陥穽(おとしあな) その1

 細貝の名前を出したので、てっきり敬遠されるかと思ったが、彼女・・・・名前を内田隆子うちだりゅうこという・・・・は、相好そうごうを崩すという程ではないにしろ、極めて自然な表情で、


『そうですか、それは遠いところからわざわざどうも、さあ、汚いところですが、お上がりなさってください』


 と、俺を家の中に案内してくれた。


 中は典型的な田舎の古民家と言った体で、俺が通されたのは正面に立派な床の間がある、十畳ほどの部屋だった。


『何分にも主人が亡くなって間もないものですから、散らかしておりまして』


 今、お茶を淹れてまいりますから、彼女はそう言って奥へ引っ込み、5分ほどして

戻ってきた。


 待つほどのこともなく、彼女は盆に湯呑を載せて戻ってくると、座卓に座っている俺の前に置いた。


『さ、どうぞ』と勧めるが、俺はほんの少しだけ口をつけて、


『実は今日伺いましたのは、細貝秀之助のことについなんですが』


 彼女はもうそれも分かっていたかのように、再び、


『ちょっとお待ちください』


 と言って席を立ち、古い箱のようなものを持って戻ってきた。


『お役に立つかどうか分かりませんが』


 俺の前に置いたその箱は、もう長いこと開けられていなかった手文庫で、真っ黒に煤けて《すす》けていた。


『細貝さんの本家はもう随分前に跡が絶えてしまいましてね。何しろ秀之助さんがあんなことになったものですからね』


 彼女はそう言って、細貝家との関係をかいつまんで話してくれた。


 何でも、細貝家は今から三百余年前、丁度徳川家康が江戸に幕府を開いた頃、家康に命ぜられてこの辺り一帯の名主になった、いわば由緒ある家柄だったという。


 明治維新になるまで、ここらの田畑山林は殆ど細貝家の所有だったという。


 内田家は、その折に分家をして、言わば細貝家の番頭のような立場にあったそうだ。


 箱の中には、何枚かの古びた写真と、覚書の様なものが残っていた。


 それによると、細貝秀之助は明治四十年にこの土地に生まれた。


 次男だったという。


 子供のころから学業は優秀で、小学校四年生の時には巻紙で二メートルもの漢詩を書いたり、隣町の学校からやってきた生徒に、英語で挨拶をしたりと、教師さえ舌を巻くほどの頭脳の持ち主だった。


 当時の慣習としては、長男は家の跡を継がせるが、次男以降は勉強させるなり、自活させるなり、好きにさせたのだが、秀之助はその天才ぶりを認められ、小学校を卒業すると東京の府立一中に入学し、そしてそこでも五年間、ほぼ首席で通し、第一高等学校(つまりは一高)へ入学した。


『末は博士か大臣か』の喩《たと》え通り、当時のエリートコースを順調に歩んでいたという訳だ。


 



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