花畑

 草が生い茂る小高い崖の頂上に、女性の人影が一つありました。

 耳を隠すくらいの黒い髪と、顔以外の肌を徹底的に隠すような衣服。白い手袋を付けた、無表情な女性。

 彼女はうつ伏せに倒れていて、片腕を前に伸ばしたままピクリとも動いていません。呼吸の気配も感じられず、生きているのか怪しいような状態。


「こんにちは」


 その隣に、一人の少女が現れました。


 明るい周りの景色とは対象的な、暗く深い、黒色の瞳。着ているロングコートやブーツも瞳の色と同じような黒です。

 陽の光を受けて輝くツインテールは月のような明るい銀色で、彼女がまるで夜そのものかのような――そんな、神秘的な雰囲気を放っていました。


「……ええと、こんにちは? 私のお母様に用事ですか?」

「いいえ、あなたに。近くにお母さんがいるんですか?」

「……ううん、私を訪ねる人なんて珍しかったから。ねぇねぇ、あなたはどちら様?」


 倒れている女性はその姿勢のまま、口調にしてはあまり抑揚のない声で少女に問いかけました。

 少女はその場にしゃがみながら、優しげな声で答えます。


「私の名前はハレイナ、看取り手をしているものです――あなたの死を、看取りに来ました」


 へぇ、と一言、女性はぼんやりとした声を返しました。そして、顔を向けないままハレイナに、


「ねぇハレイナさん、あなたは私の死を看取ると言っていたけれど、私は死にそうに見える?」


 と、そんなことを聞きます。

 ハレイナは彼女の方を見て、数秒の間をあけてから難しそうな顔で首を横に振りました。


「……いいえ、全く」


 彼女が怪我をしているようには見えませんし。着ている衣服は他の色が目立つような白で、そこに赤の色は見つかりません。

 苦しんでいるような表情でなければ、呼吸を乱した様子もなく、一目見て彼女が死にそうであると判断する人はいないでしょう。


「ですが……生きているというふうにも、あまり」


 そして、ハレイナは考え事をするように言葉を詰まらせながら続けました。

 乱れるどころか一切感じられない呼吸に、生気の見えない顔。


「えへへ、気になりますか?」

「はい、とても。よければ、あなたの話を聞かせていただいても?」

「嫌です、と言ったら」

「仕方ないので諦めます、無理をさせてお話をさせる理由はありませんから」


 看取り手として、死を看取らせてはいただきますが。

 ハレイナがそう告げると、女性はほんの少しだけ柔らかな顔を浮かべます。そして、静かにハレイナへと話しかけました。


「ここから見えるあの花畑は、私のお気に入りでして」


 女性の発言に合わせて、ハレイナもその景色の方を見ます。崖の下に広がるのは、視界いっぱいの黄色い海。


「私が生きていた頃は、よくこのお花畑に沈んで……お母様に花冠を作ってもらったりしていました」

「……生きていた頃、ですか」

「うん。正しくいえば、私の肉体が生きていた頃、かな?」


 そういった後、女性は手袋を取ってもらうようにハレイナに頼みました。

 言われた通りに手袋を取って――見えたのは、指や手首の関節が球体になっている手。


 普通の人のものでは無いその手に、ハレイナは一瞬驚いて。そして、記憶の中にあるこの手に近いものを連想しました。

 最後にメンテナンスしてもらったのはいつだったかなぁ。そんなふうに呟く彼女の声を、ハレイナは黙って聞いています。


「私のお母様は凄腕の魔法使いで……他者の意識や、魂に干渉する魔法を得意としていたの」


 少し危ない魔法だったらしく、住んでいた国からは追い出されたみたいですけど。

 どこか懐かしむように顔を少し上にあげて、女性はハレイナに昔話を始めます。


 追い出された母親に連れられて、ここの近くに小屋を建てて過ごすことになったこと。

