19. 行動あるのみよ!
冷たい風に吹かれながら、校庭の隅にある定位置に座っていた絃乃は、食後の会話に相づちを打っていた。お弁当箱はすでに空だ。
とりとめのない話を三人で話す。イギリスから来た音楽教師の儚げな美貌についての妄想、憧れの上級生がとうとう下級生とエスの契りを交わしたらしい――仕入れた噂話を聞きながら、今ごろ詠介は何をしているだろうと思いを馳せる。
いまだ彼との関係は恋人未満。果たして友人と呼んでいいのかも微妙な線だ。
(関係性を変えたいなら、そろそろ次の行動に出ないといけないわよね……でも、具体的に何をすればいいのかしら)
悶々と考えていると、百合子がそうそう、と声を弾ませた。
「来月に誕生パーティーを開くことになったの。二人とも来てくれる?」
「もちろんよ」
「行くに決まっているじゃない」
当たり前だとばかりに頷くと、百合子は嬉しそうに言葉を付け足した。
「あ、ダンスの時間もあるから、パートナーを連れてきてね」
「それって……パートナーとの参加が条件ってこと?」
「平たく言うと、そういうことになるわね」
予想外の条件に、絃乃は沈黙する。
しばし熟慮するが、彼女の希望を叶えられそうにない。
「雛菊は婚約者がいるからいいけど、私にそういった知り合いはいないわよ……?」
「何を言っているの。意中の方を誘えばいいでしょう」
「い、意中って……そんなの無理よ。お仕事だってあるでしょうし、だいたいパートナーに誘えるような間柄じゃないもの」
ふるふると首を横に振ると、いつもは奥手の百合子がずずいっと顔を近づけてくる。何ごとかと身構えている間に両手を取られ、真剣な眼差しに射すくめられる。
「絃乃さん。恋は自分でつかみ取るものよ。行動あるのみよ!」
まさかのヒロインからの叱咤激励に、絃乃は口を噤む。
(……励まされてしまった……)
いつもと逆の展開だ。自分を勇気づけてくれていると頭ではわかるが、そう簡単に心は決められなくて。二人から視線を集めながらも、答えに躊躇してしまう。
(でも、もし断られたら……きっと凹んでしまうわ)
快諾してくれるかはわからない。もしかしたら困ったような顔で、やんわりとお断りされるかもしれない。その状況を頭で思い浮かべてみたが、思ったより心のダメージが強かった。
恋する乙女に悩みは尽きないのだ。
◆◇◆
お店に押しかけるのは外聞が悪いかなと悩んだ末、いつもの河原に足を向ける。左右を見渡しながら歩いていると、土手で帳面に何かを書き込んでいる詠介の姿を見つけた。
ほっと息をつき、彼のもとへ駆け寄る。
「よかった。詠介さん、ここにいたんですね」
「絃乃さん。僕に何か用事でしたか?」
こくこくと頷き返すと、彼は居住まいを正し、絃乃に向き直る。
あまりの緊張に喉が渇く。けれど、このチャンスを逃すわけにはいかない。次にいつ会えるのか、わからないのだから。
「あ……あのっ、私のパートナーになっていただけないでしょうか!」
「えっと、どういうことでしょう?」
目を丸くして戸惑う顔を見て、前後の説明を省いてしまったことに遅まきながら気づく。
浅くなっていた呼吸を整え、決意が鈍らないうちに一息で理由を述べる。
「今度、誕生パーティーでダンスがあるらしくて、パートナー同伴が条件なんです」
「……なるほど。ですが、どうして僕に?」
当然の疑問に、うっと答えに窮する。目の前にあるのは揶揄ではなく、純粋な疑問という眼差しで、余計に言い出しづらくなる。
(女は度胸。ええい、ままよ!)
百合子からの励ましの言葉を思い出し、絃乃は両手をぎゅっと握りしめて叫ぶように言う。
「詠介さんがいいんです! というか、詠介さんじゃなきゃ駄目なんです」
言った後で、しまった、と思った。
必死すぎる返答に、詠介も言葉が出ないように沈黙が訪れる。
自分の失態に頭を抱えたくなったが、逃げ出すわけにもいかず、羞恥心を抑えて彼の言葉を待つ。
永遠のように思えた待ち時間を経て、詠介はそっと口を開いた。
「……お気持ちはわかりました。そこまで言われたら断れません。僕でよろしければ、喜んでお引き受けします」
「本当ですか?」
食い気味で言うと、詠介は体をのけぞらせながらも頷く。
「はい。それで、どなたの誕生パーティーなのですか?」
「百合子です。来月の土曜日に自宅でパーティーを行うそうです」
「そういえば、そんな時期でしたね……」
「え?」
聞き返すと、詠介はゆっくりと首を横に振った。
「いえ、なんでもありません。それより、ダンスということは絃乃さんはドレスを着るんですか?」
「え、ええと……そうなります」
「それは楽しみですね」
社交辞令だろうが、微笑みかけられて頬が熱くなる。胸の鼓動も一層大きくなった。
(ああ、勢いで誘ってしまったわ……)
恥ずかしさで両手を手で押さえる。涼しくなってきたのに、何やら暑く感じる。
詠介をちらりと見ると、彼は微笑を返す。大人の余裕を感じさせる様子に、無性に敗北感が募った。
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