第13話 夏祭りの夜
「8月20日(土)夏祭り開催」
このチラシを見てからというもの、あの手のこの手で夏祭りに行きたいアピールをするマリリン。僕は毎回、それを制して、なだめて機嫌をとる。そんな毎日が繰り返されていた。
本音を言えば、僕だってマリリンと一緒に夏祭りに行きたい。手を繋いで歩きながら屋台巡りをしてみたい。屋台で買った食べ物をシェアしながら歩けたら、どんなに幸せだろうと思う。
でも、今はまだ叶わぬ夢。連日、ワイドショーを賑わせている渦中の人物が、どこの馬の骨とも知れない男と夏祭りに現れたら大変なことになってしまう。
彼女が隣に引っ越して来てから、彼女のことが世間にバレる。そんな想像ばかりしている。そしてそんな時は僕の胃のあたりがキュッと鷲掴みにされるような感覚に陥るのだ。
だからと言って、何もしないでおとなしくしてくれるマリリンではない。僕とマリリンは高度な駆け引きを行いながらベストの落とし所を見つけたのだ。
「焼きそばは買った。焼きとうもろこしと焼きイカも大丈夫。あとは何だっけ……あ、リンゴ飴だ」
両手に目一杯の袋をぶらさげて屋台を回っている僕。まだ祭りの人出が本格化する前から回っているので、これだけの買い物ができたが、気がつけば陽は落ち、人出もかなり増えてきている。りんご飴の屋台にはかなりの列ができていた。
「エェッ、こんなに並んでるの?参ったなぁ……」
僕は普段ならこれだけ列ができていたら諦める。元々、そんなに列に並ぶのが好きではないのだ。列ができていても我慢できるのはマリリンの握手会くらいだ。今回はそのマリリンの希望なのだから何とか我慢できている。
「一応、連絡を入れておくかなぁ」
僕は両手にいっぱいの荷物を抱えながら、器用にポケットからスマートフォンを取り出した。
〉今、リンゴ飴の列に並んでいます。混んでいるので少しかかりそうです。
メッセージの送信先は、もちろんマリリンだ。この作戦をきっかけに、僕はマリリンとメッセージアプリのIDを交換することができたのだ。これは僕にとって何よりの成功報酬だ。苦手な行列にも頑張って並ぶというものだ。
マリリンからの返信は早かった。きっと部屋でメッセージアプリとにらめっこでもしていたのだろう。
》どれくらい並びそうですか?
〉10分以上はかかると思います。
》他の戦利品はどうですか?
〉焼きそばと焼きとうもろこし、焼きイカはすでにゲットしています。
》すごいですね。了解しました。
彼女はメッセージの最後に「頑張ってね」と微笑む自分のスタンプを送ってきた。春風さくら組の公式スタンプだった。そうこうしている間に少しずつ列は進み、僕はリンゴ飴を無事に買い終えた。
僕たちが考えた作戦はこうだ。要するにマリリンは屋台での食べ歩きをしたいらしい。だから、僕が彼女の希望する物を全て買ってきて、それを2人で一緒に食べるということにした。場所は安全を考えて2人のどちらかの部屋を希望したのだけど却下され、神社の近くのあの公園ということになった。
もちろん祭りの夜の公園なんて危険極まりない。しかも、コンビニの目の前とくればヤンキーの溜まり場にもなりかねない場所だ。もしその時は部屋に避難しようと思っている。僕としては、その方がありがたい。
そして祭りの日はバイトからそのまま神社に直行して屋台を回った。まだ準備中の屋台には無理をお願いして作ってもらったので、少し申し訳ない気がする。でも、マリリンをあまり待たせると、ここまで押しかけて来かねない。だから、早めに目的の物を買い終える必要があった。
「やっと、全部、買い終わったかな。マリリンに連絡しないと」
僕はメッセージアプリで彼女に連絡した。
〉お待たせしました。全部、買い物が終わりました。
》お疲れ様でした。じゃあ、今から公園に向かいますね。
〉はい。変装を忘れないでくださいね。くれぐれも気をつけてくださいね。
》はーい
今回も彼女からの返信は早かった。やはり、部屋でにらめっこしていたのかもしれない。僕も荷物を抱えなおして公園に向かおうとした。その時ふと、1軒の屋台が目に入った。ベビーカステラの屋台だ。
「懐かしいなぁ。ついでに買っていこうかな」