 体が病弱だった自分は、充分な治療を受けられない場所ではそう長く生き残れなかったこと。


 ――そして、この綺麗な景色の中で死ぬのなら、それはそれでいいと思ったこと。


「……看取り手さんは、多くの死を見てきたんですよね? だとしたら、このような考えはくだらないと思うかな」

「看取り手としては、死に方に優劣はつけません。死は、死ですから」


 そこで、ハレイナはいったん言葉を切りました。そして、柔らかい笑みを浮かべながら続けます。


「ですが、見たい景色の中で死にたいという考え方は……私個人としては好きですよ」

「……えっと、ありがとうございます。その、少し意外でした、看取り手さんはなんというか……そういう考えを持たないくらい、上の存在なのかなって……」

「いいえ、看取り手は決してただ役割として死と向き合っているわけではありません。私は、ごく普通の人間ですから」


 静かに会話を交わしながら、ハレイナは少し微笑みながら女性に向かってそう告げました。

 そして話を戻すように、


「……しかし、あなたはまだ死んでいません。それに、病弱な体とも今は無縁に見えますが」


 と問いかけました。


「……魂に干渉する魔法は、弱っている相手に特に効くってお母様は言っていたの」


 それこそ、形の近い器があれば、そちらに魂を移せるほどに。


 そう話した彼女の言葉と、先程見た球体の関節で、ハレイナは彼女に何が起こったのかを想像しました。

 そして、その想像とほとんど外れないことを女性は語ります。


 母親の顔馴染みである凄腕の人形技師に、自分の次の体を用意されていたこと。

 自分はあの景色の中で終われればそれでいいと伝えても、まるで聞いて貰えなかったこと。


 そして、その事で怒ったり喧嘩できるほどの気力も、もう自身には残っていなかったこと。


「……気がつけば、私の体はこの人形になった。目の前には成功を喜ぶお母様がいて……私、言おうとしたんだ、どうして人のまま死なせてくれなかったの……って」


 女性が、小さくため息をつくような動きをしてみせます。そして、零すように、どこか諦めたような声で言いました。


 怒れなかったんです、と。


「自分から出た自分の声を聞いて、私は本当に……心の底が冷えるような気持ちになったの。平坦、とまではいかないけれど……出た声は、鋭く、冷たい物だった」


 私が生身の身体だったときに持っていたはずの怒りは、自分で客観視できるくらい薄くなっていたの。

 そう続けた女性は、一瞬ためらうように言葉を溜めます。そして声を荒げて言葉を重ねようとしました。


 その動作が、ぴたりとそこで止まります。


「……乗せようとした感情がね? 宙ぶらりんになるんですよ。変な言葉だけど……思いに、思いが付いていかないの。ハレイナさんは、この気持ちがわかる?」

「……いいえ、申し訳ありませんが」

「いいよ……それが、きっと普通だから」


 謝るハレイナに対して、女性が話を戻そっか、と声をかけます。


「私のその言葉を聞いたお母様がどう感じたのか、私にはわからないけれど。でも、お母様はその日から目に見えて弱っていきました」

「あなたの母親は、もう?」

「はい……そして、お母様がいなくなったときも、悲しかったりさみしかったりはそれほどなくって」


 静かに、文章を読み上げるように、彼女は言葉を紡ぎます。


「お母様がいなくなっても、魂が元の身体に戻るわけではなかったけど……この身体は人形だから、私一人ではメンテナンスが出来ません」

「身体の劣化……いえ、様子から見るに、身体の崩壊でしょうか」

「はい、人形技師の作った身体は、精巧な代わりに維持にお母様の魔力が必要だったので……自分が生きている間だけで良かったのか、いずれ私に教えるつもりだったのか。それはわからないけど……」


