第15話 マリリンと真凛

 その夜、僕は一睡もできなかった。1、2分おきにスマホに飛びついてはメッセージを確認する。そして既読がついていないことを知って落ち込む。そんなことを延々と繰り返していた。

 結局、朝まで待ってもメッセージに既読がつくことはなかった。そのショックもあったのか、僕ははじめてバイトを休んだ。


 特に体調が悪い訳ではない。ただ睡眠不足と押しつぶされそうなほどの不安で、まともにバイトができる状態ではないと判断したのだ。

 部屋で1人、ベッドで横になる。眠気はあるものの眠りに落ちることはない。拷問のような時間が延々と続く。


 ある日、突然、隣に引っ越してきた憧れのスーパーアイドル。ただのお隣さんとは思えないほど急接近をし、そして突然、消えてしまった。

 まるで夢から醒めたかのようだ。そう、彼女とのことは全部、夢だったのではないか。そんなことさえ考えてしまう。


「さよなら、慎吾さん」

「エッ、マリリン、何でそんなことを言うんですか?」

「私と慎吾さんでは住む世界が違ったんです」

「住む世界?」

「私はやっぱり、華やかな世界でスポットライトを浴びて輝いていたいんです」

「それって……」

「アイドルとして復帰することにしました。私とのことは忘れてください」

「わ、忘れられる訳、ないじゃないですか!」

「忘れてください。そしてこれからも私を応援し続けてください」


 彼女はそう言うと僕に背を向けて、スポットライトが当たっている方へと歩きはじめた。


「ちょっと待ってください、マリリン」


 僕の声が聞こえているはずなのに、彼女は止まらない。


「まりん、待ってよ!ねぇ、ねぇってば!」


 最後の方は言葉にならないような、悲鳴に近い声だった。それでも彼女は立ち止まらず歩き続けた。そして、スポットライトが当たっている場所に彼女が足を踏み入れた瞬間、明かりが消えて辺りが暗闇に包まれた。


「ハッ!」


 いつの間にか、眠っていたようだ。ずいぶん、嫌な夢を見てしまった。そのせいで、全身、汗ビッショになっている。

 スマホを手に取って時間を確認する。時間は昼過ぎ。2、3時間は眠っていた計算になる。そのおかげで、少し頭がスッキリした気がする。


 メッセージを確認したけど、やはり既読はついていなかった。多分、心のどこかで、もう既読はつかないだろうと思っていたのかもしれない。だから、それほど落ち込むことはなかった。


 汗を流すためにシャワーを浴びた。さっぱりした分、頭をよりクリアになった。冷静にもなれたので、マリリンのことについても論理的に考えることができるようになった。


 例の怪しい男についても、彼がマリリンを連れ去ったという証拠はない。もし彼がマリリンを連れ去ったのだとしたら、その後にまたマンションに戻って、その帰りに僕とすれ違ったことになる。これは不自然だ。

 たまたまこのマンションに知り合いがいて、そこを訪問した帰りだと考える方が自然だ。


 そもそも、彼女が誰かに連れ去られると考えること事態が不自然すぎる。この法治国家の日本で、そんな凶悪事件はそうそう起こるものではない。

 事実、彼女は用事ができたと僕にメッセージを送ってきたではないか。


 そこまで考えて、僕は一瞬、ドキッとした。彼女のあのメッセージも、彼女が送ったという保証はないということに気づいたのだ。


「疑いはじめたらきりがないな……」


 僕は一息ついて天井を見上げた。ポスターの中ではマリリンが変わらない笑顔を浮かべている。


「まずはマリリンを信じるところからはじめよう」


 あのメッセージは間違いなく彼女が僕に宛てて送ったものだ。それは信じよう。そうなると何か用事ができたということになる。僕のメッセージを見られないほどの用事って何だろう?

 身内に不幸でもあったのだろうか?それはそれで心配になる。

 引退したことを事務所の人と話しているのだろうか?思い当たることが多すぎて、見当もつかない。


「待つしかないのかも知れない」


 今の僕にできることはない。それを認めるのが怖くて、情けなくて、色々と考えてきたけど、やはり認めざるを得ない。


 ――ブーッ、ブブッ。


 スマホが振動した。慌てて、手に取って確認すると、グループにメッセージが届いていた。


》ゆた坊、告白はどうなった?