ベビーカステラは、昔、父親が大好きだった懐かしの味だ。父親なりのこだわりがあって、ある人の屋台でしか買わないと決めていたようだ。その人の屋台はやはり味が違うのかいつも人気で行列ができていた。自分のお気に入りの味が評価されたように感じたのか、父はいつも得意げに「俺が自分で気づいた味だ」と語っていた。
今日の屋台は、その時に比べると列に並ぶ人は少ない。それでも懐かしい甘い香りについつい惹かれてしまった。
公園に着くとマリリンはもうベンチに座っていた。僕の姿を見つけると嬉しそうにベンチから立ち上がって手を振ってくれた。憧れのスーパーアイドルにこんな風にしてもらえるなんて幸せすぎる。
彼女は僕がプレゼントした変装グッズに身を包んでいた。まさかマリリンだとは思わないだろう。と言うより、公園には人がほとんどいなかった。これは予想外のことだった。僕たちにとってはラッキーであると言える。
「お待たせしました。ちょっとベビーカステラを買っていたので遅くなっちゃいました」
「ベビーカステラ?」
「あ、はい。父親が好きだったもので、つい買ってしまいました」
「そうなんですね。私、ベビーカステラを食べたことがないので、楽しみです」
「食べたことないんですか?」
「うーん、実家の方のお祭りにはなかったと思います。『鶏卵焼き』って言う同じような屋台はありましたよ」
「そうなんですね。地方色が出てますね」
「うふふ、そうですね」
「じゃあ、食べましょう。何から食べますか?」
「えーと、じゃあ、焼きそばからにしましょう」
「はい」
焼きそばのパックを開けるとソースの焼けた良い匂いが広がった。
「わぁ、良い匂いですねぇ」
「最初に買ったので、少し冷めちゃいましたけどね」
「屋台の焼きそばは冷めても美味しいので大丈夫です」
彼女はよくわからない理由で、力強く親指を立てた。
あらかじめ割り箸は2人分つけてもらっていた。僕たちはそれを持って焼きそばを頬張った。
「美味しいですねぇ」
「そうですね。お肉も結構入ってますよ」
「これは当たりの焼きそばですよ」
「そうですね。僕の後ろには、沢山、並んでましたからね」
「そうだったんですね。みんな、美味しいって知ってるんですね」
僕が焼きそばを美味しいと感じるのは、マリリンと一緒だからだと言うのも大きいだろう。憧れのスーパーアイドルと一緒に焼きそばをつつく。こんな状況でなかったら、きっとドッキリの企画だと疑うだろう。
「焼きイカと焼きとうもろこしも開けちゃいませんか?」
「いいですよ」
そう言って、僕はベンチの上に焼きとうもろこしと焼きイカのパックを開けた。今度は醤油の焦げたようないい香りが広がる。
「ジャーン、こんな物を持ってきちゃいました」
彼女がそう言って取り出したのは、鞘に入ったキッチンナイフだった。それを使って、マリリンは焼きイカを焼きとうもろこしを半分に切り分けてくれた。
「いい感じですね。よくキッチンナイフを思いつきましたね」
「えへへ。すごいでしょ」
「はい」
「でも、こうして並べてみるとすごく豪華な食事に見えますね。屋台のものとは思えません」
確かに、美味しい焼きそばに焼きとうもろこし、焼きイカ。デザートにはリンゴ飴とベビーカステラ。ちょっとしたコース料理みたいなものだ。それを好きな人と一緒に食べられる幸せ。それがひと噛みごとに口いっぱいに溢れてくる気がした。
焼きイカは冷めた分だけ固くなっていた。だから、2人とも無言になって必死にもぐもぐと噛み続けた。途中、マリリンが笑いをこらえきれなくなって笑い出し、僕もそれにつられて笑った。今の僕たちには、どんなことでも笑い飛ばせるそんな強さがあるように感じる。もう何があっても大丈夫だと感じていた。
「あぁ、もうお腹いっぱいです」
「えぇ、まだリンゴ飴が残ってますよ」
「慎吾さん、食べちゃって良いですよぉ」
「じゃあ、持って帰りましょうか?」
「そうですねぇ。あ、慎吾さん、見てください」
彼女は神社の方を指差して、声をあげた。
「ここからお祭りの様子が見えるんですねぇ」
彼女が指差した先。そこには祭りの屋台が神社の階段に軒を連ねる様子が、明かりとともに浮かび上がっていた。遠目に見るとライトアップされているようでとても綺麗だ。
