29. 俺なりの恩返しです

 カポーンと、ししおどしが鳴り響く。

 花鯉が優雅に泳ぐ池を見下ろす位置にある備え付けベンチに、学生服姿の葵が立つ。その後ろに黒紋付きの袴姿の詠介と絃乃が続いた。

 場所は、洛北にある老舗の料亭。

 結納のための両家の顔合わせが終わり、あとは若い者でごゆっくりという段になったところで席を外したのだ。そこに遅れて葵も便乗してきた。

 庭を散策中に葵に呼びかけられ、場所を移したものの、言い出した本人は口を噤んだままだ。いつもより重量のある晴れ着を捌きながら、絃乃は内心ため息をつく。


(話って何かしら……?)


 葵の視線が自分の着物にあるのに気づき、着物を見下ろす。

 冬の花が織り込まれた、正絹しょうけんの振り袖姿だ。萌葱色の布には白椿が咲き誇り、白い帯には金銀の刺繍で精緻な模様がされている。


「……詠介兄さん」

「はい」


 詠介が返事をすると、逡巡するように迷っていた視線がぶつかる。


「姉さんは、ぼうっとしているように見えて、猪突猛進なところもあります。自分のことに頓着しない、だらけたところも。欠点ばかりが多い姉が嫁いで、この先、迷惑をかける予感しかありません」

「ちょっ、ちょっと……何を言い出すの?」


 結納も済ませたばかりだというのに。

 あたふたする絃乃に、詠介は肩をそっと抱いて安心させる。


「葵くん。君の心配もわかりますが、おそらく問題ないと思います。僕も彼女に見放されないように努力していくつもりですし」

「逆かもしれませんよ。一緒になってから思っていたのと違うことに気づいて、愛想を尽くすことになるかもしれません」

「大丈夫です。ありのままの絃乃さんを受け入れる心づもりならできています」


 真摯な声に、表情を硬くしていた葵がふっと力を抜く。

 どうやら、弟の揺さぶり攻撃はすべて撃墜したらしい。詠介のほうが一枚も二枚も上手だったようだ。

 葵は背中を垂直に折り曲げ、頭を垂れた。


「詠介兄さん。……姉さんをよろしくお願いします」

「はい。責任を持って幸せにします」


 見ているだけしかできなかった絃乃は、ひとまずの落としどころがついたことで、ハラハラしていた心を安堵させた。

 詠介は大人の余裕からか、気さくに葵に笑いかける。


「ですが、本当に驚きましたよ。気持ちに気づかれていただけではなく、婚約の話まで持ってきてくれるなんて」

「……俺なりの恩返しです」

「ありがとう。これ以上にない恩返しですよ」


 詠介が心のこもった声で返せば、葵は照れたように頬をかく。


「俺はここで失礼します。引っ越しの荷造りもありますから」

「そうですね。君は実家に戻るんでしたね」


 詠介が寂しげに言うと、葵は視線を斜めにずらし、自嘲気味に言う。


「皆さんにも事情を話さなければなりません。身分を偽っていたから、何かしらお咎めがあるかもしれませんが」

「そんなことはさせませんよ。僕にとって君は弟のような存在です。弟を守るのは兄の役目ですから」


 心の底からそう思っているのか、詠介は純粋な目を向ける。

 対する葵は頬を朱に染め、早口で言い募る。


「……あなたがそうだから、俺が心配する羽目になるんです」

「そうですか? 僕たちは似たもの同士だと思ったのですが。絃乃さんを守るという点において」

「え?」


 ここで自分の話題になると思っていなかった絃乃は、ぱちぱちと目を瞬く。

 詠介は笑みを深くし、葵は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。二人のそれぞれの反応に困惑していると、詠介が口を開く。


「実の姉である絃乃さんが幸せになるために、行動をしていたんですよね。遠いところから見守る道を選んで、彼女に危険が及ばないように」

「……それは……」

「大丈夫です。もう杞憂していた心配事はなくなりました。君は堂々と実家に戻れるんですから。本当によくここまで頑張ってきましたね」


 頭をぽんぽんと撫でられ、葵はなんとも言えない顔をした。喜ぶ姿を姉に見られたくないのか、ぶっきらぼうに顔を背ける。


「あとは二人の好きにしてください。僕は帰ります」


 そう宣言するや、出口のほうに走り去っていく。案外、これ以上、持ち上げられることに耐えきれなくなったのかもしれない。

 我が弟ながら初々しい反応に、絃乃もまんざらでない顔で見送る。

 飛び石の先にいた詠介は、絃乃に手を差し出しながら、いつになく真剣味を帯びた顔を向けた。


「僕は……華族令嬢の相手として、お世辞にもふさわしい身分ではありません。ですが、僕はあなたとともに生きたいと思います。それでもいいと仰ってくださるなら、お嬢様の隣にいる権利を与えていただけますか」


 躊躇なく注がれる眼差しとその言葉は、彼らしい。他の誰でもない、自分が選んだのは間違いなくこの人だ。

 彼の誠意に応えるべく、絃乃は唇をきゅっと引き締めた。


「……もちろんです。どうか、私を詠介さんのそばに置いてください」


 一音一音を、心を込めて言の葉を紡ぐ。

 頬を優しく撫でる風にあおられ、地面にかき集められていた枯れ葉が一斉に空に舞う。くるくると踊るように回り、雪化粧した椿の葉がさわさわと揺れる。


 ――好きな人と結ばれる。


 前世では当たり前だったことが、今世ではとても難しいことで。

 何度も諦めなければと思っていたが、もうそんな必要はない。自分の気持ちに嘘をつかなくていいのだ。


「もう、これが夢でもいいです」

「……夢じゃないですよ。ここは間違いなく現世うつしよです」


 詠介は絃乃の両手を取って、自分の手のひらで包み込む。

 お互いの体温がじんわりと伝わり、緊張の糸がゆるゆると解けていく。安心感に、引き結んでいた口元をゆるめる。

 乙女ゲームのシナリオからは離れた未来だけれど、これが自分たちの現実だ。


 そして、君と紡いでいこう。永久とこしえの約束を。

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花詠の恋 仲室日月奈 @akina_nakamuro

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