27. 何が目的なの?
呼び出された場所は廃寺となった寺だった。
大きな楼門は古びており、ところどころ塗装が剥げている。昔は立派な門だったらしく、手の込んだ彫刻の名残があるが、今ではほとんど風化で当時の姿形はあやふやだ。
門を抜けた砂利道の先を歩くと、一人の男が空を見上げていた。
羽織に着物をまとった男は、絃乃が近づくと、ゆっくりと振り返る。
「あなたは……雛菊の婚約者の……」
私服姿ということは、今日は非番の日なのだろうか。
「覚えていてくれたんだね。でも、本当に用があるのは君じゃないんだ」
「どういう……こと?」
「もうじきわかるよ」
彼はしきりに小径の先を気にしている。
そこに一体、何があるというのか。背後に意識を集中するが、誰かが来る気配はない。
絃乃は荒れ果てた寺の建物を見渡し、首を傾げる。
「朽葉さん。雛菊は一緒じゃないの?」
「彼女は家にいるよ。今ごろ、婚儀の準備を進めているんじゃないかな」
「私を呼び出した理由は? 弟のこと、何か知っているんですか?」
尋ねると、朽葉は困ったように両手を広げて、肩をすくめてみせる。
「君の弟には煮え湯を飲まされたよ。とうに死んだものだと思っていたのに、まさか生き延びていたとはね。しかも偽名を使って、この洛中に戻っているとは。初めは半信半疑だったけど、君たちの会話を聞かせてもらって確信が持てたよ」
吐き捨てるような声に、絃乃は彼の本性を見た気がした。
「会話……? 一体いつのことを言っているの?」
「神社で話していただろう。偶然、そこに私も居合わせていたんだ。思いがけず、僥倖に恵まれたよ。諦めていた唯一の手がかりが、やっと手に入るんだからね」
この人に葵を渡してはならない。そう直感が告げる。
会話の主導権をどうにか取り戻さなければならない。絃乃は薄く息を吐いて、慎重に言葉を選ぶ。
「……何が目的なの?」
「うちの実家は資金難で困っていてね。私がそれの埋め合わせしているんだ」
「埋め合わせって……警官をしているんでしょう。どうやって大金を稼ぐの?」
「いい質問だ」
そこで言葉を切り、朽葉は満足そうに笑いかける。
「お嬢さんは、怪盗鬼火は知っているかい?」
「知っているわ。資産家から金目のものを盗む悪党のことでしょう」
「……私には裏稼業があってね。それが怪盗業なんだ」
「は?」
聞き違いであってほしいと願ったことは、どうやら真実だったらしい。
朽葉は誇らしげな顔で説明を始める。
「誰も警官が怪盗をしているとは思わないだろう? だから、意外と仕事もしやすいんだ」
「……あなたが……怪盗鬼火?」
「いかにも」
絶句した。今まで信じてきた根底が覆されて、足元がぐわんぐわんと揺れているようだ。けれど、彼に聞きたいことはまだある。
絃乃は困惑をため息をとともに吐き出して、朽葉と視線を結ぶ。
「市民を守る警官が悪事に手を染めていたというの? そんなの、荒唐無稽よ」
「好きでやっているわけじゃない。本当にお金に困ったときだけだよ」
「理由なんて関係ないわ。犯罪は犯罪でしょ。どう言い繕ったって、言い訳を認めるわけにはいかないわ」
どれだけ言い訳をしても、今までしてきた悪事が消えることはない。
しかし、絃乃の説得は何一つ心を揺さぶることはできなかったらしく、朽葉は片手を腰にあてて悠然と笑ってみせる。
「最近は怪盗業よりも、もっといい仕事も始めたよ。ご令嬢と引き換えに大金が転がり込んでくるというものでね」
「なっ……じゃあ、連続令嬢誘拐事件もあなたの仕業?」
「そういうことになるね。君には一度逃げられてしまったが。まあ、今はいい。もっといい儲け話が出てきたんできたんだから」
「……どういうこと?」
話の出口がわからずに聞き返すと、朽葉の笑みが深まる。
「この前、カフェーである紳士と酒飲み比べをしてね。彼は華族の出で、どうやら一族に隠している財産があるらしい。今より六年前、その隠し場所を息子に託したんだそうだ。息子は夜中に一人出て、言われたとおりに誰にも見つからない場所へ隠した。その帰り道、不運にも怪盗鬼火の正体を見た」
嫌な予感に背筋がスッと冷たくなる。すべてのピースがそろったのに、その事実をすぐには受け止められない。
絃乃は震える唇を開いた。
「……まさか……それで、弟は姿を消したというの?」
「子供とはいえ、素顔を見られてしまったからには生かしておけないからね。口封じをするつもりが、崖から落ちたため、仕方なく諦めたんだ。その後、実家では行方不明騒ぎで、結局遺体も見つからなかったから、きっと助からなかったと思っていた」
でも、と朽葉は言葉を続ける。
「幸か不幸か、彼は生きていた」
「…………」
「けれど、彼も賢い子だった。怪盗鬼火の正体を世間に言いふらすこともなく、実家に戻ることもなく、息をひそめるように市井に紛れ込んでいた」
その間、弟は家族に頼ることもなく、一人きりで苦労をしていたに違いない。
「葵は言っていたわ。……俺は狙われているって」
「今では、生きていてくれてよかったと思っているよ。唯一の証言者だからね」
「そして……用事が終わったら殺めるの? 私と一緒に」
「話が早くて助かるよ」
朽葉はなんでもない顔で拳銃を取り出した。その銃口の先を向けられ、さすがに手足がすくむ。だけど、それを気取られるわけにはいかない。
絃乃は気力を総動員して口を動かし、朽葉の良心に訴える。
