ハレイナとささやかな死の話
足音が、屋敷の中に響きます。
床も、壁も、長い間毒に浸されていたような腐食具合の廊下を、ゆっくりと歩く音。
足音の主は、私です。でこぼこの床に足を踏み外さないように、しっかりと気をつけながら歩いています。
目指す場所は屋敷の中のとある一室。見れば、直ぐにわかると言われましたが……扉が綺麗に吹き飛んでいる場所が、一つ。恐らくここにいるのでしょう。
「こんばんは、話せますか?」
「……勇者に、誰も近づけないようにと伝えたはずだが」
安楽椅子に座る男に、私は普段通りに話しかけます。返ってきたのは、少し怒ったような言葉と向けられた視線。
体の見えている部分のほとんどが、酷い火傷跡になっている男性です。左腕がありません、断面からは黒い液体がぽた、ぽたと零れています。腹部にはナイフが突き刺さっていて、まともに話していることに違和感を覚えるほどです。
「その勇者から、頼まれまして」
「……何をだよ、介錯か?」
「似たようなものです」
近くにあった別の椅子を持ってきて、私は彼の前に座ります。そして、胸に手を当てながら一言。
「改めて、ご挨拶を。私はハレイナと言います。あなたの死を、看取りに来ました」
私が、そんなふうに言って。
目の前の彼は、一度心底意味がわからなさそうに目を細めます。やがて、一通り可能性を潰していたような間を置いて、
「看取る……ああ、なるほど。看取り手ってやつか……単なる噂の話しじゃ、なかったんだな」
そんな結論を、男は出しました。
「さあ、どうでしょう」
だから、私はそれに対してそう答えます。
「……はぁ?」
「私が、その看取り手であるかどうかは、わかりませんよ? 私はただ、勇者様に頼まれてあなたを看取りに着た一人の少女です」
「……いや、意味がよく分からない。勇者がわざわざ頼むなら、常人である可能性は間違いなくないだろう。別に、それを今隠す必要があるのか?」
その質問に対して、私はただ笑顔を浮かべたまま返答を拒否します。
私が見せるその様子に、彼は一旦諦めたようで。残っている方の腕をヒラヒラと振ったあと、深く深くため息をついて言いました。
勇者と魔王の関係性について、あるいは魔王とは何者なのかについて、勇者からどこまで聞かされているのか、と。
それに対して、私は首を横に振って答えます。何も聞かされていません、と。
「倒しても復活する魔王という存在について、気にならないかといえば嘘になります。あなたが、もし今良ければで大丈夫ですが……詳しく、聞かせていただいてもいいですか?」
「人の死を看取る、なんて言う割には……随分、無理をさせようとするんだな。勇者からでも聞けるだろうに、この状態の相手に長々と喋れと言いたいのか?」
「喋るのがまずいのであれば、そういうものを軽減する為の魔法があります。無理をさせるのは分かっていますが……」
あなたが語る、その話を聞きたいと思っています。
私は、そんなことを伝えます。続けて、あなたとお話できるのはこれが最後ですから、とも。
男は、その言葉をゆっくりと咀嚼するように一度静かになりました。そして、私の方を見ながら言います。
「……随分、こういうことに慣れてるな。やっぱり、普通の人じゃないだろう」
「普通の人ですよ、それだけは間違いなく、しっかりと言い切れます」
そんな、短いやり取りを交わして。一瞬だけ、静寂が場を包みます。些細な体重のかけ方の変化で、座っている椅子がきぃと音を立てたのが分かるくらいの静けさの中。
「一般的に魔王と呼ばれているやつの正体は、勝手に利用されている死体だ」
そう、男は言いました。
予想外の言葉に、私は少し首を捻ります。魔王の正体が死体であるということは、今、私の目の前で喋っている彼も死体であるということで。
「魔王は、死者を蘇らせることが出来る、と?」
「身体にぐずぐずの泥を詰めて、常に濃い魔力に晒されてないと崩れるような状態を蘇ってると言えるなら、な」
意識とかは完全に再現されているから、そこは認めざるを得ないが。
少し、吐き捨てるような感じで言った彼に、私は続けて質問をぶつけます。
「死体を魔王に仕立てあげて、それで世界を襲っていた……たとえ負けても、自分の計画が狂わないように。そういうことですか?」
「そういうことだろうな、そういうことが出来るなら、一番賢いやり方だ」
「では、聞きたいことが二つ」
彼がその質問を聞いてくれることを確認して、私は一度ゆっくりと深呼吸をします。
