少女ハレイナのささやかな日々

 一人で住むには広すぎて、二人で住むにもちょっと広い、そんな家の一室。窓から差し込んだ朝日の光に照らされて、私はベッドから身体を起こします。


 ふわぁと気の抜けたあくびを一つ。首をぶんぶんと振って眠気を払ったら、私はゆっくりと着替えを始めます。顔を洗って歯を磨いて、最後に朝ご飯を食べる頃には、もうすっかり眠気は吹き飛んでいました。


「さて、と」


 軽く声を出しながら、私は机の上に目を向けます。正確には、透明な壁に囲まれた水晶玉のような装置へと。


 いつも見慣れている淡い青色の光は、今日はその装置から発されていません。時折行われる、装置の自動メンテナンス中であるという証。それは同時に、今日は私の仕事がお休みであるということを示しています。



 ――私、ハレイナの看取り手としての仕事が。



 ◇



 そもそも、看取り手がどうして一人で死にかけている者の場所がわかるのか、という話です。


 この水晶玉のような装置は、今から遠い遠い……それこそ、この看取り手という役割が生まれた頃に作られた物らしく、当時でしか手に入らないであろう希少な鉱石などがふんだんに使われた、端的に言ってしまえばとんでもない代物のようで。私たちの仕事は、この装置に場所を示してもらうことで成立しているのです。


 さて、そんな装置が今現在起動していない理由ですが、別に今日は死者が出ないからとか、そんな理由ではありません。


 一つは、先程上げたような装置の自動メンテナンス機能。当然ですが、そんな古くに貴重な鉱石を使って作られた物、私の手で修理や調整が出来るわけありません。


 そしてもう一つ。私……つまり、看取り手へ休む日を与えるためです。先代の看取り手は、私に口を酸っぱくしていっていました。「死に触れていれば、自然と死に寄っていく。看取り手はそうであってはいけない、死者を看取る私たちは、生であり続けなければればいけない」と、そんな感じのことを。


 だからこそ、たまに休みをもらって自分の好きなことをやれと、多分そういうことなのでしょう。


 手提げのバッグを手にとって、黒いミニハットを被りました。お気に入りの黒いロングコートではなく、今日は白のワンピースを着て、行くべき場所の座標を確認します。補助用の装置に触れながら、落ち着いて転移魔法を発動。


「それでは、行ってきます」


 誰もいない家に、決まり事のようにそう告げてから、私は魔法で開いた扉の先に進むのでした。



 ――――――――――――――――――――――――――――――



「すいません、これを一つお願いできますか?」


 目的の店で目当ての物を注文しながら、私は軽くあたりを見渡します。

 街を行き交う人達、彼らの考えていることはきっと別々で、そして私からはわかりません。それでも、一つわかることがあります。どんな思いでそうしているかはともかく、彼らは今を生きているということ。それは当たり前のことで、私にとっては一歩遠くの、とても尊いもののように感じられます。


「はい、おまちどおさま」


 思わず微笑みながらそれらを眺めていると、隣から男の人の声が聞こえました。振り向くと、そこには先程の店員さん。彼は持っているトレーを私の前に置きながら、優しい口調で話しかけてきます。


「嬢ちゃんは旅人かい? ならちょうど良かった、自分で言うのもなんだが、このメニューはうちの国でも一、二を争うほどのセールスポイントでね」

「ええ、知ってますよ。というより、これを知ったからこの国に来たようなものですから」


 がははと笑う店員さんの声を聞きながら、私の目線は目の前のそれに釘付けになります。


 白いキャンバスを彩る赤い果実……そしてキャンバスそのものである大量の生クリームの山、山、山! 圧倒的な甘味の塊であるパフェを目の前にし、私の表情もかつて無いほど輝いていることでしょう。


 私の好きな物。そして、食事という生の象徴たる行為。そんなかっこいい理由とただの欲求を混ぜて、私は休みの日にこうして甘味巡りをしているわけなのです。


 さて、見た目に圧倒されるのも良いですが、やはり食事は食べてこそ。一見合格を出したくなるような物でも、いざ食べてみるとがっかり……なんてこともあり得ます。手に持ったスプーンを、生クリームの山に突き刺します。さてさて、気になるその味は――、


「……はぁぁ」


 思わず息が漏れました。これはもう、明らかに勝ちです。

 口に入れた瞬間に広がる濃厚な甘さ。こういうものを食べるときは、もう美味いと甘いしか出てきませんが、きっとそれが真理だからでしょう。半ば夢見心地のまま、私はパフェを夢中でほおばり続けるのでした。



 さて、山のようなパフェも半分ほど食べ進んだところで、私は視界に一瞬だけ入ったなにかに気がつきます。


 パフェを食べる手をとめて、顔をパフェから周囲へと向け直します。先程まで夢中食べていたせいか、店員さんからのちょっと不安がる視線が刺さりますが、ひとまずは無視することにしましょう。


 幸いにも、妙だと感じた物の正体はすぐにわかりました。行き交う人達の中で、一人の少年――私よりも幼い男の子が、今にも泣き出しそうな様子で歩いているのです。周りの人達は気になったようにちらちら少年を見ていますが、誰も話しかけるには至っていません。


 さて、どうしましょうか。私はここに初めてきましたし、少年のことも一切知りません。それに、目の前には食べかけのパフェが鎮座しています。


「……すいません店員さん。少し席を外してもよろしいですか?」


 まあ、それが助けないで見て見ぬふりをする理由にはならないでしょう。店員さんにきちんと許可を取ってから、私は席を立って少年の方へ向かいます。アイスと違って溶けることがないのは良いですね。


