死者のいない村
一人で住むには広すぎて、二人で住むにもちょっと広い、そんな家の一室。少し古い椅子に腰かけながら、私、ハレイナは一冊の本を読んでいました。
一言に本と言っても当然種類は豊富で、神話や英雄譚などの物語や専門的な知識の教材など様々ありますが、今私の読んでいる本に書かれているのは仕事の記録。
仕事の、看取り手として誰を看取って来たかの記録。形ない記憶だけでなく、形ある記録としても残すための本が、家の棚に何冊も入っています。その中の一つを読んでいると、見覚えのある名前が目に入りました。
「……シアメ」
少し懐かしい気持ちになって、私は目を瞑りながら彼女のことを思い返します。
私にとってとても大事な、あの日死んだ少女のことを。
――――――――――――――――――――――――――――――
薄暗い小屋の中で、一人の少女がうずくまっていました。
ゴミの散らかった、所々植物の生えている小屋の中には、少女以外の気配は一切ありません。少女はボロボロの衣服に身を包み、ぼんやりと小屋の外を眺めています。
だんだんと揺れる世界の中、霞み始めた少女の視界の中に、一つ影が映りました。
「こんばんは」
その影が、ゆっくりと少女の方へ近づきます。続けて何かを言おうとしていましたが、それより早く少女は身体を起こすと、
「私の名前はシアメですっ、あなたが神様ですか?」
と、少し掠れた声で聞きました。
シアメ、そう名乗る少女の言葉に少し驚きながら、その人はいいえと首を振ります。そして静かに少女に手をかざすと、一瞬の魔法の詠唱。
「いいえ、私は神様ではありません。看取り手をしているものです」
口を開けずに告げられたその言葉に、今度は少女の方がきょとんと首を傾げます。
「喋ってないのに声が聞こえる……」
「そういう魔法を使いましたから、あなたも喋らずに言葉を伝えられるはずです」
「……本当に神様じゃないの?」
看取り手が縦に頷いて、少女は少し残念そうな顔。数秒間があって、少女は看取り手にこう聞きます。
「それじゃあその……看取り手さんは、何をする人なの?」
その質問に、少し言葉選びに悩みながら看取り手は答えます。私達は、人の死を見届けているんです、と。
それを聞いた少女が、心の底から不思議そうな顔で、看取り手にこう問います。
「……死って、なに?」
看取り手がびっくりしながら少女を見つめます。見たところ少女の歳は七か八か、ふわっとしたものであったとしても、死について知らない方が珍しい年齢です。特に、今の世の中では。
どう説明したものか考えていると、少女がはっと閃いたような顔で言葉を続けます。
「そうだっ、その死って言うのは、神様に会えること?」
ちょっと悩んだ様子を見せながら、看取り手は首を横に振ります。
「なんだぁ……違うのかぁ……」
そんなに神様に会いたいの? 看取り手がそう聞いて、少女はうーんと唸りました。
「別に、会いたいわけじゃないんだけど……お母さんが、そう言ってたから……」
その言葉を聞いて、部屋の中をちらりと見渡します。植物まで生えた、生活感の一切ない室内。少女がいること自体が不思議なこの場所には、他の人の気配はありません。
「あなたのお母さんは、どこに住んでいるんですか?」
「あっち、あっちの方に村があって、お母さんはあそこに住んでるの」
看取り手が質問をすると、少女はピッと方角を指さします。
「……お母さんとは、離れて暮らしてるんですね。よければ、理由を聞かせて貰っていいですか?」
「うん、いいよ」
けほっ、けほっと咳き込みながら、少女はゆっくりと話し始めます。
曰く、お母さんとはとても仲の良かったこと。何日か前に、村の人にお母さんから離れてここで住むように言われたこと。離れ離れになるのは嫌だったけど、お母さんは喜んでいたので私もそれは嬉しかったということ。
「お母さんが言うにはね? 何年かに一度、偉い人が村の子供達から何人かを選んでここみたいな小屋に住まわせるんだって」
それで、神様っていうとってもとってもすごい存在が子供達を迎えに来るらしいの。
沢山喋って疲れたのか、少女が喉のあたりをトントンと叩きます。看取り手は、黙ってその話を聞いていました。
「その神様っていうのはとっても偉い人でね? そんな相手に迎えに来てもらえるのは、とっても名誉? な事みたい」
お母さんも選ばれたかったけど、そうはならなかったみたい。だから、私が選ばれた時はとっても嬉しそうにしてたの。
最後に、だから私はここに住んでるんだっ、と。そう付け加えて少女は話を終えます。看取り手は静かに一度息を吐いたあと、喋り終わった少女に聞こうとして、
「あなたは……」
そこで一度言葉につまりました。少女が疑問気に見上げて、看取り手はなんとか言葉を絞り出します。
「あなたは、何を思って神様を待っていましたか?」
それは、幼い子に聞くには少し残酷な質問で。
しかし、少女はあっけらかんとした様子でそれに答えます。
「神様、来るの遅いなーって。小屋からでちゃダメって言われたから喉乾いても雨くらいしか飲めなかったし……だから、看取り手さんが来た時はやっとかーって思ったの! ……違ったけど」
「……なるほど」
看取り手は、なんとなく彼女の事情を理解しました。彼女から見た母親の言動から、真実を知っている村人が恐らく一部の偉い人だけだということも。
その上で、看取り手は静かに告げました。
「……私は看取り手ですから、あなたの悩みを解決したり、問題を直そうとしたりすることはできません」
何を言ってるのかわからない様子で自分を見上げる少女のことを気にせず、看取り手は優しく、それでいて力強い声で言葉を続けます。
「それでも、看取り手として……あなたの聞きたいものを聞かせることが、したい話をすることが出来ます」
あなたの望みはなんですか?
