歌う風の音

 川沿いの、緑の生い茂る道。川の水は陽の光を受けてキラキラと輝き、草を揺らす柔らかい風と合わさって、思わずスキップしてしまいそうな晴れやかな気分にさせます。


 そんな道を私――ハレイナは、右手に食べ物を持ちながら歩いていました。

 ミニハットと、白いワンピース。休みのお出かけでよく着る……言わばお気に入りの服装に身を包んでいる状態。


 右手に持っているのは、先程までいた国で名産品として評判の高い、家畜の乳を使った甘味です。

 細かい作り方などは公表して居ないようですが、食べる側としては美味しいので良し。特筆すべき点は、それそのものの美味さだけではなく入れ物について。


 なんとこの入れ物、サクサクと美味しく食べれてしまうらしく。

 本来捨てるべきゴミになる入れ物が出ないことから、歩きながら食べれるを売りにしているらしいのです。そんなわけで、私はすぐに帰ろうとはせずこうして国のすぐ近くを歩いているわけです。


 さて、そんなここまでのハレイナさん知識は置いておいて。

 美味しい食べ物がある所というのは、大体の場合綺麗な水に近い場所となります。そして綺麗な水がもたらすものは、豊かな自然に溢れた――言うならば、綺麗な光景。

 綺麗な景色と甘くて美味しい食べ物。好きなものを二つ同時に摂取できて、私の気分も最高潮に達しています。これはもう、単なる勝ちを超えて優勝と言ってもいいでしょう。どこからともなく音楽が聞こえてくるような気すらして――、


「――おや?」


 そんな風に感じる、という訳ではありませんね。どこか、遠い場所から実際に楽器の音が聞こえてきています。

 一瞬考えてから、少し駆け足気味に音のする方へ。国の中では無い以上、ここでのんびりしていると会えないままどこかに行ってしまう可能性も十分にあります。


 そんなことを思いながら歩いている中で、気がついたことがいくつか。

 まず、音の発生源は動いてないかゆっくりであること。なにせ、どんどん音が大きくなってきていますから。

 次、その音のなる方向に、遠目から獣が見えるということ。結構攻撃的な性格の獣だったと記憶しています、音の主は大丈夫なのでしょうか。

 そして最後、流れてくる音はとても綺麗で――そして、すごく穏やかであるということ。急ごうとする気すら削がれるような、そんな優しい音。


 もうしばらく早歩きをしていると、ようやく音の元に辿り着きました。

 男の人です。先程遠目で見た鋭い爪を持つ獣と向き合いながら、おそらくは弦楽器と思われる物を弾いて居ました。


 飼い主とペットのような、仲のいい関係なのでしょうか。

 と、そんな風に一瞬思いましたが、恐らくそうではないのだとすぐにわかりました。

 血です。男の胴体と獣の爪に、大量の血が付いています。男の来ている服は大きく裂かれていて、前衛的なアートのように――いえ、言っている場合じゃありませんね。


 ひとまず、手に持っている甘味を一気に頬張ります。勿体ないですが捨てるより良いでしょう、人命最優先。

 どういうことがあって今この獣が大人しく音楽を聴いているのか、それは分かりません。

 ですが、今私が何とかして獣を追い払ったあと男に治癒の魔法をかけなければ、男は死んでしまう。それはすぐに分かります。


 今、私がこうしてここにいるのは、看取り手の仕事とは何ら関係ありません。なら、助けない理由はないでしょう。


「――ふっ」


 軽めの踏み込み、同時に魔法でできた剣を牽制目的で振ります。護身術として身につけた剣の腕は、こうした日常の場面でこそ活躍している気が。

 さて、ひとまず距離は取ってくれました。このままどうにかして硬直を維持しつつ、この人の回復を……そんな筋書きを頭で組み立てていると、獣は驚いた様子で平原の向こうへ素早く逃げていきました。


 まずは一度、深く息を吐きます。

 ええと、次にやるべき行動はこの男の人への治癒魔法でしょう。男の方へ向き直ると、彼は演奏をやめて驚いたような表情を私に向けていました。

 気にせず、男の傷口に手をかざします。柔らかな緑の光が優しく彼を包み込んで、ゆっくりと治療が始まりました。


 傷口は決して浅くはないですが、余裕はまだありそうですね。回復魔法は苦手というわけではありませんが、素早く丁寧にができるほど慣れてもいませんから。


「……君、医者か?」


 だから、その言葉に私は首を横に振ります。そして一言、素人ですから怪我の治りに過度な期待はしないように。と、そう付け加えます。


「そうか……君の見た目の歳にしては、とても強い死の気配を感じたんだが……」


 私は、特に言葉を返しません。そのままややしばらく、傷は塞がってきたので、私はゆっくりと彼から手を離します。


「応急処置程度ですが、終わりましたよ」


 そう告げながら微笑みかけると、彼は頭を下げながらお礼を言ってきました。

 そのまま、少しお話を始めます。なんでも彼は遠い国の生まれで、音楽で金銭を稼ぎながら旅をしているのだとか。旅の目的は、色んな景色を見ること。


 彼の言葉に私がちょっとした共感を覚えている間にも、話はゆっくりと進んでいきます。

 その旅の途中、綺麗な自然を眺めていた所をさっきの獣に襲われたのだと。逃げることも出来ず、せめてもの抵抗として行ったのが、先程聞こえていた心を落ち着かせる音楽を獣に聞かせること。

