10. お邪魔しています
母は来客に対応している。花の用意をしてくれた女中も他の仕事に戻っていった。
一人きりの四畳半の和室で、絃乃は深呼吸して息を整える。
「練習あるのみ……です! 今度こそ、きっとうまくできます!」
自分に暗示をかけるように宣言し、色とりどりの生花から白百合を手に取る。
花切はさみで手頃な長さに整え、花が動かないように剣山留めに差す。その作業を繰り返すうちに、横長の白い陶磁器にはこぼれんばかりの花々が咲き誇っていた。
「……違う、何かが違う。優美さを表現したつもりが、これじゃ……ただのお買い得詰め合わせセットみたいじゃない……」
授業で見たお手本を思い浮かべる。女性教師が生けた完璧な佇まいと自分の作品とを比較してみるが、気持ちは沈むばかりだった。
「私はどうして……皆と同じように生けることができないの……」
何度やっても、自分の作品が輝くことはない。手順は間違っていないはずなのに。
視線を前に戻すと、密集して息苦しそうな花たちと目が合う。
遠くでちりんちりんと風鈴の音がする。涼やかな音色を聞きながらため息をつくと、第三者の声が耳に入る。
「……練習中でしたか?」
急いで振り返ると、そこには
「あ、え、詠介さん……?」
「こんにちは。お邪魔しています」
にこやかな笑みとともに言われ、絃乃は詰まりながらも口を開く。
「ど、どどどうして、我が家にいらっしゃるんでしょう……?」
「本日は呉服屋として参りました。兄が来る予定だったのですが、今回風邪が長引いていて、僕が代役として伺った次第です」
「えっと……来客でしたら母が対応していたはず……」
「奥方ならご近所の方とご歓談されています。僕は
気になって、と声が小さくなる。
(う、唸っていたところを聞かれるなんて。ああもう、恥ずかしい!)
今にも逃げ出したいところだが、そんなわけにもいかない。どうすればと困っていると、ふと視線を感じた。顔を上げると、自分の後ろに視線があることに気がつく。
「こ、これは……あの、見ないでいただけると」
慌てて背に隠すが、すでに詠介の目は花器に移っていた。
「少し拝見しても?」
「……うう。はい。どうぞ……」
うなだれるように横に退くと、詠介が裾をさばき、正座になる。
(……沈黙がつらい……)
練習用だから、人に見せることは想定していない。心の準備もできていない。
魂が口から抜けそうになっていると、遠慮がちの声が届く。
「なんというか、盛りだくさん、という感じですね」
「すみません。才能がなくて」
「いえ。頑張っているのはわかりますよ。ちょっと手を加えてみてもいいですか?」
「え? は、はい」
詠介は膝を前に進めると、考えこむように花をジッと見つめる。
そうかと思えば、よし、というかけ声とともに、そっと指先で一本ずつ花や葉を抜き始めた。思いのほか慎重な手つきだが、作業スピードは速い。
そんなに抜いても大丈夫かと心配する絃乃をよそに、詠介はいろんな角度から見ながら、不要と思われる箇所の花を取り除いていく。
茂っていた花々に隙間風が入り、開放感が広がる。
詠介はすでにイメージができあがっているように、花の角度を時折変えながら、バランスを調整していく。
「あら……?」
「いかがでしょうか。雰囲気がだいぶ変わったと思うのですが」
「全然違うみたいです……どうして?」
手際よく修正されたそれは、爽やかな調和が取れていて。とても修正不可能の作品をベースにしたものとは思えなかった。
詠介は花と絃乃を見比べ、ふっと笑みをこぼす。
「絃乃さんの場合、才能がないわけではないと思いますよ。少し工夫するだけで、こうしてきちんと見栄えもよくなるのですから」
「いえ、一人だとこうはできません。やはり、詠介さんだからこそ、できたことだと思います。手際もよかったですし、お花の心得があるのですか?」
「職業柄、お店の花を触ることも多いですから。それで、他のお店の生け方を参考にして、自分流に勉強してみただけです」
花を生けるのに男女の差はない、あるのは才能の差だ。
その事実をまざまざと突きつけられるようで、絃乃は自分の底辺の才能を呪わしく思う。そんな気持ちを見透かしたように、詠介はくすりと笑う。
「でも、絃乃さんの作品には気持ちが込められています。それは誰にでもできることではないと思います。ちょっと肩の力を抜いてみたら、きっと上達しますよ」
いじけて蕾に戻った気持ちがほころび、花開く。
彼には敵わない。前世だってそうだ。どうしようと困ったときに颯爽と現れて、月並みの励まし方ではなく、自分だけに向かって言葉を尽くしてくれた。
(ああ、やっぱり好きだなあ……)
しんしんと降り積もる雪のように、思いは募っていく。
だけど、この思いが報われるかはわからない。もし思いを打ち明けたら、彼はどんな反応を返すだろう。
喜ぶか、はたまた、迷惑に思われるか。
決して、彼を困らせたいわけじゃない。だから、この思いは、まだ胸に留めておかなければならない。
◆◇◆
庭に面した濡れ縁に腰かけ、絃乃は息を吐き出す。
ここ数日、ゲームで見た景色を参考に徒歩でめぐったが、捜し人は見つからず。何の有益な情報もつかめないまま、日にちだけが過ぎていく。
(というか、もはや気分は聖地巡礼ツアーなんだけど……)
イベントの背景となった場所で、そのときのシーンを思い出しながら散策するのは、意外と楽しかった。共感できる同行者がいないことだけが悔やまれるが。
書生の姿はたまに見かけるものの、厳つい面の男だったり、鼻歌交じりの陽気な男だったりして、その都度、第六感が違うと訴えていた。
正直なところ、焦りだけが募っていく。けれど、焦っても見つからないものは仕方ない。
(ひょっとして、ヒロインじゃないと現れないのかもしれない……)
何せ、彼は隠しキャラクターだ。秘密の存在に、そう簡単に会えるほうがおかしいのだ。
果たして、サブキャラクターに転生したのは幸運だったのか、不運だったのか。
(ううん。現実を嘆いているばかりじゃ、何も解決しないわよね。諦めたらそこでおしまいだもの。きっと何か、フラグがあるはずだわ)
そのフラグの内容がわからないから困っているのだけれども。
思わず頭を抱えていると、庭の掃き掃除をしていた女中が心配そうに見つめていたので、気にしないで、と慌てて取り繕った。
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