継承
強くなれば、きっと上手くいく。
そんな、幼い頃の憧れを。理想を。夢を必死になって追いかけていた。
その結果がこれだ、剣を杖代わりに体を支えながら、ゆっくりと一歩一歩足を進める。
なにか、目的があるわけじゃない。ただ、小屋の中で寝たまま死ぬのは嫌だった。どうせ死ぬなら、外で。出来れば、立ったままの状態で。
そんな思いに、体は付いてきてくれなかった。前に出そうとした足がぶつかる、そのまま体勢を崩して前のめりに。
地面に着くまでの時間が、妙に長く感じる。訓練の成果はこういう場面でだけ出てくるのかと思うと、なぜだかとても悲しい気持ちになった。
倒れた後、この体で立ち上がれるだろうか。そもそも、倒れた衝撃で終わってしまうかもしれない。
引き伸ばされた時間の中で、そんなふうに考える。ゆっくりと、地面が近づいて――
「――わ、と……ごめんなさい、思わず受け止めてしまいました」
驚くような声と共に、その体を少女に受け止められた。ビックリする、体はボロボロだが、気配を辿ったりするのはまだ出来たはずだ。なのに、彼女は突然その場に現れでもしたかのようにここに立っていた。
銀色のツインテールが特徴的な、黒いロングコートを着た少女だ。こちらを見つめてくる目は黒く、深く。吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えてしまう。
「立てますか? 駄目そうであれば、ゆっくりと地面に下ろします」
優しげな声で確認を取ってくる彼女に対して、俺は掠れた声で下ろしてくれと答える。
――そういえば、人と話したのはいつぶりだろうか。よく声を出せたものだと、少しだけ自分を認めてあげたくなった。
「では、そのように」
少女は短く一言答えると、ゆっくりと俺を地面に下ろす。そして、少しでも高さを合わせるためかその場に座り込むと、胸の辺りに手を置いて静かに話し始めた。
「自己紹介が遅れました。私はハレイナ、看取り手をしているものです――あなたの死を、看取りに来ました」
看取り手、幼い頃に聞いたことがある。
病気や事故が原因で、一人で死ぬことになってしまう人。それに寄り添って、孤独を紛らわしてくれる存在がいる……そんな感じの噂。
少女の見た目なのは、彼女がそういう神様的な存在だからなのか。それとも、看取り手というのは受け継がれるものだったりするのだろうか。
いや、別に今そこは重要じゃない。重要なのは、そう。彼女が俺を看取りに来たということ……恐らく死ぬが、確実に死ぬに変わったことだ。
そうか、死ぬのか。そんなことを考えて、どうやら言葉にも出ていたようだ。彼女は静かに肯定の言葉を返す、それを聞いて、思っていたよりガッカリしていない自分がいた。
「……このままでお話するのは、少々あなたにとって苦しいでしょう。少し、場所を移しましょうか」
ぼんやりと死について考えていると、少女は俺が苦しくて言葉が出せないとでも誤解したようにそんな感じのことをいった。
どこかって、どこだ。彼女の言葉を聞きながらそんなふうに思考をめぐらせる。そうしている間に彼女が何かを呟くと、一瞬視界が白い光に包まれた。
「――はぁ?」
思わず、そんな変な声が漏れる。
光が消えたと思って目を開ければ、あたり一面真っ白な空間に立っていた。死後の世界と言われれば納得できるほど奇妙な空間、それに圧倒されて、重要なことに気づくのが少し遅れた。
立っているのだ、両方の足でしっかりと。
それだけじゃない、肩が、腕が、指が、体の末端に至るまで、あの頃のようにしっかりと動かせる。
「は、ははっ!」
思わず漏れる笑い声とともに、軽めに体を動かしてみる。抜刀、踏み込み、振り下ろし。
さっきまでは出来なかったはずの動きが、今この空間ではしっかりと出来る。
「……あの」
と、何故か動くようになった体を楽しんでいると、後ろから少女の声がかかる。
……あまりに興奮しすぎていて、彼女のことがすっぽり頭から抜けてしまっていた。一度動きを止めて彼女の方を見る、話を聞いてくれそうなことに安心したのか、彼女は小さく息を吐いた後、柔らかな笑みを浮かべる。
「まず、説明をさせていただいても?」
「ああ、少し興奮しすぎたが……ここはどこで、なんで俺の体はしっかり動くんだ?」
少し早口になってしまった気がする俺の質問を受けて、彼女は静かに聞き取りやすいくらいの声で説明を始める。
曰く、ここは彼女が独自の魔法で作った空間で、お互い肉体はそのまま精神だけがこちらに来ているのだとか。
体が一番強かった頃と同じくらいに動くのも、ここでは……精神だけの状態では肉体の怪我や病気などは関係ないから、らしい。
「とはいえ、肉体の方が治っている訳ではありません」
やがてそちらの方に限界が来て、それが終わりです。
忠告するような口調で、こちらを気遣うような雰囲気と共に少女はそう話した。こんな魔法を使うことができるなら怪我くらいは治せそうだが、そうしないということはそうできない理由があるということだろう。
制約か、それとも誇りか。
いずれにせよ、彼女には固い意思があって……そして、騙りなどではなく正真正銘の看取り手であるということがハッキリと分かった。
そして、思わずため息をついてしまう。今俺の目の前にいるのは、強い意志を持った、本物の特別な存在だ。
「……死ぬ前に、何か見たいものや聞きたいこと……話したいことがあれば、お聞き致します」
私は、看取り手ですから。
優しく、それでいて芯を感じさせる言葉。真っ直ぐ真剣にこちらを見つめ、彼女はその幼い見た目からは結びつかない不思議な雰囲気を放ちながらそう俺に告げた。
