第9話 無知と仮説

 かつてソクラテスが無知の知を自覚したころから、何かを知っているのかという意味では人類は一歩も進んでいない。


 確かに科学的知識をはじめとした人類の知識は膨らみ、図書館にも博物館にも収まらないほどのものになりつつあるかもしれない。


 だが、科学者が常に扱うのは仮説だ。明であり、「こう考えるとうまく世界を予測したり制御したりできる」というものであり、しかもその予測や制御も、せいぜい部分的にしうまく行かないという代物である。


 科学者に限らず、歴史を少しでも理解している人なら、自分たちの考えがせいぜい仮置きの説明でしかなく、本当にそれが正解であるかは知りようがないこと、そしてパラダイムシフトが起こり続ける限り、それは結局のところ将来的には誤りを含んでいると発覚するであろうことを知りながら、仮の説明、仮説しか紡げるものを持たないことに気付かざるを得ない。


 仮に世界の本当の姿にたどり着いたとしても、それすらも我々は仮説としてしか認識できないだろう。


 それが、今のところ人間知性の限界なのである。


 我々はせいぜい、何かを知っているかのように振舞えるだけで、本当に何かを知ることなどできない。できたとしても、それに気付くことはない。


 本当のところ、自分たちが無知なのかすら、確証は持てないのかもしれない。


 我々が実のところ無知であるということすらも、確率の高い仮説にすぎないのではないか…。

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