 その言葉から、ハレイナは少しだけ悲しそうな感情を受けとりました。

 しばらくの間、静寂が場を包みます。女性が小さく、私の話しはこれで終わりです。というと、ハレイナは深々と頭を下げました。


「お話、大変ありがとうございました」

「私の方こそ。誰かに聞いてもらえるなんて思ってもいなかったから」

「……身体の方は、あとどれくらい持ちますか?」

「えっと、まだもう少しは。看取り手さんはそういうこと、あんまりわからないんだね」

「ええ。看取り手がわかるのは、もうしばらくで死んでしまうと言うことだけです。看取り手が話しかけることで、多少ずれが生まれることもありますから」


 時間がまだあるのなら、何か話したい事や聞きたいことがあればつきあいますよ。

 そうハレイナが彼女に告げて、女性はそれならと了承しました。黄色い景色を眺めながら、二人はゆっくりとお話を始めます。


 例えば彼女が国から離れてからの、世界で起こった出来事。


「魔王のことは伝わっていると思いますが……少し前に、勇者がようやく現れたみたいです」

「へぇー……ハレイナさんは、勇者様の姿を見たことはある? 絵本に出てくるような、青い鎧を着たかっこいい男の人なのかなぁ」

「ええ、とある教会で。顔は見てませんが……イメージとは、そんなに合っていませんでしたね、残念ながら」


 他には、美味しい食べ物の話。


「お母様は、あまり料理を作ってくれなかったな。代わりに、甘いお菓子をよく買ってきてくれて……」

「それは――詳しく教えて貰ってもよろしいでしょうか」

「うん、大丈夫だよ。ハレイナさんは、甘いものが好きなの?」

「ええ、とっても」


 そんな、他愛のない話をしている中で、ふと女性が閃いたように、そういえば。と話を切り出します。


「看取り手さんの出来ることは、こうしてお話を聞くこと以外にもある?」


 出会ってすぐの時とは違う、小さな好奇心を感じるその質問に、ハレイナは首に手を当てて少し考えます。ほんの数秒の間があって、喋る言葉を整理した様子でハレイナは答えを返しました。


「私に出来ることで言うのなら、あなたにみたい景色を見せてあげることもできます」


 もっとも、あなたはその見たい景色を今まさに見ているところなのでしょうけど。

 そこで言葉を切ると、彼女は若干目を細めます。どうしましたか、と聞く前に、彼女はハレイナに向かって言いました。


 私のみたい景色は、この崖の上からのものでは無いの。


「……では、どんな景色を見たいのですか?」


 微量でも、確かに言葉に熱を込めてそう伝えてきた彼女に対し、ハレイナは静かに聞き返しました。


「私が見たい景色は、あの花畑の中から見るこの景色なんです」


 懐かしむように話す彼女をみて、ハレイナは少し思案します。

 彼女が望む光景は、母親に花冠を作ってもらったりした花畑の中での物。そして、崖の外を目指すように伸ばされた腕。


「頑張って、まだ動くうちにここから落ちようとしたんだけど……」


 それをやりきる前に、限界が来たと言うことなのでしょう。

 なら、彼女の次の言葉は――、


「ね、看取り手さん……私を、ここから落としてもらうこと、できる?」


 ハレイナの考えていたとおりの言葉を、悲しい最後の一押しを、彼女はゆっくりとお願いします。

 看取り手はその言葉を聞いて、


「いいえ、できません」


 静かに、首を横に振りました。


「看取り手は本来、ここにはいないはずの存在ですから。看取り手と話すことで、できなくなった物事があればその埋め合わせはしますが……必要以上のことはしてはいけないのです」


 淡々と、ハッキリと。看取り手はしっかりと伝わるように彼女に向かってそう告げました。


「そう、ですか。ごめんなさい、無理を言ってしまって」

「――ところで」


 彼女の謝罪を遮るように、ハレイナの声が被さります。

 声に悲しさを滲ませる彼女の頭を優しく撫でると、その場ですっと立ち上がりました。


「結構な時間話していましたが……この時間があれば、あなたはあの花畑にいけたでしょうか?」


 そして、優しい笑みと共に彼女に向かってそう聞きました。


 女性は最初、わけがわからないと言った様子で黙っていました。そして、意味に気がついたようにはっとします。


「……優しいんだね」

「いえ、事実の確認をしているだけですよ」

「……ありがとうございます」


 きっと、頑張ればたどり着けたと思います。そんな一言を、今までで一番の微笑みと共に、彼女はハレイナに告げました。


 ハレイナは何も言いません。ふわりと銀の髪を揺らしながら、数歩後ろに下がります。


「……さようなら、看取り手さん。最後まで看取っていてくださいね? ……それで、私のことを覚えてて」

「ええ、もちろん。それが、看取り手ですから――あなたの願いを、意志を。私はしっかり受け取りました」

「……ありがとう、少し……嬉しいな」


 最後に、そんな会話を交わしながら。


 からり、小さな石が崖を滑る音がして。それから数秒後に、小さな衝撃音が加わりました。

 黄色い花びらが、ふわりと舞い上がりました。

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