星の空

 大きな岩の上に横たわりながら、一人の少女が空を眺めていました。

 時刻は夜。少女の視界に映るのは、海のように深く、黒く、吸い込まれてしまいそうな夜空――そして、その闇の中で輝く星々。


 ぼんやりと空を眺めているその女性には、三つ普通とは違う点がありました。


 一つ目に、背中から大きな翼が生えていること。羽がなく、翼膜の張ったそれは、見た者にドラゴンのそれを連想させます。

 次に、彼女の衣服。白を基調としたドレスのような服はぼろぼろになっていて、ところどころに赤い染みができあがっています。

 最後に、彼女の身体。堅い鱗に覆われ、鋭い爪をもった左足――その反対側の右足は、存在しませんでした。


「……生き残るの、無理そうだなぁ」


 ぽつりとそうつぶやく彼女の耳に聞こえてくるのは、近くで何かが焼ける音。


「顔が焼けたら、誰かわからなくなっちゃうかなぁ……それはやだなぁ……燃やしたの、私だけど」


 周りを包む炎を、彼女は冷静に認識します。そして何かするでもなく、ぼんやりと空を――遠い空の星を、じっと眺めていました。


 もう一度だけ、会いたかったな。


 半ば無意識でそんな言葉をもらした彼女の視界が、突然何かに遮られます。


「こんばんは」


 そこには、彼女の知らない少女が立っていました。


 見ていた夜をそのまま切り取ったような、黒く深い瞳。その黒とは反対と言ってもいい、月のように綺麗な銀色のツインテール。

 あどけなさの残る表情に、どこか神秘的な不思議な雰囲気を纏った少女が、倒れている女性のことを覗いていました。


「……助けに来てくれたわけじゃなさそうだねー。わざわざこんな炎の中まで、あなたは誰でなんの用?」


 少し余裕を持たせたその問いに、黒い瞳の少女はゆっくりと口を開いて答えます。


「ええ、助けに来たわけではありません。私の名前はハレイナ、看取り手をしているものです。 ――あなたの死を、看取りに来ました」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



「おー、私の右足、生きているうちにまた会うことが出来るとは。不思議な空間だね、ここは」


 上も下も、どこまで見ても真っ白が続く現実味の薄い世界。先程まで倒れていたはずの女性は、失ったはずの右足をまじまじと見つめながら言いました。

 そういえばハレイナさんって呼べばいい? と、話題を急に切り替えながら、マイペースに彼女は話しをふります。


「ええ、どのような呼び方でもご自由に」


 対するハレイナは冷静に言葉を返します。それを聞いた彼女は、へらりと笑いながら、それじゃあハレイナでいいや、と決定しました。

 そして、ぽんと自分の胸元に手を置きます。そのまま優雅にお辞儀を一つ。


「さてとハレイナ、あなたは私の死を看取るって言っていたよね? それは、私が珍しい竜人だから?」


 そういいながら、彼女は自分の姿を見せるように手を広げます。


 腰の辺りまで伸びた赤い髪は、背中から生えた翼の動きに合わせて揺れていました。

 鋭い爪を持った両足と右手、そして頬の一部はまるで防具のような赤黒い鱗を纏っていて、普通の人と同じである左腕の肌に違和感を感じさせるほど。


「いいえ。確かに珍しい物を見たとは思っていますが、私がここにいる理由とはまた別です」


 そんな彼女の様子をじっと眺めながら、落ち着いた口調でハレイナはそう返します。

 それを聞いた竜人の少女は、つまらなそうにため息をつきました。どうしましたか、とハレイナが問いかけると、彼女はやけにわざとらしく両手を挙げてやれやれと首を振ります。


「だってハレイナ、全然驚いた感じじゃないからさー」

「……いえ、驚いてはいますよ。ですが、本物のドラゴンを見たことがありますから」

「む、それ本当の話? 私だっておばあちゃんの昔話でしか知らないのに……はぁ、そんな珍しいのと比較されちゃうかぁ」


 これでも私、近くの村では神様みたいに扱われてるんだけどなぁ、知らない?

