6. 誰もいないと思ったんですが

 いつもは校庭の木陰でお弁当を広げるが、あいにくと今日は雨だ。雨の日は椅子を持ってきて、百合子の机に集まって食べるのが恒例だ。


「百合子のお弁当はいつもながら豪華ね」

「そういう絃乃だって、おかずの種類が多いじゃない。彩りもきれいだし」

「でも重箱のお嬢様と比べると、やっぱり差を感じるわ……」


 断続的に降る雨音を聞きながら、卵焼きを口に頬張る。連日、梅雨空が続いているため、晴天が懐かしく感じる。

 たけのこの煮物を箸でつまんでいると、先に食べ終わっていた雛菊がぼやく。


「今も正体不明って、つくづく謎に包まれているわよねえ」


 雛菊が読んでいるのは号外新聞のようだった。


「何をそんなに真剣に読んでいるの?」

「怪盗鬼火の記事よ」

「……なあに、それ?」


 初めて聞く言葉に首を傾げる。

 すると、雛菊だけでなく、百合子にも驚いた顔をされた。


「絃乃ってば、知らないの? 神出鬼没の大怪盗、鬼火よ。青い炎を見たらご用心! 気づいたら家宝が盗まれていた! って有名じゃない」

「全然知らなかった……」


 箸を置くと、雛菊が人差し指を立てて解説を始める。


「鬼火はね、犯行声明として、現場に新聞の切り抜きで作った鬼火というカードを置いて逃げる泥棒なの。警備の網をかいくぐり、資産家の宝石や金子を盗むことで知られているわ」

「それは義賊なの?」

「ううん、たぶん違うわね。狙われるのは資産家だけど……、盗んだものを貧しい人に分け与えるって話は聞いたことがないわ」


 雛菊が悩ましいといったように腕を組んでいると、百合子が口を挟む。


「でも最近はおとなしかったわよね。鬼火の犯行って」

「そうそう、ここ数年はその名前は聞かなかったのよね。てっきり怪盗稼業は引退したものだと思っていたけれど、違ったようね」


 新聞記事を見せてもらうと、有名社長の金庫から家宝の掛け軸が盗まれたということが代々的に書かれていた。怪盗の性別や身長も不明、華麗な手口で犯行を続ける犯人の考察があったが、どれも推測の域を出ない。


(怪盗か……。今まで狙われていたのが宝石や金目のものなら、失踪事件とは関係なさそうね)


 書生捜しは難航している。

 名前も顔も知らない、どこの家に住んでいるかも不明。


(正直なところ、探しようがないのよね)


 唯一、知っていそうな人といえば詠介だが、彼ともここしばらくは会えていない。何度か河川敷に顔を出してみたが、忙しいのか、彼が姿を見せることはなかった。


(会いたいなぁ……)


 彼は今、どこで何をしているだろうか。雨だから外でスケッチはできないだろうけど、家の中で描いていたりするのだろうか。

 会えない期間が長くなればなるほど、恋しく思う。校庭に視線を転じると、依然として空はどんよりとしたぶ厚い雲に覆われており、やまない雨が窓を濡らしていた。


     ◆◇◆


 梅雨の晴れ間は、まぶしいほどの日差しが降り注ぐ。


(今日も空振りだった……)


 久しぶりの晴天だったので、詠介と出会えるかと期待して賀茂川に足を運んだが、探していた人影は見当たらなかった。

 ここ数日の鬱屈を晴らすべく甘味処に寄ると、店員が申し訳なさそうに言った。


「すみません、ほとんど満席状態でして……相席でも大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」

「よかった。では、こちらの席でお願いします」


 案内された席には二人用の席で、向かい側には着物姿の男が座っていた。


「お客さん、すみません。こちら、相席になります」

「ああ、どうぞ。……って、絃乃さん?」

「さ、佐々波さん!?」


 葛餅とお茶を堪能していたのは、青空を彷彿とさせる縹色はなだいろの着流し姿の詠介だった。

 彼は驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔で前の席に座るように手で示す。


「奇遇ですね」

「そ……そうですね」


 あたふたとしながら着席すると、店員がすかさず営業スマイルを向ける。


「ご注文はお決まりですか?」

「あ……わらび餅を」

「かしこまりました」


 詠介はお茶を一口飲み、ほっと息を吐き出す。


「こうしてお目にかかるのは久しぶりですね」

「……お元気でしたか?」

「ええ。ご覧のとおりです。絃乃さんもお変わりないようで、よかったです」


 天井に取り付けられた扇風機の風が、緊張していた首元をさらりとかすめていく。楽しい話題が見つからず、詠介が葛餅を口に運ぶ様子をジッと見つめてしまう。


「……あまり見つめられると、照れてしまいますね」

「す、すみません! つい不躾に見つめてしまいました……」

「いえいえ。お気になさらず」


 赤いお盆に載せたわらび餅が運ばれてきて、ことりとお皿が机に置かれる。


「……いただきます」


 大きく切り分けられたわらび餅を落ちないように注意し、ぱくりと頬張る。


(はあ……美味しい……)