 獣の攻撃意思すら緩める音楽なんて、聞いたことがありません。いえ、まだ語れるほど生きている訳ではありませんが。


「……とはいえ、いくら攻撃されなくなったと言っても怪我はもうしていたからな、君が来てくれなければそのうち死んでいただろう」


 重ねての感謝と、なにかお礼をさせてくれという言葉。それに対し私は、当然のことをしただけですからお礼はいりませんよ、と返します。


「むぅ、じゃあ、君のために曲を弾かせてくれないか?」


 命の恩人になんのお礼もなしじゃ、俺はこいつに怒られてしまう。

 そう言って、彼は持っていた楽器を撫でるように優しく触ります。


 ……ふむ、遠目から見て弦楽器だと思っていたその楽器。今こうして近くで見ても、弦楽器であることは疑いようのないことです。

 ただ少し、形状でしょうか? 本に載っていたり、私が実際に目にしたことのあるものとは少し違った印象を受けます。


「それは?」


 と、楽器の名前を聞く意図で問いかけて、


「……こいつはな、俺の彼女なんだ」


 目を伏せて、どこか遠くに言うように。

 その表情を、私は何度も見たことがあります。多くは死者に向けて、もう会うことの無いものに向けて語る時の表情。


「……形見ですか?」


 その言葉を言っていいのかは少し悩みましたが、彼の方から始めた以上はおそらく聞いて欲しい話なのでしょう。

 だから私はそう聞いて――返ってきたのは、思いもよらない言葉。


「いいや、彼女そのものさ……あいつの骨で、作られた楽器だ」


 驚きは、多分顔にまで出ました。とはいえ少しの納得も覚えます、獣に音楽を届かせる技術を持つなら、何か変わった過去を持っていてもおかしくありませんから。

 以前、友人の遺体を弓に変えて使っていた男を看取ったことがあります。確かその時は、村の掟で最も親しい人を選ぶ仕組みだったような――、


 そこまでを思い浮かべて、湧き上がるのは好奇心。


「……なぜそうしたのか、良ければ聞かせていただいても?」


 言いたくなければ大丈夫ですが。そう言葉を加えながら、私は彼の方を見つめます。

 楽器を手に持つ男は、あまり詳しくは言わないが。と、前置きをしたあと、ゆっくりと話し始めます。


 今から、だいぶ前の話。

 彼がまだ自分の国にいた頃、彼は一人の女性――音が色として見えるという、不思議な体質の女性と共にすごしていたようで。

 今と比べれば遥かに少ない額らしいですが、当時から彼は音楽で金銭を稼いでいたようで。彼の奏でる音楽の色が大好きだと言う彼女と一緒に、裕福とは言えないけれど幸せな生活を送っていたらしいのです。


 しかし、今こうしてその女性の遺骨が楽器として存在することは、その幸せが長くは続かなかったということ。

 女性は、死んでしまったらしいのです。働いているなんて言ってない鉱山で、生き埋めになって。


「いい楽器を買えるくらいの金が、欲しかったんだと思う。俺の音楽をもっと……俺の色を、もっと見るために」


 それで、あいつは真っ暗闇の中で死んだ。

 目を伏せながらそう話す彼の言葉を、私は黙って聞いています。


「死体はさ、彼女の形そのままだったよ。死因は窒息で――だから、こうすることが出来た」


 乾いた笑みを浮かべながら、彼は楽器を持ち上げます。ほんの少し見える、後悔の色。


「なぜ、楽器にしようと?」

「……なんで行動に移せたかは、俺には分からない。でも、やろうと思った理由なら、想像出来る」


 まるで他人の行動について話すように。

 大切な人を失って、何かが崩れてしまうような。その経験は私にはありませんが、理解をすることは出来ます。


「聞かせたかった、見せたかった。一番近くで、音を――彼女の好きだった色を」


 だから楽器にしたのだと、そこまでを話して言葉を止めました。

 風が少し吹いて、髪を優しく揺らします。


「お話、ありがとうございます。辛いことを言わせてしまいましたね」

「いや、いいさ……君は、よく分からない人だな。こんな行動、普通は引くものだろう」


 私がお礼を言うと、彼は少し不思議なものを見るような目を私に向けます。

 だから、私は堂々と。


「いいえ……私が知ったような口を利くのは、良くないことですが――」


 彼の持つ少しの後悔を、吹き飛ばしてしまうように。


「彼女のために、彼女の見たいもののために。あなたは後悔を抱えながらそうするべきだと選んだのでしょう? 驚きはしましたが……私は、その意志を尊びます」


 本心を、そのままぶつけます。

 男は一瞬驚いたような表情を、そしてすぐに、小さな笑みを浮かべて。


「……やっぱり、君はよく分からない……変な人だ」


 そして、楽器を構えました。


「かもしれませんね。少し変わった、普通の人間です」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 穏やかで心地よい演奏が終わって、私達は旅の中で見たことのある綺麗な景色や不思議な光景について話をしていました。

 崖から見下ろす花畑、龍が住むとされる滝壺、墓のように連なった剣の道。

 そんな話の中で、ふと思い出したように彼は私に聞きました。


 魔王の城を見たことはあるか、と。

 私は首を横に振ります、趣味で行くにしてはあまりにも危険な場所でしょう。


「俺は、一度だけ見たことがある」


 なので、その言葉を聞いた時私は思わず声を漏らしてしまいました。そして、追いつくように生まれる好奇心。


「見て、どう思いましたか?」

「……なんというか、見た目の恐ろしさはあったが……」


 敵意や悪意は感じなかった。彼はただ一言そう言いました。

 そして、話は終わります。敵意の感じない魔王城に、今までと比べ侵攻が少ない魔王。それが何を意味するか――それを知っているのは、恐らく勇者だけなのでしょう。

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