「つらそうな顔をしていますが、大丈夫ですか?」


 私が話しかけると、少年は驚いたような顔をして固まります。歳は6歳くらいでしょうか、手は何かを守るように両手で包んでいます。私が彼の返事を待っていると、おそるおそるといった感じで話しかけてきました。


「……お姉さん、だれ?」


 至極真っ当な質問です。お姉さんと呼ばれたことに少しのむずがゆさを覚えながら、私は優しい口調で答えます。


「私はハレイナ、旅の者です。あなたが泣きそうになっていたのが見えたので、何か力になれることがあれば、と。そう思って話しかけました」


 私がそう言うと、彼は少し悩むようにうつむきます。きっと、本当に相談して良いことなのか迷っているのでしょう、そして、彼自身の手ではどうにもならないことなのでしょう。


「……本当に、力になってくれる?」

「私で手伝えることなら」


 しばらく私の方をじっと見つめて、そのあと道の端の方に来るよう言いました。私が素直に従うと、彼は大事そうに包んでいた手を広げます。


「……なるほど」


 その手の上にいたのは、小さな生き物の亡骸でした。見た感じ外傷はありません、病死のような斑点もなく、状態から見て亡くなってから時間もそんなに経っていないでしょう。


 野良であれば、こんな綺麗な亡骸には絶対になりません。つまり、この子は彼のペットだということになります。


「この子に、お墓を用意してあげたいんだ……でも、お母さんもお父さんも、お庭に作っちゃだめって、だから、どうしようって……」


 言っているうちに悲しくなってしまったのか、最後の方はほとんど泣き声で。

 そんな彼の頭を、私は優しく撫でてあげます。


「大丈夫ですよ。私に任せてください」


 死に対する何かについては慣れてますから、みたいなことは流石に言いませんでした。早速行きましょうかと手をさしだそうとして、あることに気がついて止めます。


 どうしたの? と心配そうに聞く彼に対して、ちょっと待っててくださいと言いながら、私はその場を離れます。向かう先は先程までいたお店、急いで戻ってきた私を不思議そうに眺める店員さんに、私は申し訳なく思いながら言うのです。


「申し訳ありません、あの子を助けてくるので、パフェは下げておいてください……えっと……その、とっても美味しかったです」


 さようなら、私の残り半分のパフェ。



 ――――――――――――――――――――――――――――――



「さて、お墓を作る場所ですが……あなたの話を聞きながらでもよろしいですか?」


 地図を広げて歩きながら、私は少年に対して話しかけます。きょとんとした顔でどういうこと? と聞かれたので、私はゆったりとした声で答えます。


「あなたの。というよりは、その子のでしょうか。何が好きで、何をしていたのか、それは知っておいた方が良いですから」


 私のその言葉に納得したようで、彼は軽く考えるような素振りを見せました。そして、記憶のかけらを探すようにゆっくりと話し始めました。


「……この子は、庭で走り回るのが大好きで……」


 ぽつり、ぽつりと絞り出すような声を、私はじっと聞いています。最初のうちは常に距離を置かれていたこと、食べ物をこぼしたときだけ近づいてきたこと、水が苦手だったこと、気がついたら自分の肩の上が定位置になっていたこと。


「寝ているときに隣に来てたときもあって……寝返りを打ったら潰しちゃってたんじゃないかって……」


 つぅ、と彼の頬に涙が伝います。

 泣き出す前に、私は少年のことを抱きしめました。大通りから離れていたおかげで、私たちのことを見ている人はいません。


「歳だったから、あんまり動かなくなっちゃって……でも、今日は珍しく僕の方に歩いてきたから、遊んであげようと思って、撫でてたら……」


 震える声で喋る彼を、私は落ち着かせるように撫でてあげます。そして、ゆっくりと聞き取りやすいように語りかけました。


「死ぬときに、見たい景色をみれなかったり、誰も側にいなかったり……それは、決して少なくない、とても悲しい出来事です」


 だからこそ、と。一つ前置きをして、彼の目を見ながら優しく言いました。


「最後、あなたがその子の側にいてあげられた。それはきっと、なんというか……好ましいことなのだと、そう思います」


 震えが収まったのを見て、私は彼を離してあげます。彼は少し言葉に迷ったあと、私に一つ聞きました。


「お墓を建ててあげる以外に、僕がこの子にしてあげられること、なにかあるかな」


 私は、微笑みながら答えます。


「特別なことは言いません。ただ、いつでも思い出せるように、しっかり心に留めてください。美化をするわけでもいい話にするのでもなく……ただ忘れないこと。それが、意志を継ぐということです」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 お墓は、少年の家が見える丘の上に建てました。

 お店の人にもう一度謝っておくと言った私に、僕のせいだから僕も謝ると言ってきたので、私たちは同じ道を歩いています。その中で、不意に彼が私に聞きました。


「ハレイナさんも、飼ってたペットが死んじゃったこと、あったの……?」


 少し慣れてそうだったから、そう付け足した彼の言葉を聞いて、私はぼんやりと空を見上げます。


「いいえ、私は……お父さんが」


 思わず口を閉じた彼を置いて、私は昔のことを思い返します。しばらく無言で歩いていると、ようやくお店に着きました。

 こちらを見つけた店員が、そそくさと店の奥に引っ込みます。ひとまず謝らなければと店の中に入り、


「優しい嬢ちゃんにサービスだ!」


 目の前に、巨大なパフェが出てきました。


「えっと……?」

「見ず知らずの子供を助けた旅人に何もしないなんて許されないって!」


 パフェを手渡すと、そのまま店員さんは離れて行ってしまいます。

 ……食べない方が失礼な流れですが、どう考えても一人で食べ切れる量ではありません。どうしたものかと考えて――そして、気が付きました。


「……一緒に食べますか?」


 今日の私の休日は、少年と二人でパフェを食べながら過ぎていくのでした。

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