何かを抱えていることは見透かされてるのだろう。悩む、考える、彼女に言っていいものだろうか。
――別に、もう終わるなら。少しくらいは、強く居れなくてもいいか。
「……強くなれば、特別な存在になれると思ってた」
小さな声で、しかし聞こえるくらいの大きさでそう話し始めた。
これで、やっぱりやめたは出来なくなった。俺の次の言葉を、彼女は静かに見つめながら待っている。
「それこそ、勇者みたいに、世界を救えるような存在に……なぁ、ハレイナさん、だっけ? あんた、勇者に会ったことはあるか?」
俺の問いかけに、彼女は首を横に振っていいえと答える。
「そうか。まあ、別にそれはいいんだ……あんたは少し変わった人だから、気になっただけ」
言いながら、ぼんやりと上を見る。真っ白だ、遠い先など見えはしない。
「まあ、そういう勇者とかに憧れて……ああいう存在になりたくて、俺は必死に強くなろうとした……実際、強くなったと思う」
思い返す、最初は木でできた訓練用の剣を振っていた。力もつけたし、本を読んで技術も身につけた。それを自分用に使いやすく覚え直したり――そういった、強くなるための努力をいくらでも思い返せる。
「それで、だいぶ前に魔王が復活しただろう。みんなが怖がる中で……俺だけ、少しワクワクしてた」
この身につけた力で、みんなを魔物から救えると思ったからな。
そこまで話して、一度言葉を切る。彼女はじっと話を聞いたまま時折相槌を打つくらいで、会話に言葉を割り込ませるようなことはしない。
それが、何となく話しやすくて。俺はスルスルと頭から出た言葉を声に出していく。
「……結果として、俺の育ってきた街では、魔物の被害なんて起こらなかった。他がどうかは置いといて……あそこは、魔王が復活する前と何も変わらなかったのさ」
そう、何も変わらなかった。
あの街の様子も、ただ漠然と強くなろうもしていた俺自身も。
ギュッ、と手を握って強く力を込める。
今込められてる力、そして昔込めることが出来た力は、普通の人のそれよりは遥かに強いものなんだろう。その自覚はある。
それが、一体何になったというのか。
「……それで、ある日気がついてしまったんだ。ただ漠然と強くなるだけで……それで、何かが上手くいくわけじゃない。なにか、特別な存在になれる訳じゃない、と」
もし仮に、鍛えてきた力や技術が足りなかっただけであれば、どれだけ楽だっただろうか。
意味などないと、世界に否定された。もしかしたら、どこかで自分で気づいていたのかもしれない――そんな後悔も、大した量はできない。そもそも、選択することを切り捨てて歩んできた道だったから。
「看取り手さん、一つ……答えにくいことだろうけど、質問していいか?」
「……構いませんよ」
相槌するだけだった彼女は、俺の問いかけに労るような声音で答える。
「……俺の人生は、どこで間違えたんだ? ……どこから、無駄だったんだ?」
俺の口から出たその言葉に、目の前の少女は言葉を止めて、手を口にあてながら考え込むような素振りを見せる。
自分が一番、答えを知っている。ただ強いだけじゃ、剣を使えるだけじゃ物事は上手くいかないと、どこかで知る機会はあったはずだ。あるいは、最初から――
「……看取り手としてではなく、私個人としての意見になりますが」
一歩。俺の思考を遮るように、少女は一歩だけこちらに近づいた。
そして、こちらを見る。真っ直ぐと、深く吸い込まれそうな黒い目で。
「誰かに、継承するべきだったのではないかと私は思います。鍛えた強さは、自分なりに組み替えてきた技術は……誰かが受け継げば消えませんから」
彼女の告げた一言に、俺は固まって動けなかった。
俺本人が否定した、ただ強いだけという事を……彼女は、静かに肯定した。
「あなた見たいと思って頑張った先に見えた光景が、あなたが思い描いていたものとは全然違った……なんとなく、絶望を感じるものだったかも知れません」
でもそれは、決して無駄と一言で片付けられるものではないと思います。
優しい声で、包み込むような言葉で。胸の前に手を置きながら、少女は静かに説得するような感じで俺にそう伝えた。
流れそうになる涙を、どうにかして抑え込む。少しの間静寂が場を包んだ、何かを喋ることが出来ないままそうしていると、少女が突然少し申し訳なさそうに頭を下げる。
「……申し訳ありません。私は、あなたを治すことはできませんから……今言った、誰かに技術を継承するということ。その光景を、私は見せてあげられません」
突然の妙な謝罪に、一瞬思考が止まる。
それで、思い出す。見たいものや聞きたいもの、話したいことを叶えると、彼女はそんなことを言っていた。それはきっと、彼女にとっての拘りか……あるいは、誇りのようなものなのだろう。
なら、俺のできることは――
「……看取り手さんは、俺の見たい景色を見せてくれるんだろ?」
「……? はい、出来る範囲で、ですが……」
繰り返すような俺の言葉に、彼女は疑問気に首を傾げながら頷く。
「……じゃあ、あんたが俺の剣を継いでくれないか? 全部じゃなくていい、少しでいい……それが、俺の見たい景色だ」
そう喋る俺の顔は、多分笑っていたと思う。
「――ええ、それなら喜んで。あなたの剣と……あなたの意志。しっかりと、繋がせていただきます」
それが、看取り手の……そして、私の役目ですから。
彼女も、優しい笑みでそう答えた。
視界が再び白い光に包まれたのは、それからしばらくあとの話だ。
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