凍てつく氷で彩って

 生き物の足跡を、降り積もる雪が上から覆い隠していました。

 辺りは一面銀世界。音は雪に包まれて、静寂がこの世界を満たしています。


 そんな中に、一人の少女が立っていました。白い世界から切り離されたような、真っ黒のロングコートとブーツ。そして、それらの衣服と同じ、吸い込まれるような黒の瞳を持った少女です。銀色のツインテールを風に揺らし、白い息を吐きながら、少女は吹雪で視界の効かない前方を向きます。


「このあたりに――」


 ゆっくりと歩きながら、少女はぐるりと周りを見ました。視界に広がる白、白、白。人の声や音はありません。気配も、感じることはできませんでした。少女は不思議そうに首をかしげながらさらに数歩進み、そして何かにぶつかりました。


「――なるほど」


 人の形をした氷の塊がそこにありました。成人男性くらいの大きさで、指先などの末端ととれる部分は奇妙にねじれています。自然の産物のようでもあり、人為的に作られたようにも見える謎の塊。


 それは白の入り込まない完璧な透明で、しかし向こう側の景色は見えません。ある種の芸術品のようなその塊の中には、人が入っていました。


「……まあ、これでも間に合ってはいるはずですが」


 少し不安そうな表情を浮かべながら、少女は静かに魔法を唱えます。

 一瞬まぶしい光に包まれて、先ほどまでと同じ真っ白な、しかし雪の降っていない空間に少女は立ちます。


「こんばんは」


 そして、静かに挨拶をしました。


「んー……ふむ? ここは……」


 呼びかけられた、白髪の混じる少し細めの体躯の男――先程まで氷の中にいたその男は、不思議そうにあたりを見渡しました。


「意識はハッキリしてますか? 私は――」

「ちょっと待ってもらえるかな」


 首を振る男と少女の目線が合って、少女が何か喋ろうとするのに対し男が食い気味に言葉をかぶせます。

 急に自身の方に来た相手に気圧されている間、男は少女のことを観察するように上から下へとじっと眺めながら、


「なるほど、なるほど! 服装だけではないな、雰囲気自体が異質だ。生き方自体が特異ではないとこうはなるまい、この幼さで神秘的とさえいってもいい、断絶された世界に立っているような――」

「あの……」

「それでいて年相応のあどけなさを残す、その要素の落差が引き立てになる……知識でもつことと実例を見るのではやはり違うな! ありがとう、君は実に良い刺激だ!」

「えっと……ありがとうございます?」


 流れるような語りに圧倒されながらも、おそらく褒められていることを理解した少女はなんとかお礼の言葉を絞り出します。

 男の方はそんな感謝には反応せずに、服のポケットから何かを取り出そうとして、


「ふむ」


 と、一言。先程の様子からは全然違う冷静な様子で分析を始めました。


「大きく考えられるのは三つ。私は助け出され、ここは私の知らない教会の中である可能性。ほかには、私はあそこで死んで、あるとは思っていなかったがここが死後の世界である可能性」


 そして、と前置きしながら、男の指がびしっと少女の方を指します。


「君が私をどこかへ連れて行った可能性。ならば、ここは回りくどさなどなしに聞こう、直接的に。そこの神秘的な君……君はなんだい?」


 そう問われて、少女は少し安心したように息を吐きます。そして、胸に手を置きながら、静かな声でゆっくりといいました。


「やっと本題に入れますね……私はハレイナ、看取り手をしているものです。 ――あなたの死を、看取りに来ました」




 ――――――――――――――――――――――――――――――



「なるほど、ここは君の魔法で作りだした精神世界で、私の体自体は今もまだ雪山にいると……! 実に奇妙な話だ、特定の相手を自身の精神空間に呼ぶ、そんな魔法があるとは聞いたことがない!」


