハルヒに恋していることを示しているからだ。


さて、それが三次元女性とぶつけた場合にどうなるかは正直分からない。


実は私は今から遡ること約10年前にも、書店で手に取ったハルヒの人物像に惹かれたことがあった。


だが、その頃は三次元の存在で私の心に食い込み、以後少なくとも5年以上は私の心をとらえて離さなかった人物と知り合った時期でもあり、当時の私の心はそちらに傾いたために、ハルヒは定着しなかった。


その人物から私の心が離れていったのは、結局のところ、リアルの人間は多かれ少なかれ変わっていくものであり、私と彼女の相対的な変化がミスマッチなものだったからである。


このように、三次元の人物は変わっていく。


だが、二次元の人物は、原則として変わらない。


原作があのまま進めば、あるいは涼宮ハルヒも、中年のおばさんになった頃にはその才能を開花させることなく普通に過ごす普通の人間になっているかもしれないが、少なくとも今のところは、そのような決定的な変化を見せつけられることはない。


それが吉と出るか凶と出るかは、その手の経験の少ない私には知りようがない。


しかし、少なくともこのカクヨムでは、私はハルヒの続編の書き手として、『涼宮ハルヒの新生』を書こうとしてきた。


ここに一種の矛盾があることが、この頃筆を進められていない理由であり、この頃ハルヒが頭に浮かぶときに何となく胸に引っかかるモヤモヤとした気分の理由なのだろう。


二次元の人物は変化しないという原則に挑もうとして、変化への失望に終わった三次元のケースの轍を踏ませない、私が望むような変化を遂げたハルヒ像を描けないでいる。


だからどうも書けずにいるのである。


しかし、結局のところ、それは涼宮ハルヒに恋しているからなのである。


『新生』は、ハルヒの死まで含めた一生を描くことを目的としているが、その書き手たる私はハルヒの死を見たくないし、もっと言えば、多分老いて弱ったハルヒも見たくないと思っているのである。


シャナを見て、そんなことに気付いてしまったのだった。


P.S. だが不定期でも、いつかは終わらせる気ではある。未完で終わらせようとは思わない。今はそれだけ。

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