勇者と大きな死の話
薄暗く、肌寒い屋敷の中を、一人の男が歩いていました。
白いローブを着て、手には杖を持っています。屋敷の廊下は黒い霧のようなもので満たされており、床に溜まったヘドロのようなものが、嫌な音を立てながら足跡を残していました。
「どう思う?」
そんな、明確に普通ではない道の進みながら、男は自らの斜め上──彼にしか見えていない、空を浮く小さな少女に対して話しかけます。
「溜め込んでる、もしくは抑え込んでる」
「だよな、最初に想像した通りで良かった……これで、目的は果たせそうだ」
一人と一つは足を取られないように慎重に、しかししっかりとした足取りで歩みを進めます。
しばらく、歩いて、歩いて。やがて、その屋敷の中の一室、一際ヘドロの積もった扉の前に辿り着きました。男は扉の目の前に杖をかざすと、何かをぽつりと呟きます。瞬間、白い光が杖の先に集まって。
どん、という大きな音とともに。積もったヘドロで開くことの出来なそうだった扉は、大きく加わった衝撃に吹き飛ばされるような形でその役割を終えました。
強引なやり方で部屋の中に入った男は、安楽椅子に座っている影に向かって、静かに微笑みながら話しかけます。
「来たぞ、魔王」
影は。全身を黒いもやで覆われたその影は、ゆっくりと安楽椅子から立ち上がり、小さな声で言葉を返しました。
「ようやく来たか、勇者」
「セレートだ、いくつか前の魔王が残した罠があってな、待つのは大変だっただろ」
「そうでもない、とでも言えれば気が利くんだろうがな。悪いが、率直に言ってかなり待った、この後はさっさと済ませてもらうぞ」
一歩、魔王と呼ばれた影は勇者と呼ばれた男に近寄ります。
勇者は少し苦笑いを浮かべて、杖を顔の目の前へ。広い部屋の、少し狭い距離。二人は静かに睨み合います。
「ああ、さっさと済ませよう。なにをするべきかは、魔王のあんたならわかってると思うんだけど」
「……はぁ。なら、なんだ。言ってみろ……勇者らしく、英雄らしく」
「魔王──あんたを、今から救う」
勇者が、はっきりと言い切りました。真剣な目で、鋭い目で。強く、強く、足を踏み締めて。
その言葉に、魔王は。
「違うだろ」
そうやって、はっきりと否定しました。真剣な顔を、疲れたような顔を向けて。それでも強く、強い言葉で。
「お前が救うべきは、俺じゃないだろ」
そんなふうに、続けます。
「俺だけを救ったところで、何が起こる? 勇者なら、世界を救うべきだろう」
「救うよ、絶対にな。そのために今、手が届く範囲のことをするだけだ」
勇者は、影に対してしっかりと向き合いながら、そんなことを言いました。
影はその言葉に対して、一度静かに頷いたあと──少し、可笑しそうに笑いました。
「ああ、ああ。そうだな、そうだ、今はまだ届かないから、届くところからどうにかする。いいな、そういう考えなら──」
言いながら、影はゆっくりと何かを取り出します。それは、刃がむき出しのナイフでした。何かしら、特徴的な装飾品が施されたナイフです。
「俺は、勇者に。女神に、勝てた」
そう、言い残して。男はその手に握ったナイフを、勢いよく振り下ろしました。自分の腹部に向かって。
「なっ──あんた、まさか」
「お前の想像力が豊かなら、そう。その想像通りだろうな、きっと」
刺し貫かれた腹部から、ぼとり、ぼとりと黒い液体がこぼれます。苦痛の少し混ざった、それでも笑みを浮かべながら、魔王は正面の勇者に言いました。
「やれ、後は……お前の力と、決意しだいだ」
「……救いたかったんだけどな、出来れば。時間かかってでも」
「……いいな、悔しそうな表情。その表情だけで……そうだな、ざまあみろの気持ちがいくつか解消された」
「……誰に対してのだよ」
決まってるだろ、と。影は一瞬だけ言葉をためて。
「世界に向けてだよ」
そう、最後に言いました。勇者は、持ってた杖をゆっくりと影に向けて、そして──。
◇
一人で住むには広すぎて、二人で住むにもちょっと広い、そんな家の一室。少し古い椅子に腰かけながら、私、ハレイナは静かに甘いものを頬張っていました。
今食べいているのは、そこそこのサイズの紙のカップに、色とりどりのチョコレート菓子が散りばめられたものです。
視覚的にも楽しめるというのは、甘いものを食べる際に重要な部分のひとつです。楽しく食べるなら、そういう要素は一つでも多い方が得ですから。
──それと、してることはもう一つ。
このチョコレート菓子を買いに行った国で売られていた号外、それをぼんやりと眺めています。
勇者による、魔王討伐の速報。
頭の中で、思い浮かべます。人を助けるために、勇者になることを選んだ男の姿を。彼が魔王を倒したというのなら、また次の魔王が現れるまでは世界が平和になるんでしょうか。
──と、そこで、家の中に本来聞こえるはずのない音が入ってきました。
ドアをノックする、そんな音。普通の人はこの家に辿り着くことは無いのだと、お父さんが言っていました。
さて、考えます。出るべきか出ないべきか、普通に考えるなら少し危険な気もします。
でも、私には一つ。ここに来る理由があって、ここに来る事ができる人に覚えがあります。
「……入っていいですよ」
迷って、迷って。結果として、私はドアを開けることにしました。その先にいたのは、白いローブを着た、杖を持った人物……知っている人で、予想通りの人物です。
「やはり、セレートさんでしたか。女性の家にいきなり来るのは、あまりいいことでは無いと思いますが」
「容赦してくれ……ちょっとした、依頼があるんだ」
真剣な声で、セレートさんは私に言います。
少し、言葉を考えて、
「勇者様の依頼であれば……ただし、看取り手としての私ではなく、私としての私で受けることになりますが」
そう返します。
「それでいいよ。で、頼みたいことなんだけど」
彼は、しっかりと頷いて。
「魔王を、看取ってあげてほしい」
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