看取り手ハレイナとささやかな死の話

響華

佇む少女は死神のように

 雨が降る夜の街の路地を、一人の男が歩いていました。

 右手で頭を軽く押さえ、タンタン、タンと楽器のように響く音に包まれながら、ふらつく足で道に沿って進んでいます。


 道の途中に捨てられ、雨でずぶ濡れの号外には「ついに現れた勇者の活躍」「前魔王と比べた今魔王の動向」などの見出しが大々的に載せられています。男はそれを一瞥すると、小さく溜息をついて通り過ぎました。


 なにか目的がある様子でもなく、ただ彷徨うように歩き続ける男は、程なくして行き止まりにぶつかりました。小さくため息をついて、男は今来た道に向き直り――、


 そこに、少女はいました。


「こんばんは」


 驚く男に対して、少女は微笑みを添えながらそう言いました。


 夜に混ざりそうなほど、あるいは吸い込まれそうなほど深く、黒い瞳。そして、その瞳の色と同じように黒いロングコートとブーツを着ています。雨に濡れているツインテールの髪はそれらの黒とは正反対と言ってもいいような明るい銀で、ただ立っているだけでも神秘的な、あるいは非現実的な存在という印象を男に与えました。


「私は――」

「おっと、ちょっと待ってくれないか?」


 挨拶の次をしゃべろうとした少女の言葉を、男の一言が止めました。


「なんでしょう?」

「あー、いつからそこにいたのかは分からないが、こんな路地裏で突然あいさつされたらびっくりするだろ。ただまあ、こういうびっくり現象には興味があってな、ちょっと君の正体を当ててみたくて」

「ええ、構いませんよ」


 びっくりした、という割にはすぐに冷静さを取り戻した男の問いに、少女は小さく頷きます。男は数秒考えるような動作をした後、どこか悟ったような笑みを浮かべて言いました。


「わかった、さては死神だな? 俺をお迎えに来てくれたんだろ」


 男は、頭から血を流していました。押さえていた手は、雨で薄く流れている頭とは違い鮮やかな赤に塗れていて、それが新しく、ふさがっていない怪我だということがわかります。


