看取り手ハレイナの初仕事

 上も下も、どこまで見渡しても真っ白が続く世界の中に、一組の男女がいました。


 一人は白い髭を生やした、鋭い目つきの年老いた男性。驚いた様子で辺りを見渡していることから、この真っ白の世界は初めてであることが分かります。


 もう一人は、小さな帽子を被った少女。明るい銀色のツインテール。立ち振る舞いはどこか儚げで、この現実感のない空間の中で、一際神秘的な雰囲気を男に伝えています。真っ白い周りの空間とは対象的な、吸い込まれそうなほど深く、黒い瞳。その瞳と同じ色のロングコートとブーツが、彼女の存在を男にとって確かなものにしていました。


「まさか、看取り手なんてものが本当に存在するとはなぁ……」


 少ししわがれた声で、男は感慨深そうに呟きました。少女は少しの微笑みを携えながら、男の話を静かに聞いています。


「それで、見たいものをみせてくれる、だったかな? ……わしもだいぶ生きてたからなぁ、見たいと思った景色は、もうだいたい見てしまったよ」


 それに一番見たいと思うものは、自身の手で作ったものだから。

 そういって手を振る老人の掌には硬く盛り上がったタコが出来ていました。この白い世界に呼び出す前の家の様子から、男は鍛冶師だと少女は推測します。


「それでは、お話でもしましょうか」


 静かに佇む老人に向けて、ハレイナは優しい口調で提案をします。

 老人は少し悩んだ後に、それなら折角だからと一つ質問をぶつけました。


「看取り手の噂は、それこそ子供の頃から聞いていた。君はまだ若いように見えるが……一体どれくらいの間看取り手をしているんだ?」


 それを聞いたハレイナは、少し考えるような素振りを見せます。


「……今が十四で、なったのが十一くらいの頃でしょうか。およそ三年くらいですね」


 見た目通り、まだ若いですよ。

 少女がそう答えると、男はほぅと小さく驚いたような声を漏らします。


「三年、三年か……つまり、看取り手という仕事は誰かずっと一人が受け持ち続けるものでは無いのだね?」

「はい、先代やその前がいて……今は、私が看取り手をしています」

「まるで死神のような噂話だったものだから、それこそ神のような誰か個人がやってるものかと思っていたよ」

「私も、私より前の看取り手も、普通の人間ですから」


 こうして受け継いでいるんですよ、と。話を聞いていた老人が、受け継ぐという単語に反応を示しました。

 そして、少し言うか悩んだ様子を見せながら、


「……君の先代の看取り手は、まだご健在かい?」

「……いいえ、私の先代の――お父さんは、私が看取り手になった時に亡くなりました」

「そう、か……最後は、どのように?」

「私の……看取り手としての初仕事を見届けて、そのまま」


 そうか、とゆっくりと噛み締めるように言いながら、老人は一つ息をつきます。そして、わしにも一人弟子がいてな、と話を切り出し始めます。


「まだ若いが、いい腕の持ち主だ。……あいつの初仕事を見届けたら、独り立ちさせるつもりだった」


 そして結局、それを見届ける前にこうして死んでしまうようだがな。少し悲しそうな声音で、老人は静かに零します。


「なぁ、看取り手さん。良ければ、君の初仕事について……聞かせてもらってもいいかな?」


 その言葉に、ハレイナは少し返事をつまらせました。一瞬思考をめぐらせて、


「ええ、分かりました」


 ――少し、昔を懐かしむように。少女はゆっくりと話を始めました。



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 二人で住んでもまだちょっと広い家、その一室で、先代の看取り手――私のお父さんは眠っていました。


 窓から直接日が差し込む位置だったので、少し寝苦しそうにしてましたが、こうやって暖かな日差しに包まれて起きるのがとても好きだったみたいです。


「お父さん、今日は体調大丈夫そう?」


 そんなふうに毎日起こしてたのを、私は今でも覚えています。ええ、この時はまだ今のような喋り方じゃありませんでした。

 そして、お父さんは毎回同じように返事をするんです、


「ええ、ありがとうハレイナ、今日の朝ご飯はなんでしょうか」


 こんな感じの返事を。

 ……お父さんは、ここから更に一年くらい前――私が十歳くらいの頃に病気にかかってしまって、それからずっとベッドの上で過ごしてました。


 少し寂しかったですが、その時にはもうお父さんの……先代看取り手の仕事を見せてもらっていましたから。死ぬということについて、きっと同年代の子より覚悟はあったと思います。


 でも、それがどういうものであるかなんて、自分の周りで起こらないと正しく理解するのは難しいんです。漠然とした不安を、まだ大丈夫と誤魔化して――その日、お父さんは私のことを呼び出しました。


「ハレイナ、お話があります」

「なあに? お父さん」


 お話なんて言われて、私は少し緊張していたのを覚えています。それで、お父さんは次に言いました。


 あなたはもう立派になりました。看取り手としての役割、これからはあなたに託そうと思います。と、そんな感じのことを。


 褒められたことが嬉しくて、思わずはしゃぎそうになった私に、お父さんは次の言葉を続けました。


「ではハレイナ、あなたの、看取り手としての初仕事です」


 私を看取ってください、って。

 静かに、冷静な声で言われたものですから。一瞬言葉の意味がわからなくて困惑してしまいました。そんな私の様子を知ってか知らずか、お父さんは淡々と言葉を紡いでいきました。


