26. 息抜きも必要よね

 校門の横に見慣れた軍帽が見える。人の波を縫うように出ると、軍服姿の八尋が待っていた。その姿を認め、百合子と慌てて別れの挨拶を交わす。


「絃乃さん。また明日ね」

「ええ」


 百合子が駆け足で歩み寄ると、八尋は口元をわずかにゆるめた。


「お待たせしました」

「いえ。自分は先ほど来たところですので」


 恒例のお迎えイベントは、もはや日課となっていた。聞いた話によると、仕事でどうしても来られないときは、彼の部下が代役で来ることもあるという。


(仲が睦まじいのは、いいことよね)


 たまに悩むような様子があるにせよ、百合子と八尋の仲は順調と見てよさそうだ。いささかゲームよりも溺愛度が高い気がするけれども。

 彼らの遠くなる背を見送って、絃乃はふうっと息を吐き出す。


(雛菊が退学してから一ヶ月か……元気でやっているかな)


 朝より一層冷たい風が通り抜けた。冬の訪れを感じさせる空気に、ぶるりと体を震わす。校門を出て少し歩いたところで、聞き慣れた声が呼び止める。


「久しぶりね、絃乃」


 おしゃれな柄がついた半襟をつけた雛菊は、青地に小花が舞う着物を羽織っていた。帯は太鼓結びできっちりとした雰囲気だ。防寒のためだろう。芥子色の羽織を腕に抱えている。


「え? 雛菊?」

「まるで幽霊でも見たような感じね。せっかくだし、どこかでお茶でもいかが?」


 親友からの誘いに乗らない選択肢はなかった。

 聞きたいこと、話したいことはたくさんある。人通りの多い道を通り、いつもの出町柳そばの甘味処へ足を向けた。


     ◆◇◆


 木枯らしが吹いて、窓がガタガタと揺れる。外の木々はすっかり冬支度になっている。赤や黄色に色づいた葉が半分以上、地面に落ちて寒々しくなっていた。

 注文したお団子を食べながら、女学校での話題を一通り話を終える。次は雛菊の番だ。


「婚儀はいつなの?」

「二ヶ月後よ。今は花嫁修業の真っ最中。だけど、ずっと家にいるのも息が詰まるから抜け出してきちゃった」

「そうなの。でも、息抜きも必要よね」


 絃乃が同意すると、苦笑いが返ってきた。花嫁修業も大変そうだ。


「だけど、絃乃さんとこうしてお話ができてよかったわ。思ったより元気そうだし」

「それはこちらの台詞よ。雛菊」

「言われてみれば、そのとおりね」


 ふふ、と二人で笑い合う。この感じも久しぶりだ。まるで時が戻ったみたいだった。


(人妻になるのは家の責任を背負っていくということ。私はともかく、百合子もいずれそうなるのよね)


 つい感慨深くなってしまうのは歳のせいだろうか。女学校卒業までが自由にできる期限だ。タイムリミットは長いようで短い。

 別れ際が名残惜しく感じてしまうのは、自分だけではないはず。

 けれど、いつもまで引き留めているわけにもいかない。雛菊は家に戻り、婚儀のための準備が山ほどあるはずなのだから。


「じゃあ、雛菊。元気でね」

「ええ。絃乃の顔が見られてよかったわ。またね」


 柳の下で、彼女の背が小さくなるまで見送る。まっすぐに帰る雛菊は背筋をピンと伸ばし、落ち着いている。いきなりの退学で心配していたが、なんとか大丈夫そうだ。


(さて。私も帰ろう……)


 数歩歩いたところで、ふと、袂に違和感を覚える。

 腕を持ち上げたり下げたりしてみる。かすかな重みがして袂の中を探ると、結び目のある手紙が出てきた。


「付け文……? 一体、いつかしら」


 朝にはなかった。だとすれば、帰り道のどこかで、ということになる。とりあえずは中身の確認からだろう。慎重に折りたたんだ紙を開き、絃乃は文字を二度読み返す。


(こ、これは……)


 葵からの手紙だ。文字が少々いびつなのは急いで認めたせいか。


「二人きりで相談したいこと……」


 指定されたのは廃寺となった場所だ。確かに、あそこなら人目にもつかないし、内緒話にはうってつけだろう。

 しかし、待つと書かれた時刻はもうすぐだ。今すぐ行かなければ間に合わない。


(詠介さんに相談する時間もない……どうする?)


 だが、この機会を逃してはならないと直感が訴えている。罠の可能性もある。けれど、もしそうでなかったら。葵が本当にこの手紙を送ってきたのだとしたら。

 もう二度と会えない可能性もあるのではないか。そう思ったら、いても立ってもいられなくて絃乃は急いで踵を返した。


     ◆◇◆


「詠介兄さん、入るよ」


 襖を開けるが、中に目当ての人物はいない。


「いないなんて珍しいな。外にでも出ているのかな……」


 葵は小綺麗にしている部屋をぐるりと見渡し、文机の上に置きっぱなしだった紙に目が留まる。無造作に置いたままの様子は詠介らしくない。

 なんだろうと興味心が勝って、乱暴に折りたたまれた紙をゆっくりと開く。そして絶句した。


「これ……まさか」


 いや、間違いない。真面目な彼のことだ。真実かどうか、自ら確かめに行ったに違いない。自分に危険が及ばないように、あえて一人で行ったのだろう。


「……っ」


 こうしてはいられない。

 手紙の宛先は詠介ではなく自分。そして送り主に書かれていた名前は姉だった。どうして詠介が自分宛ての手紙を持っていたのか、疑問はあるが、面倒事に巻き込みたくなかったのだろうことは想像に難くない。

 書生部屋に戻り、文机の引き出しに隠していた筒を懐に差し入れる。


(自分はどうなってもいい。だけど彼らに何かあれば……)


 二人とも無事でいてくれるよう祈りながら、黄昏の都を走る音が闇に響いていた。

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