 なんてわかりやすくがっかりした様子で不満を漏らす彼女の言葉に、ハレイナは少し思案する素振りを見せました。

 そして、手を軽くぱんっと音を立てて叩きます。瞬間、何もなかった白い空間に浮かび上がったのは、特に変わったところのない、小さな村の風景。


「近くに村がありましたが、この村のことでしょうか」


 だとすれば、立ち寄ったことはないですね、と。そう答えようとしたハレイナの動きが途中で止まりました。

 竜の少女が、その風景を見つめながら固まっていたからです。ハレイナが何も言わずにその様子を眺めていると、少女の方から話しかけてきました。


「……ねえ、ハレイナ。ここに映ってるのは……今の村の風景?」


 少し聞くのを怖がるような、なんとか絞り出したといった声。

 対するハレイナは、あくまでも静かに言葉を返します。


「最後に見たのが、あなたに会ったときなので……今からほんの少し前ですね」


 その言葉を聞いた少女が、緊張の糸が切れたようにその場の崩れました。深く、深く息を吐き出します。そして一言、無事で良かったぁとだけ呟きました。

 感情をかみしめるように目を瞑る少女を待って、目を開けると同時にハレイナは優しく微笑みながら彼女に問いかけます。


「よければ、話を聞かせてもらっても?」

「……まぁ、こんなところを見せちゃったからね。別に構わないかー」


 対する彼女の方も、少し照れくさそうに笑いながら返事をします。そして、ゆっくりと記憶の糸をたどるように話し始めました。


 昔々、おばあちゃんのそのさらに前の頃から、自分たちの一族はあの村と関わりがあったこと。

 食べ物や娯楽などの貢ぎ物と交換で、村を守るという関係。交流ではない信仰としての関係は、自分にとっては少し窮屈だったこと。

 それでも、村の風景や近くの丘で見る夜空はあまり嫌いではなかったこと。


 そんな話をしたあとに、彼女は少し話の内容に悩んだ様子で言葉を詰まらせました。


 ややあって、悩んだことを隠すような明るい口調で話しを続けます。

 今までは獣による被害などを止める程度だったのが、魔王の影響で魔物の襲撃が活発になってきたこと。村を守るために戦って、今日ついに限界が来てしまったこと。


 私の話はこれで終わり、そう告げて言葉を切った女性に対し、ハレイナはありがとうございましたと静かに頭を下げました。

 数秒の静寂。笑顔を保っていた竜の少女の表情が、少し心配するような物に変わります。どうしましたか? とハレイナが聞いて、少女は言うべきか少し悩んだあとに、


「絶対に違和感合ったと思うんだけど、そこは聞かないんだなーって……」


 やや控え目な声で、そんなことを聞きました。

 対するハレイナは優しく微笑みながら言います。


「聞きませんよ、言いたくないことを言わせたいわけではないですから。それに――」


 そして、少しだけ照れながら、


「死に際に会いたかったと願うような、命をかけられるほど大切な相手の話を私の方から聞くのは……」

「ああもう、そんなふうに言われたらこっちまで恥ずかしくなるから……」


 勘弁してといいたそうに翼で顔を隠しながら、少し震えた声で少女は答えます。

 看取り手って、そうやって恥ずかしがったりするんだねと照れ隠しするように少女が言って、私は普通の人間ですからと冷静さを取り戻した声でハレイナが返しました。

 会話が途切れて、しばしの間が開きます。深く息を吐いて、ようやく元の様子に戻った少女は、静寂の中で何かを考える素振りを見せました。


 そして、どこか決意を秘めた表情でハレイナへ一つ問いかけます。


「ねぇハレイナ。私さ、誰かにこういうことを話すのは初めてで……」


 言葉に悩みながら、自分の思いを探るように話を進めていきます。ハレイナはただ静かに、彼女の言葉を待ちました。


「……このまま私が死んだらさ、この思いは消えちゃうわけで……看取り手は、話をしたら覚えてくれる?」

「ええ、もちろん。意志を忘れず繋いでいくことが看取り手の――そして、私の役目ですから」


 優しくはっきりとハレイナが告げて、竜の少女は意を決したように話し始めます。