「水晶玉が教えてくれました、私の命は今日で尽きると」


 だから、それを看取るのがあなたの最初の仕事です。

 なんて、ただ聞いても受け入れられるわけないじゃないですか。頭の中が真っ白になって、なんでって聞きながら縋りついていたと思います。そんな私の頭を、お父さんは優しく撫でて、


「私の最初の仕事もそうでした、これは、必ず行わなければならない事なんです」


 って、ゆっくりとそう告げました。

 ……とても悲しかったけど、私は看取り手として、お父さんと向き合うことに決めました。


「――私は、ハレイナ。看取り手をしているものです……あなたの死を、看取らせてもらいます」


 私が最初にあなたに言ったのと同じような言葉を、私はお父さんに向かって言いました。お父さんは何も言わずに、静かに私のことを見つめていたと思います。


「……死ぬ前に、したい話はありますか? みたい景色はありますか?」


 私の、看取り手としての言葉に、お父さんは少し満足気に深く頷きました。そのまま喋ろうとして、何度か咳き込んでしまったんです。そして、私を見つめて……先代として、こんなアドバイスをしました。


「ハレイナ、あなたが作り出した魔法、今が使う時ですよ」


 だいたい、そんな感じのことを。

 その魔法というのが、今あなたにも使ってる、魔法で作った世界に精神だけを移動させるもので……私はほんの少しだけ、使うのを躊躇いました。


 この魔法、誰に対しても使える訳では無いんです。対象に出来るのは、もう自然に助かることがないくらい弱った相手だけ。

 ……確かめたくなかったんです、お父さんがもう助からないってことを。でも、促されたからそれを使って……魔法は無事に発動しました。


「ハレイナ、泣かないでください。あなたの魔法は、看取り手をする上で立派に役立つはずですから」


 そうお父さんに言われても、私は泣くのを止められませんでした。消え入りそうな声で、お父さんに色んなことを伝えたのを覚えています。


 お父さんが死ぬのが怖くて、悲しくて……そう思うことが、看取り手として失格だと思う。そんな事を話しました。

 私の言葉を、お父さん静かに、真剣に聞いていました。そして、ゆっくりと口を開いて言ったんです。


「……ハレイナ、あなたが死を悲しいものだと思うなら……それでもいいんです」


 伝え方に迷いながら、言葉を選びながら、お父さんは一人の相手として、私と向き合って続けました。


「私たちは、ただ役割として死を看取ってはいけません。それは、神のような存在の行いですから」


 自分なりの価値観を持って、信じるものと看取り手の役割が同じでなければきっと意味はありません。

 お父さんが告げたその言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。


「だから、ハレイナ。もしあなたが、目の前の相手を救わないのはおかしいと思ったりするのなら……私は、あなたが看取り手にならなくてもいいと思ってるんです」


 それはきっと、先代の看取り手としてじゃなくて……私の、お父さんとしての言葉だったと思います。

 私は何秒か、あるいは何分か考えて……そして、答えを告げました。


「……ありがとう、ございます。大丈夫、私は――私が正しいと思うことのために、看取り手をしますから」


 涙をふいて、しっかり向き合った私に、お父さんはこう言いました。


「最後に、一つ聞いてもいいですか?」


 私がこくんと頷くと、彼は少し不安そうにこう言ったんです。


「僕は、娘にとっていい父親でいられただろうか……彼女に、できる限りのことをしてあげられただろうか……」


 口調は崩れていました、その瞬間、私は看取り手であることを真の意味で託されたのだと、そう理解しました。

 だから、私は気持ちを抑えて……看取り手として、言いました。


「ええ、きっと」


 ――――――――――――――――――――――――――――――



「――以上が、私の初仕事です」


 話を終えて、涙を堪えて、ハレイナは微笑みながら言いました。老人は小さく息を吐きながら、どこか遠くを見るように言います。


「……いいお父さんだ」

「はい、私の自慢の父です」

「わしは、そんなふうに立派には出来なかったよ……弟子に、最後の言葉を残すことすら出来なかった」


 しんみりとした様子で、老人は虚空に向けて言いました。


「私には、何が最良かはわかりませんが」


 その肩を、ハレイナがぽんと叩きます。


「倒れながら、あなたは大事そうに剣を握りしめていました。あれはお弟子さんに何かを伝えるためのものですよね?」


 なら、あなたは立派に師匠としての役割を果たそうとしていると思いますよ。

 その言葉に、老人が驚いたように目を見開きます。


「……あの剣は、わしが最初に作った剣だ。わしがそばにいれなくても、せめて形に残るものを……なにか、あいつの糧になるものを用意できればと思ってな」


 しかし、なぜ意味があるものだと?

 老人が聞いて、ハレイナは優しい声で答えます。


「なんとなく。私でもなにか意図があると気付いたんですから、多分お弟子さんにも伝わりますよ」


 そして、ハレイナは笑いました。


「きっと、お互い不安なんですよ。お父さんが、父として立派だったか不安に思っていたように」


 看取り手として、娘として。ハレイナは優しく、真剣に向き合って、告げるのでした。


「だから、信じてあげてください。あなたの思いを受け取って、自分なりに組み込むことを。看取り手では継げない、繋げられない思い……そうやって、きっとお弟子さんが受け取ってくれますから」


 言葉を聞いた老人が静かに頷いて。

 白い世界が、ゆっくりと解けていきました。

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