看取り手としてではなく、ハレイナとして深く質問するのは、どうしても緊張するもので。
「一つ、それなら本当の魔王はどこにいて……どうして見つかってないのか」
そして、もう一つ。あなたは何故こうして自由に話せているのか。
そんなことを、私は彼に問いかけました。彼は少し、ほんの少しだけ笑って。今から話す出来事が、彼にとって多少愉快なことであることを私は察します。
「魔王がどこにいるか、か。そうだな、俺もあくまで感覚だが」
と、やけにもったいぶったような前置きをして。
「この世界の、外側だ。女神しか干渉できないような、そんなところにあいつはいて、呪いを使ってこの世界に触れている」
「外側、ですか」
「そう、外側。スケールが大きすぎて理解できないか?」
とりあえず首を横に振って、私は少し思考を深めます。
「理解は、出来ました。正直なところ実感はありませんが……そういうものなんですね」
「納得が早くて何よりだ、話はスムーズな方がいい」
これで、一つ目の疑問が解けました。
この世界に、私達の目が届く場所にはそもそも存在しない。これまでの、長い長い時の中。何回も勇者や魔王が生まれてもその根本的な解決が行われなかった理由としては、なるほど納得のいく話です。
そして、それならもう一つ。大きくなる疑問があります。
「では、なぜあなたはそれを話せているのでしょう。今までの魔王もそのことを話せていたのなら、とうの昔に周知のものになっているはずです」
魔王の正体、本体に支配されている死体である、ということ。
それならば、こんな真実に迫る情報を、こうも自由に話すことが許されているものでしょうか。
あくまで、ただの推測ですが。
そこはあえて、格好をつけて聞いてみます。彼はよく分かったなと言いたそうな表情で、静かに口を開きました。
「少なくとも、俺は記憶がある状態で蘇った。そういう制限があるんだろうな、だから恐らく、魔王は人に恨みを持った死体から対象を選ぶ」
「あなたは、そうではなかったと?」
私の言葉に、首を振って返事がされます。ぐじり、と音を立てて、彼の首元から泥が零れます。
「魔王のことも不快だった。そして、魔王の蘇生──呪いと、ほぼ同質のそれに抵抗できる技術と知識があった」
だからこうした情報も、魔王がどこにいるのかも、勇者に教えることが出来たってわけだ。
少し気だるげに、しかしどこかしてやったりといった様子で語る彼を見て、私は一つお願いをします。
「よければ、教えてくれませんか? あなたが、今までどんな風に生きてきたのかを」
「……そういうことを語るのは、得意じゃないんだが」
「でも、勇者には話したでしょう」
にっこりと、微笑みを携えて。私は、彼に問いかけます。少し驚いたような顔で、なんでわかったと聞かれたので、私は一言。
「経験と、勘です」
そう答えました。
呆れたような表情で、やっぱり普通の人間じゃないだろうと言ってきた彼に、いいえと否定を返しながら。
「……なら、少し語らせてもらう」
そう、呟いた彼の言葉の続きを、私はゆっくりと聞き始めます。
◇
今から、百を超えるくらいの昔。私のお父さん、師匠のその更に二つ前が看取り手を担当していたくらいの時代に、彼は生きていたらしいのです。
それは、聞くところによれば。前回の魔王の再臨が起こっていた頃だったらしく。
勇者が当時の魔王を倒すまでの間。魔物が暴れ、人々の心に重たい恐怖が積もっていた時代。彼は、自分の村を襲った魔物から逃げるように旅人になったそうなのです。
「今の、ほとんど魔物が攻め込んでいない状況は、俺が特殊だったからだ。それでも出るところには被害が出てるが」
「ええ……知ってます。実際に、そうした魔物と戦って……死んだ人も、見送りましたから」
「そうか、じゃあその被害が、もっと色んな所に広がってるものだと思えばいい。その時の魔王の再臨は、魔王が明確に敵意を向けていたからな」
そんなことを、遠くを見るように話しながら、彼は言葉を続けます。
旅人になったとはいっても、あくまで逃げ出しただけの人間が、一人で生きていけるような力を持っているわけがないということ。
一人でいたのも幸いして魔物に見つかることは無かったが、食料を採れないことによる空腹に追い詰められていたこと。
そんな所を、とある女性に救われたこと。
「孤独な旅は、怖いものだ」
ゆっくりと目を閉じて、彼は話を続けます。
「段々と、世界が閉じていくような感覚。その中で……彼女の差しのべてくれた手は、柔らかな光のようだった」