「死神なんてのが本当にいるなんてな、女神の実在も勇者が現れるまで疑っていたんだが」

「期待されているところ申し訳ないのですが……私は、そんなに大それたものではないですよ」

「なんだ、じゃああれか? 俺を追って殺しに来たとか」


 その返しに、少女は静かに首を横に振りました。そして、ゆっくりと口を開いて言うのです。


「いいえ……私はハレイナ。看取り手をしているものです。 ――あなたの死を、看取りに来ました」




 ――――――――――――――――――――――――――――――




「看取り手ってのは……噂で聞いたことがある。まさか本当にいるとは思ってなかったし、少女だとは思わなかったが……あんた、何歳だ?」

「十四歳です、見た目通り」


 壁にもたれかかるように座って、雨の降る空を見上げながら男は小さく呟きました。ハレイナと名乗った少女は立ったまま、雨に濡れながら男の話を聞いています。


「なぁ、どんな噂か当人のあんたは聞いたことがあるか?」

「……あまり話しすぎると、お体に響きますよ?」

「はは……どうもお喋りなもんでな」


 一度間を開けて、少し掠れた声で男は語ります。

 死にかけている人の前に現れて、相手が息を引き取るまでそばで見守ってくれる何かがいる、という噂話。


「死神の使いだとか、その何か自身が殺しているとか……噂のオチはいろいろだけどな……」


 途中何度か言葉につまりながら言い終えた男に、ハレイナは笑みを浮かべながら応じます。


「実際は、死神の使いでも何でもない普通の人間ですけどね」

「こんなことやってるやつが普通の人間なもんかよ、まだ死神の使いっていわれた方が信じられる……なあ、あんたは仕事で人を看取ってるのか?」

「……ええ、まあ、そんな感じです。詳しく説明するには、少々お時間をいただきますが……」

「あー……いい。別にそういう事情に興味があるわけでもないからな。それより――」


 言葉を切って、一度大きく息を吐きながら男はハレイナの方を見ました。そして小さく笑みを浮かべると、次の言葉を続けます。


「その仕事、じゃなくて役割か。結構危険じゃないか?」

「……というと?」


 少女は少し視線を落として、そして見ました。

 男は腰の後ろに手を入れ、ナイフを引き抜いてハレイナへ向けています。


「こういうことさ。看取ろうとした相手が……そう、悪人だったらどうするのかってな。こうなってるって事は、相手が悪人かを見分けることはできないんじゃないか?」


 にやりと笑う男に対して、少女は表情を変えずに答えます。


「私を刺すつもりですか?」

「そりゃあ当然――そんなつもりはないさ。あんたを刺しても……俺が助かるわけじゃない。それに、綺麗な女性に看取られて死ねるなら……男冥利に尽きるってもんだろ?」


 そもそも、と弱々しく言葉を落としたと同時、男の手からナイフが滑りました。握っていたはずの手から落ちたナイフはカランと音を立てて、できはじめた水たまりに沈みます。


「刺す力、もう残ってなさそうだ。……なぁ、俺って、後どれくらい生きてられる……?」


 笑う表情は変えず、少し焦点の合わない目で、男は少女を見つめます。

 笑う表情を引き締め、力強く射貫くような目で、少女は男を見つめました。


「死ぬ前に、見たい物はありますか? 死ぬ前に、したい話はありますか?」

「ああ……それなりに、な。あんた……そういう願い、叶えてくれるのか?」


 男が、自嘲気味にそう言って。


「ええ」


 一瞬魔法の詠唱が聞こえて、ハレイナは力強く――そして、不思議と優しさを感じる声で言いました。


「私は、看取り手ですから」


 男の視界が一瞬まぶしい光に包まれます。

 目を閉じて、ゆっくりと目を開けると、そこは先ほどまでの夜の街とは違う、真っ白い空間でした。


「――は?」


 呆然とした様子で、男は辺りを見回します。数歩その場から動いてから、座り込んでいたはずの自分が立って歩けるようになっていることに気がつきました。


「……これが、死後の世界ってやつか……?」

「いいえ、ここは……私の世界です」


 後ろからの声に、男はバッと振り返ります。声の主であるハレイナは、先ほどと変わらず男の方を見つめながら、優しい声で説明を始めます。


 今いるこの場所は、彼女が魔法で作った世界であるということ。精神だけがここに来ているため、怪我とは関係なく走ったり、物を見たりできるということ。体の方が死を迎えれば、そこでこの世界も死を迎えるということ。


「今は白一色ですが、景色は自由に変えられます。どうしますか?」

「……すごいな。こんな魔法が使えるなら、俺のことを回復魔法で治療できたんじゃないか?」


 割り込むような男の質問に、ハレイナはこくりとうなずき、そして静かにいいました。


「ですが、それはできません。ここにいる私は……本当はいないはずの、看取り手としての私ですから」

「……仕事への誇りってやつか……なあ、景色は変えなくて良いよ。代わりに、俺の話を聞いてくれ」


 そう言いながら、男はその場に座り込みます。ポケットに手を入れると、煙草を一本取り出して吸い始めました。その隣に寄り添うようにハレイナも座ります。


「外じゃ、雨のせいで吸えなかったからな……いつかは、こんな風に怪我で死ぬとは思ってたさ。俺は……盗賊団の一人だからな」


 悪党だって最初にいっただろ?

 息を吐いてそう話し始めた男を、ハレイナはじっと見つめます。


「望んで盗賊になるやつなんていないだろうがな、それを許してくれない環境もある。特に……魔王の再臨が起こっている今は」


 親を亡くした子供が生きる手段なんて、真っ当なものじゃない。そんな言葉を聞きながらハレイナはそれを整理します。

 魔王の再臨、が未だ直接侵攻をしていなくとも、人はただ脅威がいるだけで崩れていくことを少女は知っていました。


「盗賊団に拾ってもらって、いろんな事をしたさ……人に言えないようなことも。義賊だったら、誇りを持って盗みができたのかもな……殺しも放火もしたりせずに」


 視線を落としながら、男は悲しそうな声で言います。

 数秒間があって、それでなと一言前置きしながら最近の話を――街に訪れた勇者の話を始めます。


「いやあ、たいした物だったなあれは。誰も大怪我させずに制圧して……流石勇者って感じだったよ、魔王が出る度に女神が選ぶんだったっけか?」


 ――勇者に影響された一般人達で出来た討伐隊には、そんな加減は一切なかったけどな。言いながら、男は頭をさすります。


「棍棒で頭をガツンとな、鍛えてない人の一撃でも、全力で頭を殴れば怪我をするし、最悪死ぬって普通は考えつかないものかねぇ……どう思う?」


 そこまで言って、煙草を投げ捨てながら男は上を見上げました。

 返事をしようとした少女に、答えはいいよと言うように軽く手を振って止めた後、男は深く溜息をついて次の言葉を発します。


「正義のためなら残酷になれるなんてかっこつけるつもりはないさ。俺達が悪だって事は自分が一番わかってる。でも――」


 目が、少女の方を見ました。


「俺が、生きようと足掻いたことは……だめなことだったのかな。どう思う? 看取り手さん」

「……あなたが生き残るためにした事の善悪は、私が判断することではありません」


 男の手を、少女の手が優しく握りしめます。


「でも、あなたが生きようとしたその意思を、私は心から尊重します」

「はは、答えになってないぜ……ああ、まあ……ありがとうな」


 男の頬を涙が伝って、それと同時、終わりを知らせるように世界がほのかに光に満たされました。

 男の側で優しく手を握る少女に、男は泣きながら、笑みを浮かべて言いました。


「なあ、看取り手さん。あんたがどういうつもりでこの仕事をしているのかわからないけど……俺は、少し救われたよ。それと……できれば、俺のことを覚えていてくれ。俺は……なんというか、俺のままでいたいから」


 男がそこで言葉を切って、看取り手の少女は今までとは少し違った優しい笑顔で言いました。


「ありがとうございます。そして――決して忘れませんよ、あなたとその意志は。意志を繋ぐ事が看取り手の……そして、私の役目ですから」




 ――――――――――――――――――――――――――――――



 晴れた朝の街の路地に、一振りのナイフが落ちていました。

 刃は昨夜の雨で濡れていて、ついた水滴が太陽の光を反射して輝いていました。


 そのそばで、男は安らかな笑みを浮かべながら死んでいました。

 白い花が一輪、旅の無事を祈るようにそっと置かれていました。

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