 真っ白な空間の、今足をつけている場所に座りながら、男は静かに考え込みます。

 対する少女はその場に姿勢よく立ちながら、じっと男の方を見つめています。


「はい、信じてもらえるかどうかはあなた次第になりますが」

「信じるとも! 看取り手の噂は私も聞いたことがある、絵を描いてみたことさえあるよ。男のイメージで描いてしまったがね」

「構いませんよ。実際、私の前の看取り手は男の人でしたから」

「……受け継ぐ仕組みなのも初めて知った、不思議だらけだな君たちは!」


 ははっ、とわざとらしく大袈裟に笑って見せながら、男は誇らしげにハレイナに目を向けます。

 自分の言動や行動にある種の自信を持っているような、そんな様子です。そんな男の発言に、ハレイナは一つ質問を投げかけました。


「あなたは、絵を描く仕事の方ですか?」

「おや、別に私の――というよりは、看取る相手のかな? 職業を知っている訳では無いのだね」


 はい、と少女が肯定すると、男は笑顔でその場から立ち上がります。

 そして大きく手を挙げながら、芝居がかった口調で言いました。


「いかにも、私はしがない人間であり、同時に素晴らしき芸術家である! 私のことを忘れてもいいが、作品は永遠に覚えてもらおう。なぜなら、君は既に私の作品を見ているからだ!」


 ビシっ! と指の動きも決めて、男は満足そうにその場に座り直します。

 対するハレイナは少し考え込みながら、既にみた作品とはなにか考えつきます。


「あなたが入っていたあの氷の塊……あれが、あなたの作品ですか?」

「その通り。いやはや、できがわからないのが不安だったが、作品として認識できるのであればこれ以上ないくらいの『良し』と言えるな!」


 大きく笑う男のことを、ハレイナはじっと眺めています。視線に気づいた男はにやりと口角を上げると、少し意地悪な口調で聞きました。


「看取り手さん的には、こうしたある種の自死に近い死に方、嫌いかな?」


 その言葉に、彼女は表情を変えずに答えます。


「いいえ。看取り手としては、死に方に好きも嫌いもないですよ。ただ死という事実があるだけです」

「……まあ、それもそうか。変なことをきいてすまなかったね」

「ですが」


 話を切ろうとして言葉を止めた男に、ハレイナが言葉を繋げます。疑問そうに少女を見つめる男に向けて、ほんの少しの笑顔を添えて。


「私個人としては、見たい景色を見ながら……あるいは、すべて見たあとに死ねるのなら、それが好ましいと思っています」


 と、少女が言い切って、男は驚いたような顔を浮かべました。


「……ふむ、興味深い。私個人ということは、それは看取り手としての役目から外れた考えであるわけだね?」

「ええ、まあ。私が死を看取る理由に、何を大事と思うかは関係ありませんから」

「では……君はその看取り手の中でも、イレギュラーな存在であるわけだ!」

「……いいえ」


 一人で納得したように頷く男に、少女は明確な否定の言葉を入れました。


「看取り手の誰にだって、自分なりの死生観があって……そのうえで、少なくともある程度は正しいと思ったから、こうして看取り手をしているのです」


 私達は、決められた役割をその通りに果たす人形ではありませんから。

 静かに、そして力強くそういった少女を男は呆然と見つめます。そして、小さく頭を下げました。


「すまない、謝罪させてもらおう。君のこと……というよりは、看取り手という存在のことを少し誤解していた」

「というと?」

「君が否定したとおりさ。正直に言って、死神の使いのようなものだと思っていた。ただ一つの使命を忠実に守るような、そんな存在だと」


 だが、それは違うようだ。と、男は一言置きました。君たちは、行動の意味を考えて動いているんだな、と。

 そんな言葉に、少女は軽く頷いて返します。


「はい、だって、私は普通の人間ですから」


 今度こそ納得したように、男はその場でごろんと寝転がりました。そして、ぽつりと言葉をもらします。一つだけ、心残りが――見たかったけど見ることのできなかったものがあるのだと。


「実に悲しいことであるが、あの氷像……文字通り、私の命と魂を込めた作品だけは、私自身は見ることができないものだ。諦めていたとはいえ……いや実に悔しいな! なぜ美しい作品を私は見ることができないのか、せっかく妄想から形へと姿を変えたのに!」