とん、とんと指で椅子を叩きながら、彼は懐かしむように顔を上げました。
一瞬微笑んで、少しだけ、泣きそうな顔をして。そうして、また最初の無表情に戻って話を続けます。
自分に手を差し伸べてくれた、救ってくれた彼女に対して。なにか、しっかりとした恩返しを。今度は彼女を救うための何かをしてあげたいと、そう思ったこと。
今、この世界で。最も役に立つ恩返しは、彼女を救えるものは何か。そう考えた時に、思いついたものは一つだったこと。
「魔王が、世界を蝕んでいく時代で。人のために何かをしたいなら、真っ先に閃くのは力だ」
「魔物を追い返す力、それが……呪いだった、そういうことでしょうか」
「そういうことだ、適性があった。強い、とても強い呪いの適性。他の魔法はてんでダメだったが……それだけは、完璧に出来た」
そう、語る表情は、どこか自虐的で。
それだけで、何となくわかってしまうことがあります。色んな人と会った経験から、何となく、何が起こったのかを予測できてしまって。
「……受け入れられなかったんですね……どちらに?」
少し、座っている膝の上で握る手に籠る力が強くなります。
彼は一瞬だけ、ほんの少し表情を変えて。そして、ゆっくりと言葉を続けました。
「……村の方だ。呪いを扱うものは、それだけで不運を引き寄せる害なのだと。昔から、村の中で伝えられていたらしい」
「……村の風習ですか」
反復する私の言葉に、なにか気づいた様子で一言、村の風習に嫌な思い出でもあるのかと聞かれます。
私は少しだけ語る言葉に悩んだ後、素直に首を縦に振って答えました。
「嫌なものだな、昔からの決まり事っていうのは」
「ええ、本当に……それが、嫌なことであると気づけない場合だってありますから」
「──ああ、なるほど。そっちのは、そういう類のものだったか……俺のところは、分かりやすかったからな」
もっと、明確に。直接的な悪意を向けられていた。
彼は静かに、そして深くため息をつきました。残っている方の手に、ぴしりとヒビが入って、表情と違って手に力が籠ってることがわかります。
「……外から身を守れても、中の相手に攻撃されたんじゃ意味が無いだろ。だから、呪いに関する訓練はそこで止めることにしたんだ」
ぽつり、ぽつりと彼は言葉を零していきます。
訓練をそこでやめれば、そこでやめたことを伝えれば向けられる悪意がこれ以上増えることは無いだろう、と考えたこと。
自分を救ってくれた彼女も、みんなから排斥されてまで強くなるということは望んでいなかったこと。そのことを、傍に付き添いながら伝えてくれたこと。
「守るために強くなる、みたいな恥ずかしいことを最初に伝えたからか、彼女はずっとそばで信じてくれた……どこまでも、俺の事を心配してくれていた」
「……お互い、強く信頼しあっていたんですね」
迷いながら、返す。
このお話は、過去のお話で。結末は、彼が人に恨みを持つようなもので確定していて。
なら、それなら。このお話が、どのように結末を迎えるのか。この二人が、どんな風に引き裂かれるのか……何となく、予想ができてしまいます。
その予想ができたことが伝わったのでしょう。彼は、辛そうに笑いながら口を開きます。
「理解、出来てなかったんだ。村の風習というものが、半ば信仰に近いものになるという事実も。それを更に煽る、魔王の再臨に対する人間の不安も」
震える声を、私は聞きます。
何か口を挟むでもなく、じっと彼を見つめたまま。
「……どんな結論でそうなったのか、正確には分からない。分からないまま、彼女は殺された」
思い出したくないものを無理矢理思い出すように、固く目を閉じて彼は語ります。
鮮明に、その光景が目に焼き付いて消えなかったことがはっきりと分かるくらいに。その色を、赤を。匂いを、音を、つらつらと紡ぎながら、彼は一度口を閉じました。
「どんな結論になったのかだとか、そんなことはどうでもよかった。気持ち悪いくらい冷めた頭の中で、とりあえず村から誰も出られないようにした」
泥を吐き出すように、所々でつまりながら、自分の行ったことを語ります。
そこから先は、復讐の話。村の人達がどのように死んだのかを語らなかったのは、私に対する配慮か、自分に対する防衛でしょうか。
「最後は、彼女の死体の上で終わらせた。自分の首を切ってな」
これで、俺の話は終わりだ。
そう言って言葉を切った彼に対して、私は感謝の言葉と共に深々と頭を下げます。
