隣のアイドルが何故か僕のことを大好きな模様
夢崎かの
第1話 お隣さんの秘密
その日、僕は生きる希望を失った。
コンビニのアルバイトの休憩中、何気なく目にしたSNSに流れてきたニュース。
『国民的アイドルグループ春風さくら組センター、葵真凛さん、電撃引退!』
僕は思わず自分の目を疑った。人気絶頂のアイドルグループでセンターを務めるまでに上り詰めたマリリンが引退するはずがない。同じように思っている人は全国に沢山いるようで、マリリン引退関連のワードがSNSのトレンドを独占している。
発売されたCDはすべて2枚以上買った。武道館でのコンサートはバイト代をはたき、食費を切り詰めて、前列をゲットした。先月にはついに念願の握手会にも行った。それなのに……
休憩明けの僕は抜け殻のようになってしまって、つまらないミスを連発してしまった。店長にはこっぴどく怒られたけど、そんな事は全然、頭に入ってこない。僕の頭の中はマリリンでいっぱいだったのだ。テレビの向こうで歌い踊るマリリン。雑誌の表紙で微笑むマリリン。握手会で柔らかかったマリリンの手の感触は、今でもしっかりの残っている。
バイトが終わって、どうやって家まで帰ったのかはよく覚えていない。でも、何とか家に帰りつくと、僕はスマホのメッセージアプリでグループにメッセージを送った。メッセージの相手は、まゆたそさん、つむぎさん、ダメ教師さん。みんな、SNSを通じて知り合ったマリリンファンの仲間たちだ。
〉こんばんわ。マリリンの引退のニュースを見ましたか?
》もちろん、見たであります!!!
早速、返事を返してくれたのはまゆたそさん。大阪に住む22歳の女子大生という設定。設定といったのは、僕がまゆたそさんに実際に会ったことがないから。SNSの世界では年齢詐称なんて当たり前で、男性が女性に、女性が男性になっているなんてこともある。だから、一応、自己紹介はしたものの本当かどうかはわからないのだ。
〉引退のニュース、本当なんでしょうか?
》ゆた坊氏は信じてないのでありますか?
〉正直、信じられないというか、信じたくないというか……
》それはみんな同じであります。
ゆた坊というのは、SNSで使用している僕のハンドルネーム。弓谷慎吾という本名の名字を少しいじったのだ。
〉他のみなさんは??
》つむぎ氏はやけ酒で酔いつぶれてしまったようであります。
つむぎさんは、全国と飛び回るトラック運転手さんらしい。そして仕事の傍らでマリリンの追いかけをしている。いつもなら、「仕事に影響するので絶対にお酒は飲まない」と言っていた意識高い系のプロドライバーさんだったはずなのに。よほどニュースがショックだったのだろう。
〉先生は?
》先生氏はいつもの通り、ガールズバーに向かったであります。
ダメ教師さんのことを僕たちは先生と呼んでいた。中学だか高校だかの先生らしいのだが、ツラいことがあるとガールズバーに逃避するクセがある。今日もショックでガールズバーに逃げ込んだらしい。きっとお気に入りの夢ちゃんに癒してもらっているのだろう。
しょうがないので、少しまゆたそさんと情報交換をしたがネットにあふれる推測以上の情報を得ることはできなかった。もしつむぎさんや先生がいても、それは変わらなかっただろう。
テレビをつけると、ちょうどマリリンのニュースをやっていた。この手の話題はワイドショーのネタなんだけど、さすがにマリリンほどになると夜のニュースも放っておかないようだ。ただニュースからもネット以上の情報は得られなかった。
今回のマリリンの引退発表は事務所ホームページと公式ブログに掲載された直筆メッセージのみ。今後も本人による記者会見は行われないとのこと。だから、電撃引退の真相は藪の中なのだ。
勝手なファンは結婚するのではないか、妊娠しているのかもしれないなどと噂している。海外留学をするなんて話も出ている。だけど、どれも信ぴょう性に欠けるものばかりだ。
「はぁ……」
ため息が漏れた。マリリン引退のニュースを見てから、吸った息がことごとくため息になって出ていく。ただ、どれだけため息をついても、僕の中のモヤモヤは消えることはない。
