11. お願いだから、俺のことは忘れて
母のお使いから帰宅中の絃乃は、ふと足を止めた。
――自宅前に、挙動不審の人物がいる。
きょろきょろと周囲の様子を気にしている男が目に入り、とっさに建物の陰に隠れる。息を潜ませて不審人物の姿をこっそり窺う。
男はまだ若いのか、少年といっても差し支えのない顔つきだった。あどけない面影が残っており、何かに怯えたような様子もある。
(一体、ここで何をしているのかしら……)
顔だけ出して様子を探るが、どうやら直接訪問する勇気はないらしい。
よれよれの久留米
(弟が生きていたら、こんな感じかしら……)
双子だったけれど、二卵性だったため、見た目はかなり違っていた。
視線を外すタイミングがわからず、気づかれていないのをいいことに、そのまま無遠慮に横顔を見つめる。
少年にしては睫毛が長く、肌は色白だ。少しクセの強い波打った髪。目元は涼しげで、儚げな印象がある。そのとき、ふと懐かしい顔が頭をよぎった。
(ん? 似てないはずになのに、前世の弟に似てる気がする……)
前世の二歳下の弟は、美人の母親似で端正な顔立ちだった。さらに、外遊びよりも家の中にこもるタイプだったため、肌の白さも弟のほうが勝っていた。
二人揃うと、姉よりも女性らしい風貌をしていた弟。SEという仕事柄、度数の強い眼鏡を愛用しており、家事スキルは高いのに対人スキルは低く、彼女ができても長続きしないタイプだった。
(いやいや、まさかね。よく見たら顔つきも違うし、雰囲気だけ同じに見えたのも目の錯覚かも……。だって、ここは乙女ゲームの世界なんだし)
前世の弟がいるわけがない。
そう思うも、なぜか視線がそらせない。引き寄せられるように、彼の一挙手一投足に注目してしまう。知らず、足が前に出してしまったらしい。
「あっ!」
少年がこちらに気づき、気弱な様子で必死に弁明する。
「あの、怪しい者ではありません。ちょっとここを通りかかっただけで……」
「そ、そうなの。偶然ね。私も今、通りがかったところなの」
我ながら言い訳が苦しい。けれど、それは少年も同じようだったようで、額に汗がじんわりとにじんでいる。
「ここは白椿家のお屋敷だそうですね。あまりに立派なので、つい見とれてしまいました」
「古いお屋敷よね。増改築しているけれど、昔ながらの家らしいわ」
二人して見上げると、しっかり剪定された松の枝が見えた。
代々引き継いできた家とはいえ、人によっては古くさいと言われるような日本家屋だ。ちらりと横にいる少年の反応を見ると、思ったより距離が近かったことに今更気づく。
だが、なぜか羞恥心よりも親近感のほうが強くて、まじまじと見てしまう。それがいけなかったのだろう。絃乃はつい口を滑らした。
「
少年はつぶやきに反応し、身をこわばらせた。絃乃の顔を凝視し、かすれた声で問いかける。
「……まさか……香凜……?」
「っ!……本当に音夜なの? だって、ここは……あなたも転生していたなんて」
信じられない。こんな偶然があるだろうか。
興奮して声がうわずる。
「今はどこで暮らしているの? 私はね――」
けれども、続く言葉は彼の大きな手のひらによって塞がれ、飲み込む羽目になった。
「香凜。お願いだから、俺のことは忘れて」
「どうして? せっかく再会できたのに。そんなことより、音夜はここで何を……」
前世での馴染みで話しかけると、しかめ面で返される。
「俺は今、白椿家のお嬢様を探しているんだ。だから今、姉さんと話している時間はない」
思いがけない言葉が飛び出し、絃乃は目を丸くした。
前世の弟はすげない態度で、あっちに行けと目でアピールしてくる。
「……お探しの白椿絃乃なら、私のことだけど? 一体なに、どういうこと?」
「は?」
「ここの屋敷の娘は私よ。せっかく再会した前世の姉より大事な用事って、どうせろくなことじゃないんでしょうけど」
すねたように言うと、音夜は鳩が豆鉄砲をくらったように言葉をなくしていた。
これはまだ信じていないかもしれない。
絃乃は風呂敷から教科書を取り出し、その裏面に自筆で書いた氏名を見せる。
「……噓や冗談じゃなくて? 本当に姉さんが絃乃だっていうの?」
「まだ信じられない?」
「……いや、ここにいる時点で充分な証拠だけど……本当に?」
「音夜は疑い深いのね。こんなこと噓ついてどうするの。何のメリットもないじゃない」
彼はくそっと悪態をついたかと思えば、そのまましゃがみこんでしまった。
目元を手で覆い、何の冗談なんだよ、とつぶやいている。
「大丈夫? お茶でも飲んでいく?」
「……いや、いい」
ゆっくりと立ち上がった音夜は目をそらし、世を儚むように空を見上げる。
「…………どうやら、俺は転生しても弟のままらしい」
絶望したような嘆きが聞こえてきて、絃乃はぱちくりと目を瞬く。
言葉を反芻し、やがて、その意味を考えて息を詰まらせた。
「弟って……どういうこと?」
「だから、俺は葵なんだよ」
「そんなわけ……だって、私の弟は神隠しにあって……」
「生きていたんだよ。いろいろあって記憶喪失になっていたけど、前世の記憶と一緒に何もかも思い出したんだ」
予想外の告白に頭が回らない。
六年前の記憶を呼び起こす。ある夜、一人だけ忽然と消えた弟。
(雰囲気が違っていたから、すぐには気付なかったけど……確かに弟の面影がある……)
色白だった肌は健康的な肌色になっていて、声も記憶のものと違う。だが自分を見つめるその瞳に宿る優しい色は、双子の弟とよく似ていて。
やっと記憶の中にいた面影と、目の前の少年が頭の中で一致する。
「え、それじゃあ……帰ってきたの?」
「……それは……」
「だって、そうでしょう? 記憶が戻ったのなら、あなたの家はここじゃない」
「そうだけど、俺は狙われているんだ。だからまだ戻れない。ここには姉さんの様子を見に立ち寄っただけで、本当はすぐ帰る予定だったんだ」
葵はじりじりと後退して背を向け、逃がすまいと絃乃が距離を詰める。
「ここには長居できないから……」
「待って、音夜!」
今にも走り去ろうとする葵に向かって、懸命に呼びかける。
「……音夜じゃない。
「今はどこにいるの? 須々木ってどういうこと?」
矢継ぎ早に質問を繰り出すと、後ろから下駄の音と話し声が聞こえてくる。
葵は足音の方向をちらちらと見ながら早口で答えた。
「それも教えられない。いいか、姉さん。ここで会ったことは他言無用だからな!」
それだけを言い置いて、葵は脱兎のごとく逃げ出した。
その場に残された絃乃は彼が消えた方向を見つめることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。