 ため息をついたと思えば突然叫び出す男に、ハレイナはそっと近づきました。そして、優しい口調で言うのです。


「大丈夫ですよ」


 そして、ゆっくりと手を広げます。


「死ぬ前に、見たい景色を、したい話を。それが看取り手で――それが、私ですから」


 ぱん、と手を叩く音がして、何もなかった白い世界に突然雪が降り始めます。しかし、不思議と寒さは感じません。何事かと思った男が顔を上げて、そこにそれはありました。


 成人男性くらいの大きさの、人の形をした氷の塊。彼の目の前にあるものは、氷像になっている彼自身でした。


「これは、なぜ」

「だって、ここは私の魔法で作った空間ですから」


 驚いて固まる男に、ハレイナは優しく微笑みかけました。そのまま、次の声は続けずに男のことを眺めます、じっと氷像のことを眺めていた彼は、一度ふうと長い息をつきます。


「……ありがとう」

「見たいものは見られましたか?」

「ああ、もちろんだとも。それに……君がこれを見て、覚えてくれたことが私はとてもうれしいんだ」


 男が、視線を氷像から彼女の方へと戻しました。


「芸術というものは、自分以外にも誰か、それを認識してくれる人がいて初めて成立するものだ。と、私は考えている」


 自分だけしか認識しないなら、脳で考えているものの方が遙かに出来が良いのだから。そこまで言って、彼は静かに頭を下げます。そして、再び言葉を繋げました。

 だから、礼をさせてくれ、と。




 ――――――――――――――――――――――――――――――




「散々私の方から話しかけておいてどうかと思われるかもしれないが、もう一つ話をしてよろしいだろうか。なぁに、少し話したくらいで乱れる筆じゃない!」


 椅子に座った男が、意気揚々と話しかけます。手には筆、目の前には大きなキャンパス、そしてその奥にはハレイナがちょこんと座っています。

 ――絵を描かれていました、初めての経験に少し恥ずかしそうにしながらも、彼女はこくりと頷いて肯定します。


「そうか。私がどうして命を使った作品を作ったのか、気になっても聞けないだろうと思ってね」


 ぽつり、ぽつりと男はしゃべり始めました。

 自分のイメージの、そして技術の限界を感じ始めていたこと。今を逃せば、そうした『命のこもった作品』は出来ないとわかっていたこと。ならば、悔いの残らないうちにそうするべきだと思ったこと。


「悔いはなかった……と、いいたいところだがね。思わぬ形で生まれてしまったよ」


 その言葉に、ハレイナは小さく首を傾けます。


「君のことだ! 不思議な雰囲気で身を包んだ……等身大の、優しい少女。なにせ今ものすごい勢いで筆が進んでいる! 生きている間、君のように変わった人と出会える可能性があったと考えると悔しくて仕方ない!」

「……私があなたと出会えたのは、私が看取り手としてここにいるからです。もし、生きているうちに会えたとして……それは、あなたの望む私ではないでしょう」

「その通りだ! ああ、全くかみ合わないな。記憶にだけ残る作品など、強く残したいときには適さんというのに!」


 男が叫ぶのとほぼ同時、ふわりと世界は光に包まれ始めました。


「……そろそろ終わりかね?」

「はい」

「そうか……その前に描き切れて良かったよ」


 うれしそうな、そしてどこか悲しそうな顔で、男はできあがった絵をみせました。

 白い世界に、決して自己主張しないように、小さく少女が描かれている、そんな絵。おもわず息をもらした少女に、男が言葉を続けます。


「さあ、そろそろお別れといこう! まさか、命を捧げた作品のあとに、さらに一枚を描くとは! どうか、この絵を忘れずに。君が覚えている限り、これが私の最後の作品だ!」


 男は笑って言いました、少女も微笑みながら向き合います。


「忘れませんよ。あなたも、あなたの作品も。だって、二つ合わせてあなたの意志ですから。看取り手として――そして、私として、あなたのことは忘れません」

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