すべてを投げ出すようにベッドに横になった。天井に貼ってある、笑顔のマリリンが僕を見つめている。この笑顔に何度、救われただろう。マリリンの笑顔があれば何でもできる気がした。またマリリンに会うために、それだけを思って頑張ってきていたのだ。それももう叶うことはない。
マリリンは長崎県出身の20歳。17歳の時に番組の企画だった『春風さくら組全国スカウトキャラバン』でスカウトされた。当時はちょっと可愛い田舎の女の子という印象だった。それがデビューしてスポットライトを浴びはじめると、どんどん美しく変化していったのだ。
垢抜けるなんて言葉では足りない。原石。そう、宝石の原石が研磨されて美しく輝きはじめる。そんな変わりっぷりだった。
その後はデビューから3曲目でセンターを任されることになった。そこそこ名の知れたアイドルグループだった春風さくら組を国民的アイドルグループと呼ばれるまでに押し上げたのは、他ならぬマリリンの功績だ。これはマリリン推しではないファンも認めている。
アイドル活動と並行してドラマデビューも果たしたが、これも高評価で将来の女優転身が噂されるほどまでになった。ファンにも、ファン以外にも優しくて誰からも愛されていたマリリン。僕はそんなマリリンが大好きだった。
――ポーン、ピンポーン
遠くでドアフォンの音がなっているような気がした。それが自分の部屋の音だと気づくまでに時間がかかったのは、まさか自分が寝ていると思っていなかったからだ。ベッドに横になりマリリンのことを思い出しているうちに、どうやら眠ってしまったらしい。少し泣いてしまったのでまぶたが腫れぼったい。
それにしてもこんなに朝から誰だろう?宅配便にしては早すぎないか?そう思いながら、ベッドから這い出し玄関へと向かった。
「はぁい、どちら様ですか?」
「あ、朝早くからすみませーん。隣に引っ越してきた者でーす。引っ越しのご挨拶に伺いましたぁ」
若い女性の声が響く。今どき、都会で引っ越しの挨拶に来るなんてしっかりしている。隣にだれが住んでいるか知らない人なんて山ほどいる。それが都会の流儀。良いところでもあり、悪いところでもある。
念のためドアチェーンをかけたままドアを少し開けた。ドアの隙間から覗くように外を伺うと、僕は自分の目を疑った。ドアの先にはマリリンによく似た女性が立っていたのだ。ただ開けたドアが狭すぎて顔が半分しか見えない。それでもかなりマリリンに似ている気がする。
一度、ドアを閉じてチェーンを外す。今度は、ゆっくりと大きくドアを開けた。するとそこにはマリリンにそっくりの女性が立っていたのだ。
バタン!
驚きと戸惑いで思わずドアを閉じてしまった。これは夢だ。そうでなければショックで頭が変になってしまったか。でも、こんな夢なら大歓迎だ。いつまでも覚めないで欲しい。
「あのぉ、大丈夫ですかぁ?」
ドアの向こうから心配そうな声が聞こえてきた。聞けば聞くほどマリリンの声に似ている。
「あっ、すみません。今、開けます」
ドアを開けると、心配そうな顔でマリリン似の女性が覗き込んできた。マリリン似の彼女は背が低いので、僕を上目遣いで見上げる感じになる。それがたまらなく可愛い。どうせ夢なら、このまま抱きしめてもいいのかなとさえ思ってしまう。
「大丈夫ですかぁ?」
「え、えぇ、大丈夫です。ちょっとバタバタしてたもので……」
「そうだったんですねぇ。朝からすみませんでした」
「あ、いや、大丈夫です」
「改めまして、隣に引っ越して来ました、葵真凛です。よろしくお願いします」
「エッ、やっぱり、マ、マリリン?」
「はい」
マリリンは握手会で見せてくれたのと同じ笑顔で僕に微笑んでくれた。その微笑みにつられて、心臓の鼓動がどんどん早くなる。これも握手会の時と同じ。
とにかく挨拶をしなければ。慌てて頭を下げると、強い衝撃が襲ってきた。
ガンッ!
慌てて頭を下げた僕はドアで頭を強打してしまった。ものすごく痛い。あれ?痛いってことは夢じゃない?
そんなことを考えながら、僕の意識は薄れていった。
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