 つむぎさんが僕の告白の結果を気にしてメッセージしたのだ。


〉まだ告白してないです。

》何、モタモタしてんだよ。

〉いや、ちょっと、訳あって彼女と会えてないんです。

》何だ?告白前に振られたのか?


 つむぎさんは辛口だ。だけど、その裏に優しさがあることを僕は知っている。


》何か大変そうでありますな?


 まみたそさんも参戦してきた。女子大生のはずだけど、結構、どの時間でも話ができる。不思議な人だ。


〉大丈夫ですよ。彼女に会ったら、ちゃんと告白しますから。

》気合入れて、告白しろよ。

》無理は禁物であります。

〉ありがとうございます。

》いつでも相談に乗るからな!

》いつでも相談するであります。


 やはり、2人とも優しい。その優しさがヒシヒシと伝わってきて、胸が熱くなった。


 夕方、部屋にいても気が滅入るだけなので、少し外に出ることにした。近所をぶらぶら散歩しながら、気がつくとあの神社にやって来ていた。

 数日前にはマリリンと一緒にお参りした場所。そして、夏祭りを満喫した神社だ。

 あの時、2人で書いた絵馬は、今もしっかりと祀られている。その事実からも、彼女との時間が夢じゃなかったと実感することができた。


 神社の石段に腰掛け、街を見下ろす。遠く傾きかけた太陽が美しい茜色で世界を染め上げている。マリリンもこの夕焼けをどこかで見ているのだろうか?


 今の僕にできることはない。いや、待つしかできないというのが正しいだろう。彼女に告白しようというのに、何とも情けない話だが、それが現実だ。

 僕はアイドルのマリリンを好きになりずっと追いかけてきた。でも、アイドルを引退した真凛とは知り合って間もない。僕はあまりにも彼女のことを知らなすぎる。マリリンと真凛が一緒になって知った気になっていただけなのだ。


「もっと真凛のことが知りたいよ……」


 気づくと頬を涙が伝ってた。


「告白なんて、まだ早かったんだ。彼女を信じて待てない男が、告白だなんて……」


 自分が情けなくて、つい自虐的な言葉が口をつく。


「会いたいよ、真凛。もっと、真凛のことが知りたいよ……」

「あぁ、やっぱり、ここにいましたぁ」

「エッ!」

 顔をあげると、満面の笑みで石段をあがってくるマリリンがいた。かなりの急段を息を切らしながらあがってくると、僕の横に腰をおろした。


「あ、あの、真凛。なんで……」


 驚きと混乱でうまく言葉にならない。


「マンションに帰ったら、慎吾さん、いないでしょ。もしかしたら、ここかなって……」

「エッ、だって、あの……」

「変装して、慎吾さんのバイト先にも行ってみたんですよ」

「な、なんで……」


 何でそんな危険なことをするんだと怒るつもりだった。でも、言葉にならない。そして何故か涙が溢れてきた。


「ちょ、ちょっと、慎吾さん。何で泣くんですか?」

「だって、真凛、急にいなくなるから……」

「用事ができたってメッセージしたじゃないですかぁ」


 彼女は僕の頭を優しく抱きしめながら、諭すように言った。


「でも、返信に既読がつかなくて……僕はすごく心配で不安で……」

「ごめんなさい、慎吾さん」


 彼女は僕の顔に優しく手を添えて、僕の目を真っ直ぐに見つめた。


「私はどこにも行かないですよ。いなくなったりしませんからね」

「ま、真凛……」

「心配かけて、ごめんなさい。でも、そこまで心配してもらえて、嬉しいです」


 彼女はニコッと微笑んで顔を傾けた。


「さぁ、帰りましょう。お土産、あるんですよ。晩ごはんも用意してます」

「用事って一体?」

「それは帰ってから、ゆっくり話します。さぁ、行きましょう」


 彼女は僕の腕も引っ張って、僕を立たせた。もう美しい夕焼けは淡墨を掃いたような薄闇に変わりつつある。

 僕は彼女を手を繋いで、ゆっくりと石段を降りていった。

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