顔をあげれば、彼がこちらを見ていました。
「……魔王になる前から、村一つ滅ぼした極悪人だ。もう少し嫌な目を向けるもんだと思ったが」
「私は、あなたを看取りに来ただけですから。善悪について語る気は無いので」
少しの間、静寂が場を包みました。後ろに体重をかけたのか、彼の座っている安楽椅子がぎぃと古い音を立てます。その音が合図だったかのように、再び話が始まりました。
「復讐を終えた、彼女と同じ場所で死ねた。俺にとっては、それで満足に終われたはずだった」
「……ああ、なるほど」
その言葉で、納得がいきます。
魔王のことも不快だった理由、元いた村を襲われたというだけだと思っていましたが。
「そのお相手と同じ場所にあったあなたの死体が、今こうして動かされてる」
言葉に返ってくるのは、力強い頷き。
「一緒にいれたはずだったのに、魔王にこうされたせいで、また彼女と引き剥がされた」
だから、そう一言置いて。彼は楽しそうに、しかし少し無理をするような笑い声を上げます。
「そんな魔王に、俺にしかできない復讐をしてやったのさ。人間が嫌いでも、個人の話なら魔王の方がもっと不快で嫌いだったからな!」
心の底から、絞り出すような叫び声。
言い終えて、彼はゆっくりと呼吸をします。
「……勇者に会った時は、心が揺れたな。魔王に復讐するって目的に、もう一度死体として彼女に寄り添う選択肢を用意された」
「……今のままだと、残らないんですか? 死体」
思わず、声を出してしまいました。言ってから、確かにそうである可能性は高いと納得します。
魔王によって泥を詰め込まれた、無理矢理の動く死体。ぼろぼろに崩れて、消えてしまってもおかしくはありません。
「残らない」
小さな、先程までの小ささとは違う、弱々しい声。俯いて、表情は伺えません。それでも、今の感情は何となく分かります。
「……普通に死んだとして、いつまでも形として残らないのは知ってる。でも、俺はそれとも違う」
ぐるぐると、言葉を回す様子を、私は静かに眺めます。
「土に還れば、どこかに巡る。世界は、そういう風に出来ている。俺はその流れにいかない、そのまま消えて無かったことになる、巡らない命だ」
怖い、と。
静かに零したその言葉には、とても強い感情が乗っていて。
「怖い、消えるのが怖い。考えたこともなかった……何も残らないのが、俺は──」
「──何も残らない、なんてことはありませんよ」
私は、口を開きます。視線がこちらに向くのがわかりました。
私は座っていた椅子から立ち上がって、手を胸の近くに持っていきます。一度深呼吸、そして言葉を。
「……私には、あなたの体を残す方法は分かりません。あなたの死体が、お相手と寄り添う方法も、分かりません」
言葉に悩みながら、言葉を選びながら。私は、心の思うままに言葉を紡ぎます。
「でも、あなたの全てが消えて何も残らない、なんてことはありません」
「……なんでそんなことを」
「私が、私と勇者があなたを覚えているからです」
ハッキリと、目を見ながら。私は強く、語りかけます。
「少なくとも二人、あなたのことを覚えています、絶対に忘れずに、覚えています」
「……信じろとでも、言いたいのか?」
「いいえ、私も勇者も……ただあなたのためではなく、自分のために忘れません」
一歩、近寄って。彼の手を、崩さないように優しく握ります。
「あなたのいる景色を忘れません、あなたの語ってくれた景色を忘れません。私は……色んな景色が見たいから、今こうして生きてるんです」
語ります、語ります。普段しか言えない、看取り手である私には言えない、私の思いを。
忘れません。忘れるわけも、忘れたくもありません。色んな景色を見せることも、色んな景色を見ることも。全部、私がこうして生きている理由なんですから。
「……だめだ、言葉の意味を理解しようとしたが、なんにもわからん」
やがて、全て放り投げるみたいに、彼がそんなことを言いました。
「……覚えててくれるのか、二人」
続けて、そう零します。
私は頷きで応えて、
「看取り手と、勇者……いや、確か……ハレイナとセレートだったか」
ぼとり、と彼の右足が落ちました。ちぎれた所からは、ゆっくりと泥が垂れていきます。体の限界を告げる合図なのでしょう、そんな中で、
「感謝する」
その一言だけが、静寂の屋敷に小さく響きました。
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