「私、お祭りの屋台って大好きなんです」
「僕もです」
「お祭りの屋台って、暖かい色に溢れているじゃないですか。そこには楽しいことしかないって思えるんですよね」
「なるほど……」
「遊園地とかテーマパークも楽しいことしかないってわかっているから、人が集まるんじゃないかと思うんです」
「それはアイドルを応援するファンも同じじゃないですかね」
「そうですねぇ……でも、ステージの上のアイドルは同じとは限りません」
「エッ?」
僕が振り向いた時、彼女の表情は少し悲しそうに翳って見えた。
「ファンのみなさんは、楽しんでくれていますよね。それはステージの上にまで伝わってきます。でも、ステージの上のアイドルたちは、楽しんでいない人、楽しめていない人もいます。ファンの人に嘘をついて、それを隠しながらステージでスポットライトを浴びている人もいるんです」
さらっと言ってのけたが、今、彼女はすごいことを言った。週刊誌の記者が聞いたら、即、特集を組むレベルの話だ。アイドルに嘘があるなんて、そんなのは昔から言われていることだ。その嘘が発覚して炎上するアイドルもいる。それでもファンはその事実から目をそらし、自分のアイドルだけは嘘がないと信じている。信じようとしているのだ。だから、今の彼女の告白はとても衝撃的だった。
「マ、マリリンはどうだったの?」
「私?私ですかぁ?どうなんでしょう?自分ではわからないです。でも、少なくとも嘘はなく誠実でありたいと思ってステージに立っていました」
「それは僕たちファンにも伝わっていましたよ。だから、マリリンは大人気になったんです」
「そうですかね?そうだと良いですね……ごめんなさい、何だか暗い話になっちゃいましたね」
「だ、大丈夫ですよ」
「ほら、リンゴ飴、食べてくださいよ」
「あ、はい」
僕は包みからリンゴ飴を取り出して一口、かじった。甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。今の僕の気持ちに似ているなと感じた。マリリンの話は、彼女が突然、引退をしたことと何か関係があるのだろうか?
グイッと突然、リンゴ飴を持つ僕の手が引っ張られた。そして僕のかじった後にマリリンの一口が重なる。
「あぁ、甘酸っぱいですね」
「そ、そうですね」
僕は彼女に同意した。でも、意識は別のところにあった。間接キス。そう、彼女はさらっとリンゴ飴をかじったが間接キスになっているということに気づいているのだろうか?僕はこの後、同じ部分をかじっても良いのだろうか?
おそるおそる口を近づけて、もう一口かじる。彼女との間接キスのせいなのか、今度はさっきよりも甘く感じた。エデンの園で禁断の実を口にしたアダムもこんな気持ちだったのかもしれない。
2人がそれぞれ複雑な思いを抱えながら、かじり進め、あっという間にリンゴ飴は芯を残すだけとなった。
「あぁ、もうお腹いっぱいです。結局、食べちゃいましたね」
「そ、そうですね」
「じゃあ、そろそろ帰りましょうか?」
「はい」
僕はベビーカステラの袋を持って立ち上がった。そこに彼女の手がするりと巻きつき、腕を組んだ状態になる。彼女の積極性に僕のドキドキは一瞬でピークに達する。
「マ、マリリン?」
「うふふ、この方が恋人同士っぽいでしょ?」
「そうですけど……」
「慎吾さんは、イヤですか?」
「いえ、イヤじゃないです」
「じゃあ、行きましょう」
歩きはじめると、彼女は僕の肩に寄りかかってきた。甘い香りが僕の鼻をくすぐる。こんなに甘えてくる彼女ははじめてかもしれない。やはり、さっきの話を気にしているのだろうか?
「ねぇ、慎吾さん……」
耳元で囁くような彼女の声。いつもよりも艶っぽく感じる。
「な、何ですか?」
緊張して答える僕。
「ベビーカステラ、食べながら帰りませんか?」
「エッ?あ、あぁ、良いですよ」
少し拍子抜けだったが、それくらいの方が良い。僕たちはほんのりと甘いベビーカステラをシェアしながら、マンションへ向かって歩きはじめた。
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