 きな粉も上品な甘さがあり、やわらかさと弾力のあるお餅が口の中で溶けていく。梅雨でじめじめとした気分が晴れていき、美味しさに吐息がもれる。


「本当に美味しそうに召し上がりますね」

「す、すみません……」

「申し訳ありません、これでも褒めているつもりだったのですが。とはいえ、絃乃さんとは浅からぬ縁があるようですね。ちょうど、どうしているかなと思っていたところでした」


 内緒話のように告白され、絃乃の心拍数が急上昇した。


(こ、これ、気にかけてもらったってことでいいのよね?)


 まさか彼も同じ気持ちだったとは。少しは仲良くなれたと思ってもいいのでは。

 浮ついた気持ちのまま、絃乃はかねてより考えていたことを口にした。


「あの! ご迷惑でなければ、下の名前でお呼びしてもいいですか?」

「え?」

「で、ですから。呼び方を……」


 言い直そうとすると、詠介が焦ったように声をかぶせてくる。


「ああ、いえ。それはもちろん、構いません。ただ、どうしてかなと……」


 彼の疑問はもっともだ。

 この時代、異性を名前で呼ぶのは身内か婚約者に絞られる。まだ会って数回の曖昧な関係で呼ぶのは不自然だった。

 絃乃は素早く脳内で対策を講じ、彼が納得できる理由を口に出す。


「私は名前で呼んでもらっていますし、苗字で呼ぶと距離があるような感じがして」

「なるほど。言われてみれば、そうですね。じゃあ、呼んでもらってもいいですか?」


 他意のないような顔でそう言われて、絃乃は一瞬言葉を失う。

 頭で言葉の意味をかみ砕き、理解が追いついたところで、口からは間抜けな声がもれた。


「へ?」

「せっかくですから。今、呼んでいただければと」

「……え、詠介、さん……」


 たどたどしく発音すると、詠介は考えるように沈黙した後、口元を綻ばす。


「絃乃さんに名前を呼ばれると、くすぐったい気分になりますね」

「……っ」


 悶絶しそうになるのを必死にこらえ、空咳でごまかす。


「そ、そういえば。詠介さんは百合子のことはご存じですよね?」

「桐生院家のお嬢様のことですか?」

「はい」


 共通の話題を持ち出しただけだが、詠介は不思議そうに首をひねる。


「ええ、まあ。確かに知り合いですけど。どうしてわかったんです? 彼女と会話をするとき、誰もいないと思ったんですが」


 ギクッと身をすくませる。

 確かに攻略のサポートで彼が現れるときは、時が止まっている。案内役は他の人に見えない。だから普通はできない助言ができるのだ。

 彼が陰ながら助言をしているのを知っているのは、前世の記憶があるに他ならない。

 けれども、その事実をありのままに伝えるわけにもいかない。運がよければ、そのまま信じてもらえるかもしれないが、基本的には危ない人扱いをされるのが関の山だ。


(どうしよう……何かいい言い訳はないものかしら……)


 いくらファンタジーで黒魔術が扱われる大正時代とはいえ、魔術で透視したなんて言い出すわけにもいかない。

 当たり障りのない、けれど、もっともらしい理由。


「ゆ、百合子に聞いたのです。親切な方がいると……。その方の特徴が詠介さんによく似ていると思ったものですから」

「なるほど。それなら納得です」


 なんとか、危機は脱したらしい。

 このまま話を変えようと企んでいると、詠介が困ったようにつぶやいた。


「彼女はどうも奥手のようで、なかなか関係が進まないので、見ていてじれったいんですよね。絃乃さんもそう思いません?」


 詠介が言っているのは、八尋との関係だろう。

 どう見ても両思いの二人だったが、百合子はまだ自分の気持ちと向き合っている途中だったはずだ。


(え、でも……あれからだいぶ日が経っているわよね? もしかしなくとも、今もあのままの状態ってこと?)


 そうなると、話は変わってくる。ルートを決めたのなら、ヒロインがすることは決まっている。意中の相手の親密度をひたすらに上げること。そして、イベントが発生したら、選択肢を間違えないこと。その二つだ。

 むやみに選択肢を引き延ばすのは良策とは言いがたい。


「この前、お二人を見ていて思いましたが……両思いなのは間違いないですよね。あとは百合子が行動するだけだと思っていたのですが」

「そうなんです。ですから、絃乃さん。……百合子さんの恋の手助けをする気はありませんか?」


 詠介の提案に、絃乃は耳を疑った。

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