「ほら、私さっき、村の人からは信仰であって交流はなかったって言ったでしょ?」

「ええ」

「……丘で夜空を眺めていたら、一人の少年と出会ったの。それが、私の唯一の交流相手」


 私の住む場所の近くは、村で立ち入り禁止になってるんだけど……その子は、親と喧嘩したみたいで。

 そうやって語り始めた少女は、どこか懐かしむように、少し楽しそうに上を見上げました。左右に尻尾を揺らしながら、自分の言葉を自分に刻み込むように。


「その子も、夜空が好きみたいだったから。別に相談に乗ったりしたわけじゃないけど、一緒に空を眺めてたの。そうしてたら、もっと近くでみたいなぁなんて独り言が聞こえてきたから」


 少女は目を瞑って、翼を静かに広げます。


「同じくらいの背丈だったけど、私は力が強いからさ。その子を抱きしめて、一緒に高いとこまで飛んで……そのときに見えたまぶしい笑顔が、忘れられなくなっちゃって」


 それからたまに村の外で話すようになってさ、なんというか、その子のためなら私は頑張れるって、気がついたらそう思えてたんだよね。

 最後は少し照れながら、少女はそこで話を終えます。ハレイナがお礼を告げると、少女は少し考えた様子を見せたあとに、答えはわかっているけどといった感じでハレイナに問いました。


「助けるわけではないのなら、あの子に合わせてもらえたりもできないよね?」

「ええ、看取り手はそういうことをしてはいけないので」


 そっか、と一言。彼女は曖昧な笑顔を浮かべながら、もう一つ――今度は、少しだけ期待した目で言いました。


「……ねえハレイナ、この空間で見たい物を頼んだら、見せてくれる?」

「はい、見たい物やしたい話を叶えるのが、私の仕事ですから――ですが」


 少し悲しそうに俯きながら、ハレイナは言葉を続けます。


「この魔法で見せられるのは、私の知っている物だけです……申し訳ありません」

「……そっか、別にそんな思い詰めなくても良いよ」

「いえ、見たい物を見せてあげられないのは……私にとっては、重要なことなので」

「それでも直接見せに行ってはくれないんだねー、まじめというかなんというか……」


 二つとも、私にとっての正義ですから。

 暗い声で、しかしハッキリとそう告げて。竜の少女は労るような笑みを浮かべながら、最後にこうして話せただけで十分だよ、なんて言葉を伝えます。


 生まれた静寂の中で、ほのかに辺りに光が満ち始めます。それは終わりを知らせる合図、少女もそのことに気づいたようで、ぼんやりと言葉をもらしました。


「身体があんまり燃えなければ、頑張った私のこと、あの子に伝えられるかなぁ」


 そんな独り言に、身体を向けないままハレイナが返します。


「私と話す時間が無ければ、最後の力で炎くらいは振り払えたのではないでしょうか。それくらいなら、私がやっておきますよ」

「……? いや、流石にきついと――ああ」


 否定しようとして、少女が何かに気がつきます。

 そうだね、あの子のためならできたとおもう。そう真剣な顔で言ってから、あははと思わず吹き出しました。


「ついさっきまじめって言ったけど……結構、自分勝手なんだね」

「かもしれませんね」


 少女の笑顔に、ハレイナも微笑みで応じます。


「最後に、もう一つ聞いてもいい?」

「ええ、どうぞ」

「私の頑張りを、あの子に伝えて……あの子を、悲しませるだけだったりしないかな。それだけだったら……少し、嫌だな」


 遠くを見ながら、少女はそう言いました。

 そして、ハレイナはこう返すのです。


「なにかは、きっと伝わりますよ。言葉はなくても……それが、意志を繋ぐことだと、私はそう信じています」


 具体的なことは、言えませんけど。

 そう加えて、にっこりとハレイナは笑いました。

 ゆっくりとほどけていく世界の中で、竜の少女は翼をたたむと両手を重ねます。


 そして、静かに祈りました。とある一人の少年に、心からの祈りを捧げました。

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