看取り手がそう聞いて、少女は少し慌てた様子。落ち着くまでしばらく待って、少女は小さな声で聞きました。
「なんでもいいの?」
「はい、私に出来ることであれば」
「それじゃあ、外のことが知りたいなっ、この小屋とか、村の外のこと!」
そのくらいなら、おやすい御用です。
こくんと頷いて、それから看取り手は静かに話し始めます。
辺り一面白銀の、美しくも恐ろしい雪山の話を。森の中で突然広がる、別の世界に迷い込んだかのような美しい花畑のことを。
それらの一つ一つを、御伽噺のように、子守唄のように、優しくゆっくりと少女に聞かせて上げました。
やがて、話が八つを超えた頃。少女は満面の笑みを浮かべながら、看取り手にこう言いました。
「ねっ、看取り手さん。お外には色んな楽しそうがあるんだねっ」
そして言葉を続けます、私も外に出れば、そういう景色が見れるのかな? と。
その一言に、看取り手は黙って首を横に振りました。そして、少し寂しそうな表情で、諭すように言います。
「あなたは今、とてもお腹が減っていて……だから、あまり体が動かせないはずです」
魔法じゃなくて声で会話しようとすれば、それだけで辛くなるほどに。そう付け加えると、少女はこくりと首を縦に振りました。
「……それが長く続くと、だんだん意識が遠くなって、身体が全く動かなくなってしまいます」
――それが死で、看取り手はそうなる寸前の人の前にしか現れることが出来ないんです。
俯きながら、看取り手は淡々とそう伝えました。看取り手は、今から看取る相手を助けることが出来ません、ルールとして――そして、誇りとして。
「それじゃあさっ」
一瞬起こった静寂を、少女の声が破りました。
「物を食べれば、外の景色を見に行ける?」
そういいながら、少女は自分のポケットに手を入れました。中に入っていたのは、うねうねと動くまだ生きている虫。
「お腹は空いたけどさすがに食べたくないなーって思ってたから……でも、そういう物が見られるなら、食べる!」
大きな、意志に満ち溢れた言葉と共に、少女は手を震わせながら虫を口に持っていきます。
「……困りましたね」
その動きを、看取り手は優しく止めました。代わりに、少女の口に携帯食を突っ込みます。
「どうしましょうか、こんな初歩的なことを見落とすとは……」
顎に手を当てて悩む様子を見せる看取り手に、少女は携帯食をもそもそと咀嚼しながら問いかけます。
「何があったの?」
「……私があなたに何もしなければ、あなたは空腹で死んでいたはずなんですよ。それを、私は変えてしまった」
それは看取り手として、もっともやってはいけないことなんですよ。
頭を掻きながらそう続ける看取り手に、少女は口の中のものを飲みこみながら、
「じゃあ、看取り手さんは私をどうするの?」
そう問われて、看取り手はたっぷりと悩みました。時間をかけて考えて、二つ、選択肢を少女に与えます。
「……ちょうど、後継者を探しているところだったんです。あなた、看取り手になってみませんか?」
「……へ?」
少女が戸惑っている間に、看取り手は自分で自分に納得したように何度も頷きます。そしてバッと少女に目線を合わせました。
「死がなにか知らなかった少女が、生きる意味を見つけて、死を見届ける役目につく。何だか、とても運命を感じるじゃないですか。私、そういう運命的なものを大切にしてるんです」
「……看取り手さん、変わってるね……」
「まあ、よく言われます」
それで、どうしますか?
看取り手は少女に聞きました、言われた通り看取り手になるか、それとも頑張って普通のまま生き残るか。
「ねぇ、看取り手さん」
その一言はゆっくりと。
「看取り手になれば、色んな景色を見れる? それに……看取り手さんがしてくれたように、私みたいな人に色んな景色を見せてあげられる?」
「……それが、あなたの望むことなら」
少女がこくんと頷いて、看取り手は静かに微笑みます。そして、こんなことを言いました。
「そうだ、あなたが看取り手になるなら、名前も新しくしましょうか」
「……それじゃあ、看取り手さんがつけてくれる?」
「私が? では……そうですね……ハレイナ、今日から、あなたはハレイナです」
看取り手の男は少し考えて、目の前の少女にそう伝えました。
「ハレイナ……ハレイナ……うん、いい名前。これからよろしくね、お父さん!」
えっ、と言う声が聞こえそうなほど驚いた表情の看取り手に、
「だって、名付けの人は親になるんでしょ? だから、今日から看取り手さんが私のお父さん!」
少女は――ハレイナは、今までで一番の、明るい笑みで言うのでした。
――――――――――――――――――――――――――――――
シアメは、あの時に死にました。
今の私はハレイナ、その今の私を作ってくれたのはシアメ。
私はパタンと本を閉じて、落とさないようにしっかりと本棚にしまいこみます。
「……さて、今日は甘いものでも食べて、それから記録でもつけましょうか」
ハレイナとしての父親に恥じない私になれてるかは分かりませんが。
――私は生きて、繋いでいくのでしょう。私が看取り手であるから、私が私であるから。
あの本に記されている、三文字の名前を見る度に、私はそんなことを考えるのです。
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