「あなた、雛菊と結婚をするつもりなのでしょう!? そんな血塗られた手で彼女の手を握るつもり? あなたには罪悪感というものがないの!?」
「そんなもの、とうの昔に捨ててしまったよ。正義感だけで警官は務まらない。君が思っているより、汚い仕事もしなければならない。良心は邪魔なだけだ」
銃口がちらりと視線をちらつく。
(私もここまで……かしら)
なんとか逃げる隙を探すが、警官が本職の彼から逃げられる展望が思いつかない。
「絃乃さんを解放してもらいましょうか」
降って湧いたような声に振り返ると、入り口に詠介の姿を見つけた。焦ってここまで来たのか、少し息が切れている。
「え、詠介さん? どうして、葵が来るはずなんじゃ……」
「彼はここには来ませんよ。僕だけです」
その言葉に真っ先に反応したのは朽葉だった。
「話が違う! 葵をおびき寄せるために、姉である絃乃を餌にしたんだ。貴様、一体何をした?」
「何って……葵くん宛ての手紙を先に読んだだけのことです」
飄々と詠介が答えると、それまでは余裕を保ってきた朽葉が歯がみした。
(どうやら予定が狂ったみたいね……あとはどうやって、彼を追い詰めるかだけど)
目線で合図をすると、詠介がわかっているように小さく頷く。だが、安心したのもつかの間、第三者の声が思考を乱す。
「姉さん、詠介兄さん。……ごめん」
息せき切ってきたのは葵だった。本命の登場に朽葉は余裕を取り戻し、両手を広げて歓迎する。
「やあ、探していたよ。白椿葵くん。いや、今は須々木葵くんだったかな?」
「姉さんを解放してください」
「いいだろう。でもその前に、隠し財産の場所を教えてもらおうか」
「…………」
葵が逡巡するような間を置き、絃乃は声を張り上げる。
「だめよ、葵。この人は全員を始末するつもりなんだから」
「……静かにしてもらえますかね。それとも自分の立場がわからないとでも?」
「…………」
銃口を向けられたまま、朽葉を見つめると、葵がため息をついた。
「隠し財産がほしいならあげるよ。だけど、姉さんを無傷で返してもらうのが条件だ」
「危害を加えられたくないのなら、先に隠した場所を吐いてもらおうか」
緊迫した状況の中で、葵は胸元から筒状のものを取り出して、朽葉の足元に投げる。それを見下ろし、朽葉が怪訝な声を出す。
「これは?」
「お前が探していたやつだよ。あの場所に行っても何もない。数年前に掘り起こしたんだから。さあ、約束だ。姉さんを解放してくれ」
朽葉が銃口を下げ、巻物を手に取る。
だがまだ安心はできない。獲物は今だ朽葉が握りしめているのだから。絃乃は逃げ出したい衝動を抑え、葵と詠介を交互に見つめる。
二人から心配の視線を向けられ、逃げ出す隙を窺う。
しかし、朽葉は巻物を胸元にしまい込むと、再び拳銃を構えた。
「……確かに受け取った。だが正体を知られたからには生かしておけない。三人とも、そこに一列に並んでもらおうか」
詠介と葵が両手を挙げ、おとなしく絃乃の横に立つ。並んだ三人の顔を順番に見て、拳銃の引き金に指を乗せる。銃口の先は苦い顔をした葵に向けられる。
しかし、闇に紛れた草陰から人影が葵の前に立ち塞がる。雲が流れた月明かりの下、浮かび上がったのはよく見知った姿だった。
「……え? 雛菊!?」
涙をほろほろと流した親友の姿に目を剝く。けれど、彼女の視線の先には朽葉がいた。
「公隆さん、もうやめて。これ以上、罪を重ねる姿なんて見たくない……」
「裏切るというのか、夫となる私を!」
激高する未来の夫に、雛菊は負けじと言い返す。
「夫に従うのが妻の定め。けれど、わたくしの大事な友人の弟さんを貶めるような真似は許せません」
その言葉が引き金のように、彼女の左右から警官が出てくる。
「その男を捕らえろ!」
息せき切った警官たちは朽葉をすぐさま拘束し、地面に押し伏せる。取り押さえられた朽葉は恨み言をつぶやいていたが、複数の警官たちに連行されていく。
呆然と彼らの姿を見送っていると、反対方向から見慣れた男が姿を現した。
「よっ!」
「……篝さん。どうしてここに……あなたが通報を?」
「まあ、そういうこった。通り道でおろおろしているこのお嬢さんから話を聞き出して、警官と一緒にここで張っていたわけだ。もともと、朽葉警部は前々から怪しい行動があったから、気になって独自に調査していたんだ。結果はこのとおり」
「では、前に尾行していたっていうのは?」
「ああ。彼を張っていたんだ。犯行の下見をしていたようだったからな」
篝は雛菊のもとまで来て、そっとハンカチを差し出す。雛菊は悄然とうなだれており、目の前の白い布を力なく受け取った。
「大丈夫か? よく屋敷から抜け出せたな。あの口ぶりから監禁同然だったろうに」
「……ばあやに時間を稼いでもらって、窓から抜け出してきました。彼が罪を重ねる前に止めようと思って」
切々と答える様子が痛ましくて、絃乃は彼女のもとに駆け寄った。だが言葉をかけるより前に、雛菊が怯えたように体をびくつかせた。
「絃乃さん、ごめんなさい。弟さんを装って手紙を出したのは……」
「いいの、いいのよ。雛菊」
涙をためて罪を語ろうとする友人を抱きしめる。
「辛かったよね。私は大丈夫だから、もう何も心配しないで」
「……っ、……っっ」
絃乃は堰を切って泣き出す背中をなだめ、もう大丈夫、と繰り返した。
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